表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/145

4(2)-6

「あれ。ヴィクトル、練習はもう終わり?」

 軽い足音共に地下へ下りてきたのは、快活そうな若い娘だった。年はカミラと同じか、少し下くらいだろう。赤茶けた髪に、少し太めの眉。あまり美人とは言い難いが、好感の持てる顔立ちをしている。

 はきはきとした彼女の声を聞いた途端、五人の若者たちの顔が弛緩する。中でも特に、ヴィクトルの緩み方は著しい。

「ミア!」

「ん。旦那様が探してたから呼びに来たんだけど……お客さん? 珍しいね」

 言いながら、ミアと呼ばれたその娘は、好奇心の強そうな瞳をカミラたちに向けた。ヴィクトルたちよりも、さらに身なりの良いカミラたち四人組をいぶかしげに見つめて、それから驚いたように目を見開く。

「……もしかして、クラウス様!? どうしてこんな場所に!?」

「うーん、探検?」

「はあ、そうですか……だから上の扉が開いてたんですね。もう、危ないなあ……今回はクラウス様で良かったけど、他の人だったら大変だよ?」

 ため息をつきながら、ミアは咎めるような視線をヴィクトルに向ける。そして、その視線を離さないまま、まっすぐにヴィクトルの前まで歩み寄った。

「自分が危ないことをしてるって、ちゃんとわかってる? 旦那様にも迷惑がかかるし、私だって――――」

「わかってる。ミア、わかってるわかってる」

 ミアに詰め寄られ、ヴィクトルは焦ったように首を振る。しかしミアの疑い深い視線は変わらず。ヴィクトルは視線を逸らしながら、どうにか誤魔化そうと口を開いた。

「ミア、そ、それより、父さんが俺を探してるって?」

「……ん。そうだった。ヴィクトル、あなた夕方から商談があるの、忘れてたでしょう。もうじきお客さんがくるのにって、旦那様がたが大慌てだったよ」

「げっ」

 ヴィクトルは顔をしかめると、見るからに慌てた様子で立ち上がった。それから、先ほどまで向き合って――いや、うなだれていた相手に気が付くと、これもまた慌てた様子で頭を下げる。

「クラウス様、すみません。お話の途中でしたけど、俺、急ぎの用で……!」

「……ああ、うん」

「すみません、失礼します!」

 言い捨てるように断りを口にすると、ヴィクトルはバイオリンを棚に戻し、大急ぎで地下を飛び出した。

「ごめんなさい、あのひと騒がしくて」

 ミアは苦い顔で、地下に残る面々に会釈をする。かくいう本人も呆れた顔で、深い息を一つはいた。

「それじゃあ、私も戻らないといけないので。失礼します」

 そう言うと、ミアもまた、ヴィクトルを追って地上へ出て行った。

 後には、呆気にとられた八人が、気まずさの中に立ち尽くしていた。



「あれが婚約者のミアなのね」

 嵐が去った後の地下室で、カミラは一人つぶやいた。

 職人らしいぶっきらぼうな喋りだが、はきはきしていて気持ちが良い。見るからに貴族の集団を前にして、物怖じしないところも気に入った。押しが弱そうなヴィクトルには、似合いの相手のように思える。

「ミアねえ。服職人のトロストさんの娘かな。昔修行に行ったことがあるよ」

 カミラのつぶやきをクラウスが拾う。腕を組んだまま、思い出すように虚空を睨むクラウスを、カミラは呆れ半分に見やった。

「あなた、なんでもやってるのねえ」

「好奇心が旺盛だからね」

 自分で言うか。

 半分だった呆れを、すべて呆れに変えて、カミラは息を吐いた。


 〇


「……やっぱり、もうやめた方がいいのかな」

 ヴィクトルとミアが去り、階段の扉が閉まる音がして、しばらく。誰も言葉を切り出さず沈黙の満ちる地下で、はじめに不安を漏らしたのはフィーネだった。

「あたしたち、いくらやっても上手くならないし――そもそもどうやったら上手くなるのかもわからないし。いつまでもこんな危険なこと」

「……そうだなあ」

 ディータがうなり、決断をしかねているようだった。救いを求めてオットーを見やれば、彼は重たく首を振る。

「はじめたころとは状況が違うし、少し考える必要があるかもしれない」

「私はやめないわよ」

 渋い顔の三人に対し、フェアラートは断固とした声で言った。三人の視線――だけではなく、聞き耳を立てていたカミラたちの視線まで受けても、フェアラートの毅然とした態度は変わらない。

「ヴィクトルのためだもの。途中で投げ出したりなんかしないわ」

 フェアラートは顔を上げ、前を向く。瞳に宿る光が、彼女の意志の強さを表していた。

 濃い茶色の髪は、女性にしては短く切りそろえられている。気の強そうな眉に、濃いめの紅を塗った唇。自信にあふれた表情。背中を伸ばし、まっすぐに立つ彼女は、凛々しい、という形容が良く似合う。凛とした美女だった。

「力を尽くしてこその仲間だわ。だってみんな、彼の結婚を祝いたい、そうでしょう?」

「……お前はさすがだなあ」

 ディータが感心したようにフェアラートを見つめる。

「もともとは、お前もヴィクトルのこと好きだったのにさ。本当に、立派だと思うよ」

「昔の話よ。忘れちゃったわ。でも、一度は好きだった人だからこそ、祝福したいモノじゃない」

 胸を張るフェアラートの言葉に、迷いはない。唇を曲げ、余裕のある笑みを浮かべたフェアラートを、フィーネが憧れるようにして見ていた。

「好きだからこそ、相手の幸せを祝うものでしょう。本当に好きなら、恨んだり妬んだりするはずがないじゃない。嫉妬なんてする程度じゃ、しょせんは子供の独占欲よ。恋なんかじゃないわ」

「すごいなあ、フェア。噂のカミラとは大違いだ」

「…………なに」

 フェアラートとディータの会話に、カミラは眉をひそめた。しかし、二人はカミラの方には見向きもしない。自分たちの会話を聞きとがめる人間がいると、思ってすらもいないようだ。

「カミラなんて、嫉妬して相手を呪って、さんざんリーゼロッテ様を貶めたじゃん? そういう人もいるのにさ」

「やだ、あんなのと一緒にしないでよ」

 フェアラートは呆れたように顔をしかめ、鼻で笑った。『嫌なものに例えられた』とでも思ったのだろう。その表情には、微かに嫌悪感が滲む。

「そんな見苦しい女にはなりたくないわ。女がみんな、あんなものだと思わないでちょうだい。だってきれいでありたいじゃない。たいていの女は、あんな薄汚い、醜い姿なんてさらしたくないと思っているものよ」

「――――ちょっ」

 と、と言いながら、ニコルがフェアラートたちに向かって足を踏み出した。

 前のめりな彼女の体を押しとどめたのはカミラだ。憤るニコルの肩を、痛むほどに強く掴む。

「奥様、止めないでくださ――――」

 そう言いながらカミラに振り返り、ニコルは口をつぐんだ。

 ニコルから一拍遅れ、フェアラートたちをたしなめようと口を開きかけたアロイスとクラウスも、声を発することは敵わなかった。

 カミラの姿を見たせいだ。


 静かなカミラの表情に、燃えるような苛烈さが浮かぶ。

 気迫に圧され、静止の言葉をかけることさえためらわれた。


 冷静さは、頭のどこを探してもなかった。

 自制心も思考も一瞬のうちに、なにもかもカミラの中から消え失せた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ