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4(2)-14

 日が暮れても、小さな温室は昼間のように明るい。

 白い花が咲き誇る温室で、カミラは一人うずくまっていた。

 ここはクラウスの秘密の場所だと言っていた。だから、少なくともクラウス以外の人間が来ることはないだろう。あの男も、あれで妙に察しがいい。おそらく、カミラのいる中に踏み込むような、無粋な真似はするまい。

 足元には、白い可憐な花が咲いている。その愛らしい姿に、カミラは息を吐いた。こんな花のような女であれば、もっと違った未来があったのかもしれない。ユリアン王子も、父も母も、カミラをもっと違った目で見てくれたかもしれない。

 妬んだって仕方がない。カミラは怖じずに胸を張れる自分を誇っている。それでも妬ましい。悔しい。悔しい。悔しい。なにもかも憎らしい。目の前の花に触れ、その花びらを撫でる。踏みつぶすのもためらわれる白い花、お前のようにあれたなら――そう思う自分自身が惨めで、情けない。悔しい。頭の中がぐちゃぐちゃに乱れる。

 ユリアン王子は、どうしてカミラを見てくれなかったのだろう。


 ふと、冷たい風が温室に流れ込んだ。

 空気が揺らぐ。誰かが入ってきたのだと、振り返らなくともわかった。

「…………カミラさん?」

 扉に背を向け、花畑に埋もれるカミラに、遠慮がちな声がかけられる。気遣うように慎重に、そっと近づいてくる足音がする。

 足音は、カミラの真後ろで止まる。どう声をかけるべきか迷っているのだろう。しばらくの沈黙ののち、背後の誰かは口を開く。

「カミラさ――――」

「慰めならやめてください。私だって、わかっているんです」

 かけられた言葉をさえぎり、カミラはそう言った。ここで慰められでもしたら、自分の余りの惨めさに、耐えられなくなるだろう。

「私の恋は、もうとっくに破れたもの。早く忘れるべきなんです。縋りつくだけ、愚かなことだって」

 慰められるのも惨めだけど、失くした恋を追い続けるカミラも、また惨めだ。諦めが悪く、自分の立場を理解しないカミラが嘲笑を受けるのも当然のこと。ユリアン王子を見返すことで、自分の価値を認めてもらいたいなんて、振られた女の哀れな妄想なのだ。

「でも」

 カミラはぼんやりと、地面を覆う花を見つめる。雪みたいに白い。

「忘れられるなら、はじめから好きになんかならないわ」

 背後の気配が、そっと動く。カミラの様子を見ながら、隣に座り込んだのがわかる。カミラはそちらを見ずに、ただ花の姿を眺めていた。

 花びらを撫でる。小さな子供を撫でるように、やわらかく。視線は花に向かっていても、カミラが見つめるのは、自分の遠い過去だった。

「ユリアン殿下とはじめて会ったのは、七歳のころだったわ。父と母と王宮に見参したとき、私、ひどく腹を立てていたの」

 カミラが王宮を訪ねたのも、この時がはじめてだった。王宮で開かれる――あれはたしか、第二妃の盛大な葬儀の日だった。国中の貴族が集まって、第二妃へ別れの言葉を手向ける日。そして、第二妃への言葉もそこそこに、貴族たちがつまらない駆け引きをする日だった。

 そんな日のカミラの不機嫌は、両親の不興を買った。だが、どれほど叱られたって、カミラは機嫌を直すことはなかった。理由も覚えている。カミラがドレスの袖にこっそり隠した、布にくるんだビスケットのせいだ。

「ちょうどその前の日、ディアナ――侍女のディアナに誘われて、私、はじめてお菓子を作ったのよ。生まれてはじめて自分で作ったの。楽しくて、嬉しくて、父と母に食べてもらいたかったの。でも――」

 ゾンネリヒトでは、料理は貴族のすることではない。子供の作った不格好なビスケットを、父は一瞥だけして眉をしかめ、母は「はしたない」とくず入れに捨てた。それで、ずっと腹を立てていたのだ。

 せっかく作ったものが無価値に思えて、だけどそれでも捨てきれずに持ち歩いていた。大切なものを隠しているような、ゴミを抱えているような気持だった。どうして持ち歩いたのかは覚えていない。たぶん、両親の見えないところで捨てるつもりだったのだろう。

「ユリアン殿下に会ったのは、そのとき。父と母に反発して、一人で王宮を歩いていたときに、中庭の影でうつむいている男の子に会ったの」

 中庭の風。冷たい冬のにおいも覚えている。思えばあのときも寒い日だった。モーントンとは違い雪は降らないが、草木も枯れる冷たさは同じだ。

「はじめは、ユリアン殿下だって気が付かなかったわ。だって、目は赤くなかったし、髪は茶色くて、普通の男の子みたいだったもの。着ているものだけが、立派な――――喪服だったわ」

 ユリアン王子は、強い魔力を持って生まれた。その瞳を見ると、周りの人間を魅了してしまう。

 だから彼の母親である第二妃は、彼の姿を魔法で偽っていた。本来とは異なる瞳の色、異なる顔かたち、異なる体となるよう、常に魔法をかけていた。第二妃の魔力でユリアン王子を覆い、彼本来の魔力が流れ出ないようにしていたのだという。ゾンネリヒトでは、有名な話だった。

「殿下だったら、きっと声をかけられなかったわ。でも、普通の男の子に見えたから、声をかけたの。元気がないから、『どうしたの?』って。『ビスケット食べる?』って。思えば私も、押し付けようとしていたのね」

 くすくすと笑いながら、カミラは懐かしい日を思い出す。男の子は驚いたようにカミラを見ていた。声をかけられたことも、ビスケットを押し付けられたことも、信じられないような顔だった。

 ――でも。

「ユリアン殿下は、黙ってビスケットを受け取って食べてくれたわ。私、その横顔をずっと見ていたの。美味しそうに食べてほしいと思ったけど、上手くいかないものね。殿下は逆に、目を潤ませて、泣き始めてしまって」

 当時は、どうして泣いたのかわからなかった。でも、今ならわかる。

 彼は母の死を悼んでいたのだ。

「私、びっくりして、『美味しくない?』って聞いたの。殿下は『美味しい』って言ってくださって、言いながらも泣いていたわ。変な話だけど、その泣き顔が、すごくきれいで――――」

 花びらを撫でる手が止まる。カミラの肩が震える。

 隣に座る『誰か』は、それさえも黙って聞いていた。

「泣きながらビスケットを食べるユリアンを、私、ずっと見つめていたの。泣いているユリアンさまを見ていると、私も……なんでかしら、泣けてきて。父と母に、泣いてはいけないって言われてきたのに。物心ついてから、泣いたことなんてなかったのに」

 カミラの両親は、カミラが弱音を吐くことを許さなかった。『もっと大変な人がいる』と、『父と母がいて、豊かな暮らしができて、お前は恵まれている』と言い聞かせられてきた。

 事実、カミラは恵まれていた。わがままを許され、贅沢も認められてきた。その代わり、涙をずっと禁じられてきた。呆れるほどに強くあることだけを望まれてきた。

「ユリアンさまと隣り合って、しばらく泣いていたわ。言葉なんてほとんど交わさなかったけど、それでもよかったの」

 声の震えを隠し、溢れそうになる思いを押しとどめ、カミラは息を吐き出した。頭を振り、目の奥の熱を冷ますように、強く目をつぶる。

 それからようやく顔を上げた。隣に座る、優しい男の姿を見る。

「すみません、アロイス様。また、ユリアン殿下の話をしてしまって」

「いえ」

 苦笑しながら言ったカミラの言葉を、アロイスは端的に否定した。カミラをまっすぐに見るその表情は、気後れがするほどに真摯だった。

「構いません。お話しください――――いえ」

 アロイスはそう言ってから、生真面目な顔で首を振る。視線はカミラから逸らさない。王家の証である銀の髪が、白い花畑に映え、ひどく――――きれいだった。

「お聞かせください。あなたのした恋のこと」

 カミラを見る視線は、苦しいくらいに優しい。

「あなたのことを知りたいんです」

 カミラは息を呑んだ。息苦しい。アロイスの顔が見ていられずに、また視線を伏せた。

 目の奥が熱い。吐く息も熱い。白い花がきれいだ。素直になれない感情が、素直になりたくて暴れている。

「私……私、今も料理をすることが好きなの」

「存じております」

 絞り出すようなカミラの声に、アロイスはそっと答えた。花のささやきよりも、小さな言葉のやりとりだった。

「ユリアンさまがいたから、まだ好きでいられるのよ。ユリアンさまが居なかったら、ビスケットなんて捨てて、もう二度と作らなかったわ」

 父にも母にも否定され、誰にも認められないままだったら、カミラは料理が大嫌いになっていただろう。あの日、あのときユリアン王子に会えたから、カミラは料理をすることを、ずっとずっと好きでいられる。

「お菓子を作らないのは、ユリアンさまに食べてほしかったから。子供のころと同じ味のままでいたかったの。もう一度作ったら、味も変わってしまう気がして。ユリアンさま以外には、作らないって決めていたの」

 はい、とアロイスは相槌を打つ。相槌なんてどうでもいいけど、頷くアロイスの姿は、なぜか安堵した。

「でも、ユリアンさまは、すっかり忘れてしまわれていたわ。小さなときの、たった一日のことだもの。当たり前だわ。さみしいけれど、構わなかった」

「はい」

「私が覚えていればよかったの。それだけでユリアンさまが好きなんだもの。私を忘れていても、優しくなくても、ひどい人だったとしても、私は好きだった」

 アロイスが頷いている。瞳にカミラと、白い花畑が映っている。咲き誇る花はきれいだ。アロイスの瞳もきれいだ。

「私以外の誰かを好きになっても、私を疎んでいても、どんな仕打ちを受けても、好きだったわ。好きだったの」

 リーゼロッテの手を取っても、カミラを王都から追放しても、それでもカミラは好きだった。けっして振り返らない背中を追いかけていた。最後まで振り返らなくても、いつまでも期待を捨てきれずに追いかけていた。

 だけどもう、認めないといけない。ユリアン王子はカミラを見ることはなかった。カミラの恋は叶わなかった。この後、叶うこともない。

「ユリアンさま、好きだったの」

 ぽつりとつぶやく。目の前の花の色がにじんで見える。こらえきれない涙が、目の端からあふれだす。

「本当に好きだったの」

 頬を伝い、涙がこぼれる。一度こぼれだすと止まらず、あとからあとから流れ出す。アロイスは、笑いもせず哀れみもせず、カミラを見つめていてくれた。

「好きだったわ。ユリアンさま、好きでした。好きでした。ずっと、好きでした」

 喉の奥から嗚咽が漏れる。咳き込むように息を吐くと、カミラは涙を手で拭った。拭っても拭っても、少しも収まる気配がない。

 涙が花畑を濡らす。花が涙を受け止める。カミラとアロイスの二人きり。静かな、小さな真冬の花園。

「ユリアンさま、ずっとずっと、好きでした――――――――」

 カミラはその中心で、声を上げて泣いた。



4(2)終わり

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