4(2)-10
フランツにとってのクラウスは、カミラにとってのリーゼロッテ。
カミラはユリアン王子に、ただ恋をしていたわけではない。彼の関心を得るために、必死に努力をしてきたつもりだ。
王子の目に留まりたくて、他人を押しのけ、使えるものはなんでも使った。親の権力、人脈、多少の嘘もついた。王子の好む女性になるために、ドレスを選び、飾りを身に着け、白粉をはたいた。王子の喜ぶ話題を提供できるように、彼の興味を追いかけ、勉強もした。
それでもカミラは得られなかった。どれほど渇望しても、王子の心はリーゼロッテにしか向かない。王子の好む外見ではなくとも、王子の喜ぶ話題を出せなくとも、リーゼロッテは王子を得た。
悔しくて、悔しくて悔しくて悔しくて、たまらなかった。
――――どうして私ではいけなかったの?
「あなたの身分は、フランツが欲しくて仕方のないものなのよ?」
つん、と澄まして顎を上げ、カミラはクラウスを睨みつけた。
「必死に努力して、それでも手に入れられないものなの。それを、あなたは『弟がかわいそうだから』なんて理由で捨てようとしているのよ」
誰を蹴落としてでも、見苦しいほどに求めたもの。それをクラウスは、簡単に捨てられるのだ。フランツの宝は、クラウスにとって見る価値のない、ゴミに等しい。
「あなたのやっていることは、フランツの望みを馬鹿にしているわ。レルリヒ家の当主の座、この町の行く末、町の人々。全部、無価値だって言っているようなものだわ!」
カミラは息を吸う。
大事なものだからこそ、ゴミのように捨てられる様を見たくもないし、乞食のように拾いたくもない。いつだって勝ち得たかった。望み、望まれるようにこそ、カミラはもがいていた。
「同情で譲られたって、嬉しくなんかないわよ!」
「……そう?」
クラウスは腕を組み、カミラの言葉に首を傾げた。
変化の少ないその表情から、彼の考えていることは読めない。クラウスも――アロイスも、こういう時の表情は本当に読みづらい。
「嬉しくないわけじゃないでしょう? 二番手でもなんでも、自分のものになるんだから」
「二番手なんて!」
「リーゼロッテがあんたのために身を引いたら、王子様はあんたのものになったかもしれない」
淡々とした言葉に、カミラはぐ、と息を呑む。
リーゼロッテさえいなければ。思わなかったわけではない。
「今でも王子様が好きなんでしょう? 見苦しくても、選ばれたかったんでしょう?」
クラウスはふと、いつもの軽薄な笑みを浮かべる。
自棄になったときの表情なのかもしれない、とカミラは頭の片隅で思った。
「本当に欲しいものは、どんな手を使ってでも欲しい。『どんな手を』っていうのは、そういうことでしょ」
反論の言葉が出ない。
知らずカミラは視線を落とし、頭の中で自問する。
リーゼロッテがカミラを哀れみ、王妃の座を譲ったとしたら?
王子は悲しみ、嘆くだろうが、カミラにはそれを慰めることができる。すぐには二番手のままだって、いつかは一番になれるかもしれない。希望や期待がある。
――――だけど。
自問する。
リーゼロッテがいなくなったとき、カミラは諸手を上げて喜べるだろうか?
「最初は嫌だと思っても、そのうちなんだかんだと、譲られて良かったと思うようになるよ」
クラウスは、カミラの内心を見透かしたように言った。
悔しいけれど、カミラにはなにも答えられない。きっと、クラウスの言葉通りになるのだろうと、無意識のうちに認めてしまっている。
いつまでも同じ気持ちのままではいられないもの。王子がいずれリーゼロッテを忘れたとき、カミラは無上の喜びを得ることだろう。
「俺って頭がいいから、人のそういう気持ちがすぐにわかっちゃうんだよね。俺に対してなにをしてほしいとか、どうなってほしいとか」
おどけたように肩をすくめ、クラウスは笑った。
ひどく不快な笑い方だった。
「それで、俺はだいたいその期待に応えられちゃうの。そういうやつって、道化になりがちなんだよねえ。みんなの期待に応えるために、自分を殺してさ。あいつも同じ性質だよね」
「アロイス様とあなたを一緒にしないでちょうだい!」
クラウスの卑下するような言葉を聞いた途端、悶々とした思考を差し置いて声が出た。そのことに、カミラ自身が驚いた。
クラウスに丸め込まれ、気落ちしていた思考が前を向く。リーゼロッテはいなくならない。「もし」も「でも」もない。
そもそもこれは、カミラの話ですらないのだ。
「アロイス様は道化ではないわ。――たとえ道化だったとしても、今は違うもの」
道化という言葉は、かつてのアロイスの容姿を指しているのだろう。
そういう意味では、確かにアロイスは人から笑われる立場だった。王都の貴族の間では、アロイスは『沼地のヒキガエル』として嘲笑を受けていたし、カミラだって眉をひそめていた。王族でありながら、彼は暗く醜い、日陰の存在だった。
でも、アロイスは代わろうとしている。クラウスみたいに、いつまでも立ち止まったまま、おどけているだけではない。
人の望みのために、自分で自分を殺しながら、笑っているクラウスとは違う。
「――――道化はあなただけだわ。周りの期待とか、弟ばっかりじゃない」
カミラは地面を踏みしめ直すと、再び顔を上げた。
「あなたの望みはなんなの。この町を、変えたくないんじゃなかったの!」
「……フランツの望みと、俺の望みを両方叶える手段はないんだよ」
「弟の話じゃないわ!」
クラウスの言葉を切り捨て、カミラは声を荒げる。どう考えても感情的なのはカミラの方なのに、クラウスは瞬間、反論の言葉を失ったようだ。クラウスが口の端を噛んだところを逃さず、カミラは一歩足を踏み出す。
「あなたはなにをしたいのよ! 町が大事なんでしょう!? 諦められないんでしょう!? じゃなかったら、私に泣き言なんて言わないでしょう!!」
もう一歩。カミラはクラウスの目の前に立つと、心に問いただすように、彼の胸に指を突きつけた。
「あなたにはできることがあるのよ! どうして力を尽くそうって思わないのよ!!」
カミラの頬が、感情で熱くなる。クラウスに向かって言葉を投げながら、カミラ自身も言い聞かされていた。
リーゼロッテはクラウスのように迷わなかった。誰かに譲ろうとも思わなかった。リーゼロッテもまた、本気だった。カミラと同じく、『どんな手を使ってでも』王子を手に入れようとしていた。
リーゼロッテは身を引かない。カミラがどんなに乞うたって、王子の隣がリーゼロッテからカミラに明け渡されることは起こり得ないのだ。
「……あんたって、全然論理的じゃない」
クラウスは突きつけられたカミラの手を見下ろしながら、ため息をついた。
「最初にフランツの話を出したのはあんたなのにさ。なのに、いつの間にか俺の望みの話になって……」
「なによ! 文句あるわけ!?」
「ない。――――言ってくれてありがと」
さらりと礼を言うクラウスに、カミラは拍子抜けした。聞き間違いかと眉をしかめるが、同じ言葉は二度と聞こえてこない。
代わりに、クラウスの飄々とした視線があるだけだった。
「気の強い子も、いいなあ」
「は?」
「ねえ、俺は王子様よりいい男だよ。頭もいいし、一応は貴族だし。見る目のない王子よりも、俺と結婚しなよ」
いつものクラウスの様子に、カミラは深い息を吐いた。これが本気なのか嘘なのかもわからない。おどけて見せているだけなのだとしたら、カミラの言葉なんて、クラウスにまるで届いていないことになる。
「お断りだわ」
「即答かあ」
クラウスはさほど傷ついた様子もなく、小さく頭を振るだけだった。そういうところが、即答される所以なのだ。
「当り前よ。そんな軽い求婚、悩む価値もないわ」
「俺としては、けっこう本気で君がいいと思ったんだけど」
小首をかしげるクラウスの微笑から、本心はうかがえない。軽薄なようでもあり、深く考えているように見えなくもない。
カミラは少し悩んでから、眉間の皺を深めた。どうせいつもの軽口だろう、とは思いつつ、わかりにくいクラウスの本心に向けて答える。
「それなら、余計にお断りだわ」
カミラの口調は、断固としたものだった。
「私にその気がないのなら、もったいぶって期待を残す方が残酷でしょう」
「……俺にはその気がないのかあ」
少しくらい悩んでもいいのにな、と呟きながら、クラウスは重たい息を吐き出した。