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4(3)-1

 翌日はよく晴れていた。

 雲一つなく、冬の太陽が町を照らす。窓から差す日差しは暖かく、冬の終わりが近づいていることを感じさせた。

 あとひと月ほどすれば、季節は春に変わる。今は雪に覆われたブルーメの町も、花々で明るく色づくのだと、クラウスは言っていた。

 ――早く見てみたいわ。

 レルリヒ家の自室。朝の町並みを眺めながら、カミラは思った。きっと、ため息が出るほど美しいのだろう。


「……奥様、もしかして、元気になられましたか?」

 朝一番、カミラを起こしに来たニコルが言った。起こされる前に目覚め、窓辺に立っているカミラを、ニコルは眩しそうに見ている。

 おずおずとしたニコルの言葉に、カミラは少し面食らった。それから、たった一人の侍女の気遣いに、思わず口元が緩んだ。ニコルはよく、カミラを見てくれている。

「ごめんなさい、ニコル。心配かけたわね」

 ニコルに振り返ると、カミラは苦笑した。気遣ってくれることの嬉しさと、気遣わせてしまっていた自分自身に対する恥ずかしさがある。自分でも気が付かないうちに、カミラはどれほどため息をつき、俯いてしまっていたのだろうか。

 苦々しさに視線を伏せかけ、慌ててカミラは顔を上げた。

 今はきちんと背筋を伸ばし、前を向いていられる。胸の中にあった黒い渦のような感情は、完全に消えたわけではないけれど――もう、大丈夫。

「ニコルが言った通りね。ここしばらくの私は、たしかに私らしくなかったわ。思い悩むなんて、性にあってないものね」

「いえ、いえ!」

 両手を握り合わせ、ニコルは安堵と喜びの入り混じった表情をカミラに向けた。

「私は奥様が元気であれば、それが一番です!」

 力んだニコルの言葉は思いがけず大きく、いささかうるさいくらいに部屋に響き渡る。そばかすの浮かぶ頬は、力んだせいか、大声を出してしまった恥ずかしさのせいか、ほのかに赤くなっていた。

 カミラはそんなニコルに対し、軽快な笑い声を上げた。

「ありがとう、ニコル」

 ニコルの言葉が、今は素直に嬉しい。


 〇


 アロイスが跡継ぎにクラウスを推したことで、レルリヒ家はちょっとした騒ぎになった。

 アロイスは、フランツを跡継ぎと目していた人間たちに連日説得をされ続け、外出もままならない。一方でクラウスの元には、フランツ派から鞍替えした人間たちが代わる代わる媚を売りに来る。現当主のルドルフは、息子のフランツと兄のルーカスから散々責められ、弱り切っていた。

 現在のレルリヒ家で、涼しい顔をしていられるのは、きっとゲルダだけだろう。


 そういうわけで、ここ数日カミラはほとんど外出ができなかった。

 外に出られたのはただ一度。どうしてもと頼み込んで、クラウスを案内に、例の地下へ行ったときだけだ。



 五人が騒音を鳴らしていた地下は、すっかり変わり果てていた。

 地下にあった楽器や楽譜はすべて片付けられ、空の棚だけが空虚に並ぶ。

 五人の姿も、当然ない。人のいない地下室はいつも以上に冷たかった。


 きっと五人はもう、地下へは来ることはないのだろう。

 散々殴られ、大衆晒し者にされ、目の前で楽器も壊されたのだ。懲りてしまうのも無理はない。もともと、音楽へ強い情熱を持っているようにも見えなかった。ただみんなと楽しく祝婚歌を奏でたいだけ。そういう人間たちにとって、今回の件は堪えただろう。

 あるいは懲りていなくとも、彼らの親は許さないはずだ。

 五人とも、それなりに裕福そうな身なりをしていた。それに、字を読み楽譜を理解するだけの教養もある。おそらくは平民の中でも、なかなかに地位のある家柄の者なのだ。

 身分あるものにとって、今回の件は汚点に他ならない。不本意ながら、娯楽は町の禁止事項。破った五人の方に非があるのだ。二度と同じことをさせるまいと、家族なら思うだろう。

 それでもせめて、もう一言くらい、カミラは五人と言葉を交わしておきたかった。このまま二度と会わなくなるなんて、あまりに後味が悪すぎる。

 そう思えども、カミラ一人の力では、町のどこに五人が暮らしているかも知らない。頼りのアロイスもクラウス忙しい。

 なにもできないまま、カミラだけが退屈な日々がしばらく続いた。


 〇


「や」

 珍しくカミラの部屋を訪ねてきたクラウスが、開口一番、手短すぎる挨拶を述べた。

 なにかと忙しいだろうに、クラウスの顔つきに変わりはない。飄々とした軽率な笑みを浮かべ、気取った様子で髪をかく。あまりに気安すぎる態度にニコルが威嚇しているが、クラウスは気にも留めていないようだった。

「カミラ、ちょっと時間いいかな? ちょっと付き合ってほしいんだけど」

「はあ?」

 唐突に告げられた言葉に、カミラは眉をしかめた。

「付き合うってなにに? また愚痴でも言うつもり?」

 カミラがクラウスに、なにかしらで付き合ってやったことなど、温室での一件くらいだった。ここ数日で生活の一変した彼のこと。多少なりとも気疲れしているのかもしれない。

 まあ、カミラもそれなりに世話になった身。愚痴くらいなら付き合うのもやぶさかではない。

「いやいや。そういうのじゃなくて」

 しかし、クラウスは慌てたようにカミラの言葉を否定する。気恥ずかしそうにしているあたり、あの夜カミラに弱音を吐いたことは、彼の本意ではなかったのだろう。

「ちょっと散歩に、町まで行こう。アロイスも誘った。俺としては、カミラと二人でも構わないんだけど」

「町に? そんな時間あるの?」

 「構います!」と叫ぶニコルを無視して、カミラは尋ねた。

 二人とも、今が一番忙しいときだろう。カミラのような、媚びる価値のない暇人とは違う。話したい人間も話し足りない人間も山ほどいるのだ。

 カミラとしては外に出るのは歓迎だが、そうもいかないことくらいは理解しているつもりだった。

 だが、クラウスはなんてことないように、肩をすくめて見せるだけだ。

「時間なんていいの。『先生』からのありがたいご命令だからね」

「ああ、そう……」

 安易なクラウスの言い分に、カミラは溜息のようにつぶやいた。たいした不良息子である。

 この道楽者にとって大切なのは、家の中での権力争いより、町中に潜む悪い『先生』たちが与える雑用の方なのだ。いっそ、外に出たがっていたのは、カミラよりもクラウスの方なのかもしれない――――いや待て、『先生』の命令を受けているあたり、すでに何度も脱走済ではないだろうか。

 呆れた顔のカミラに向けて、クラウスは片目を閉じて見せた。

 気取り屋の色男は、口元に指を当て、いたずらっぽく笑う。


「例の、作曲の先生からのお達し――――ここ最近、また騒音が鳴りはじめたから、調べて来いってさ」

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