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「見苦しくて、なにが悪いのよ」
ニコルを押しのけ、カミラはフェアラートたちの前に立つ。
突然割り込んできたカミラの存在に、二人は戸惑っているようだった。自分たちに向けられた明らかな敵意に怯え、困惑する。
「な、なんですか……?」
「好きな人に好かれたいと思って、なにが悪いの。妬んで恨むことが、そんなに悪いことなの」
「ええ……?」
フェアラートもディータも震えあがっている。当たり前だ。見るからに身分の上の人間に、わけもわからないまま怒りを向けられているのだから。
だが、カミラに二人の様子は見えていない。背後から聞こえる誰かの静止の声も、耳に届かない。
頭の中に、激流のような感情だけが満ちている。冷たいくらいの熱が、カミラの唇を震わせた。
「相手が他の人を選んでも、嫉妬もせずに祝福しろって? 自分ではない誰かが傍にいることを、笑いながら見守るべきって?」
カミラはフェアラートに顔を近づける。冷や汗を浮かべる彼女の瞳を、カミラは据えた目で見つめた。
「本当に好きな相手に、自分が選ばれなくても、あなたは笑っていられるのね。でも、そんなきれいな恋なんて、私にはできないわ!」
フェアラートの顔ごしに、王宮の令嬢たちの顔が浮かぶ。叶わぬ恋に呆れ、嘲るような瞳。同じようにユリアン王子に恋をしていたくせに、いつの間にかみんな諦めてしまった。
だけどカミラだけは諦められなかった。
フェアラートは震えている。相手はただの、貴族に怯える力ない庶民。八つ当たりだとわかっている。いや、わかっていない。ここがどこで、どういう状況だったのかさえ、今のカミラには思い出せない。思考よりも先に感情がカミラを突き動かす。
本当に好きだった。だからカミラは見苦しくなったのだ。
「見苦しくても、醜くても、私は好かれたかったもの!」
――ユリアンさま。
夢中で追いかけ続けた背中が、カミラの脳裏に浮かぶ。どうにかしてカミラを見て欲しかったけれど、彼はついぞ、カミラに振り返ってはくれなかった。
思い出すのは背中ばかりだ。
「あの人の目に映りたかったの! 私が殿下の支えになりたかった! 傍に立つのが私であってほしかった! あなたはこんな気持ちを、わからないまま恋をすることができたのね―!!」
「やめなさい!」
フェアラートに詰め寄るカミラを、強い力が引き離した。カミラの夢中な声よりも、さらに響く一喝が、地下室に響く。
カミラの腕を、アロイスが掴んでいる。カミラをフェアラートから引き離し、自分の元へ引き寄せようとしている。
視線を向ければ、険しい顔のアロイスが目に映る。カミラはくしゃりと表情をゆがめた。それが、笑っているのか泣き顔なのか、あるいは怒りの形相なのかも、自分ではわからない。
「アロイス様! 私は!!」
「出ましょう。外の風にあたるべきです」
「でも!」
「今のあなたは冷静ではありません。出ましょう」
アロイスにしては珍しい、有無を言わせぬ口調だった。熱くなったカミラに対し、アロイスの手はひどく冷たい。顔をこわばらせたまま、黙ってカミラの手を引く。
「アロイス様!」
反論は聞かない。アロイスはカミラの声に返事をせず、半ば強制的にカミラを地下から引きずり出そうとする。
「……アロイス様? この方が?」
「じゃあ奥様って、まさか……」
背後から、なにも知らない若者たちの、恐怖にかすれた声が聞こえる。隠れて音楽をするよりも、ずっと恐ろしいことをしてしまったと悟ったのだろう。
だけど今さらだ。知らなかったで許せるほど、今のカミラは寛容ではない。
ぐっと奥歯を噛みしめる。知らず、感情に震える手のひらを握りしめる。自分を拘束するアロイスの背中を、カミラはくしゃくしゃの顔で睨んだ。
なにもかも腹が立って。腹が立って腹が立って腹が立って仕方がない。
地下階段の鉄扉を抜け、廃墟となった店を出て、陽が傾き始めた空の下に出る。
路地には風が吹き、ユリアン王子とリーゼロッテの讃美歌を運んでくる。背後から、ニコルが慌てて付いてきていたが、アロイスは立ち止らなかった。
「アロイス様! 離してください! 私はまだ、言ってやらないといけないことが!」
「いけません。彼らの表情が、あなたには見えていましたか」
目には映っていた。怯えていたのもわかる。カミラの怒りに戸惑い、知らずに犯していた不敬に気が付き震えていた。
「だから、なんだって言うんです!」
「あなたが憤るのも当然です。でも、彼らに悪気はありませんでした。こうなってしまったのは、すぐに彼らを制止しなかった私の責任です」
「だから、悪気がないからなんだって言うのよ!!」
アロイスの手を振り払おうと、カミラはもがいた。肉のついた体のくせに、だけどアロイスの力は強い。どれほど暴れても、離さない意思が込められている。
「悪気がないから、傷つけられても良いって言うの!? 黙って聞いてろと言うつもり!?」
「良いとは言っていません」
カミラの腕をつかんだまま、アロイスはようやく立ち止まった。
薄く雪の積もる路地。周囲には誰もいない。雪の上には、カミラとアロイスの足跡だけがある。
いまだ逃れようと暴れるカミラに、アロイスは振り返った。穏やかないつもの笑みは、浮かんでいない。静かな表情に激情を隠した――カミラと似た顔つきをしている。
「だから、私はあなたを止めました。あの青年たちのためだけではなく、私のために」
「……なによ」
アロイスの強い視線に、カミラは低い声を出した。気圧されたつもりはないが、それ以上の言葉は出てこない。逃げ出そうともがいていた腕も、今は力なく、アロイスに握られるままだった。
「カミラさん、あなたにも悪気はなかったのでしょう。私はあなたが誰を想っているかも知っています。あなたが傷つくことが想像できたのに、すぐに止められなかった私には、あなたの行動を咎める資格はありません」
でも。そう言って、アロイスが白い息を吐く。強い自制心に隠された、わずかに固い表情は、腹を立てているように見えた。
だけど、たぶん違う。
瞬きをする赤い目は、悲しそうで、寂しそうだった。
――ユリアン様なら、こんな表情はしないわ。
「カミラさん。それでも私は、あれ以上あなたの話を聞いていたくはありませんでした」
カミラを見据えたまま、アロイスは柔らかく、囁くような言葉を落とす。
「あなたの言葉に、私も傷ついています」
言葉と共に吐き出される息が、白くけぶり、冬の町に消えていく。
アロイスはそれ以上なにも言わず、カミラも口を閉ざしたまま。立ち尽くす体が冷えていく。
――ユリアン様なら。
アロイスと向かい合ったまま、カミラはぽつりと心に呟く。同じ銀髪で、同じ赤い瞳でもアロイスとユリアン王子はどこまでも違う。
――ユリアン様なら、こんなこと言わないわ。ユリアン様なら、嘘でも私を慰めてくれるもの。ユリアン様なら傷つかない。ユリアン様なら――――。
空しい比較が、カミラの胸にくすぶり続ける。
比べたところでどうにもならないのは、カミラだってわかっている。なのに気まずい沈黙の中で、カミラは二人の違いを探すように、アロイスとユリアン王子を重ねていた。
讃美歌が遠く聞こえる。
ユリアン王子と聞きたいと、カミラが何度も何度も願ってきた、祝婚歌だ。