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4(3)-2

 乾いた高い音が、からの地下に響いた。

 明るい音色のはずなのに、どこか物寂しい。つたないながら、やっと最後まで奏でられるようになったけれど、それを一緒に喜んでくれる人も、音を合わせて奏でてくれる人もいない。

 一人の地下で、フィーネはフルートから唇を離した。もう練習したってどうにもならないのに、どうして自分はまた、この地下へ来てしまうのだろう。

 他に、誰が来るはずもないのに。


「や、上手くなったじゃん」

 ため息をつくフィーネの背後から、思いがけない拍手が響いた。

「いつの間に最後まで吹けるようになったんだ? やるじゃん!」

「上手くないわよ。リズムも悪いし、音は途切れるし、そもそも高音がぜんぜん出てないじゃない!」

「ちょっとそれは、要求が大きすぎるなあ」

 甘い声音の褒め言葉と、叱咤する厳しい声。聞き覚えのあるその音に、フィーネは振り返った。

「久しぶり。地下の騒音の正体はフィーネだったかあ」

 意外そうに肩をすくめるクラウスが、真っ先に目に入る。次いで、鋭い目つきのカミラの姿。二人から少し遅れて、アロイスと、カミラの侍女であるニコルが、地下室の階段を下りてきている。

 思いがけない人物の登場に、フィーネは瞬いた。驚きよりも、安堵よりも先に、賑やかさが心に響く。


 孤独で空虚な地下室が、にわかに騒がしくなる。


 〇


 フィーネはここ数日、家族の目を盗んで、一人地下室へと訪れていたらしい。

「他の四人には、会えていません。家族に『悪い仲間と付き合うな』って反対されてしまって……」

 ここ最近の様子を聞いたクラウスに対し、フィーネは沈んだ調子でそう言った。

「たぶん、他のみんなも似たような感じだと思います。特にヴィクトルは、婚約者がミアだから――あまり裕福な家の子じゃないから、当たりが強くて。あたしたちの親の間では、ミアがそそのかしたんじゃないか、って噂されているみたいなんです」

「なによそれ」

 カミラが眉をひそめると、フィーネは暗い顔のまま頷いた。

「あたしたちが勝手にやり始めたんですけどね。ミアって、もともとなんでもやってみたがる子だったから、疑われちゃって。婚約の話も揉めちゃっているみたいです。あたしも、家族から聞いただけですけど……」

 不愉快な話に、カミラは渋い顔を浮かべた。祝婚歌を奏でるためにしていたことが、結婚自体を危うくさせるなんて、笑い話にもならない。

「やっぱり、クラウス様たちに見つかったときに、やめておけば良かったんですよね。危ないことだって、わかっていたんだから」

 フィーネはうつむき、自嘲するように言った。思えばカミラが最初に地下へ来たとき、『やめよう』と言ったのはフィーネだった。

 あのとき、フィーネの言う通りに止めていれば、自警団に見つかることもなかったかもしれない。五人が付き合いを禁じられることもなく、ヴィクトルとミアの結婚も危ぶまれることはなかった。

 悔いる気持ちはよくわかる。

 だけどカミラには、だからこそ疑問がある。

「それなら、どうしてあなた、またここへ来たのよ」

「……えっ」

「フルートなんて吹いて、また見つかったら大変よ。今度は叱られるだけじゃすまないかもしれないわ」

 一度目なら『気の迷い』で済んでも、二度目となるとそうはいかない。しかもフィーネは、家族の目を盗んでまで地下へ来ているのだ。見つかれば、今度は自宅に軟禁か、あるいは自由を奪うため、強引に誰かと結婚をさせられるかもしれない。

「そう……そうですね」

 フィーネはカミラに言われてはじめて、自分のおかしな行動に気が付いたような顔をした。意表を突かれたように瞬きをし、無意識にか、自分のフルートを抱きしめる。

「なんででしょう……なんだか、忘れられなくて。はじめて音が出せたときのうれしさや……みんなで喜んだときの楽しさが」

 フィーネがはじめてフルートの音を出したとき。仲間たちは口々に歓声を上げ、思いきり喜んだ。カミラは「まだ音が出ただけだ」と叱咤したけれど、フィーネにとってはそれだけではなかったのだ。

 カミラはばつの悪さに口を曲げると、そっとフィーネを窺い見た。一人きりの彼女には、今は一緒に喜ぶ相手もいない。クラウスの褒める言葉さえ、カミラ自身が即座に否定してしまったのだ。

「……ねえ、もう一度、吹いてみてちょうだい。あなたの音は嫌いじゃないわ」

「上手くないですよ」

 フィーネは少し驚いたように、いささか嫌味っぽくそう言った。大人しそうな顔からの、思いがけない意趣返しに、カミラは思わずむっとする。

 が、すぐに苛立ちごと息を吐き出した。

「上手さと好き嫌いは別よ。――誰も聞かない音なんて寂しいでしょう、私に聞かせてみなさい」

 胸を反らすカミラに、フィーネは苦笑した。「ありがとうございます」と囁くように言うと、彼女は抱きしめていたフルートを構えなおす。

 歌口に唇を当て、フィーネは目を閉じた。


 つたない音色が、寂しげに地下に響く。

 嫌いじゃない、と言ったのは本心だ。

 フィーネの心そのままの、素直なその音が、カミラは好ましいと思う。

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