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4(2)-5

 バイオリンを持つ青年はヴィクトル。

 フルートの少女はフィーネ。

 ドラムはディータで、オーボエがオットー。

 そして、楽器を持たない娘が、歌うたいのフェアラート。


 五人は全員、ブルーメ生まれの幼馴染だった。比較的裕福な家の生まれで、教養として、王都で流行っている芸術や娯楽についての知識を持っていた。

 そのせいなのだろう。

 知識を得れば、実践してみたくなるのが人のさが。モーントン領では禁忌とされる音楽を、自分たちでやってみたくなったのだ。

 五人はそれぞれ、自分の興味のある楽器を調達し、この廃墟の地下で試行錯誤しながら奏でていた。

 師もなく、見様見真似すらもできず、文字だけを頼りに行われたその演奏は、三か月ほど続けるうちに、すっかり立派な騒音として評判となってしまっていた。


「地下を見つけたのは俺です。もともと、ここはうちの実家が出資してた店で、何年か前に廃業になったきりだったんですけど……」

 ヴィクトルは膝をつき、うなだれながら言った。聞いているのはクラウスだ。彼はヴィクトルの話に耳を傾けながら、床に転がる譜面を眺めていた。

「最初にバイオリンを見つけたのも、ここです。棚に置いてあるのがそれ。今は弦が切れて使えなくなっていますけど。他にも、よくわからない楽器がいくつかあって、それで俺が、みんなに声をかけたんです」

 はじめのうちは、自分たちで演奏するつもりはなかったらしい。見たこともない楽器に対する単純な好奇心で、音を出す程度だった。

 だが、三か月ほど前に事情が変わる。

 ヴィクトルが、結婚することになったのだ。相手は同じ町の娘。ヴィクトルの実家が重用している職人の娘だという。家の格に多少の差はあるが、どうにか両親からの許可も得られ、あとは結婚の日を待つばかりとなっていた。

「俺のために、祝婚歌を奏でたいって言ってくれたんです。この町だと、結婚のときだって讃美歌しか許されないですから」

「……讃美歌だけ?」

 しおしおと語るヴィクトルに、カミラは思わず口をはさんだ。ヴィクトルの言葉に違和感がある。

 おかしい――だってカミラは、地上で祝婚歌を聞いたばかりだ。

「祝婚歌なら、教会で歌っているでしょう? ついさっき聞いたばかりだわ」

「ああ、あれも讃美歌ですよ――あれは、王家の結婚を歌うものです。ユリアン殿下と、リーゼロッテ様の」

 カミラの肩がこわばる。反射的にアロイスに目を向ければ、彼はさっと視線を逸らした。やっぱり知っていたのだ。親切で黙っていたのだろうけど、余計なお世話だ。

 顔をしかめたカミラの様子に、ヴィクトルは気が付かない。カミラがカミラであることを知らない彼は、悪気もためらいもなく言葉を続けた。

「来年には結婚されるお二人ですから、最近はずっと練習をしているんです。町を上げて祝福をするために」

 祝福、と言っても、にぎやかに祝うわけではない。教会や家の中で、静かに王家の発展と繁栄を祈るのだ。

 モーントン領の結婚式も同じ。盛大に祝うものではなく、儀式としての側面が強い。神に誓う姿を、人前に見せるためのもの。歌はなく、私語もなく、喜び合うのは家族と共にひっそりと。これがモーントン領の伝統だ。

「みんなは、俺だけの祝婚歌を奏でてくれるつもりでいるんです。たまたま、地下の楽譜の中にそういうのがあったから」

「……ふうん」

 と相槌を打ったのは、クラウスだ。彼は落ちていた楽譜を一通り眺め終えると、どことなく感慨深そうに息を吐く。

「古いけど、先生の楽譜だ。たぶん、昔も似たような奴がいたんだろうな」

「そうかもしれません。ここって、扉を閉めるとほとんど音を通さないんです。普段は絶対扉を閉めるようにしているんですけど……誰かが出入りする時なんかに、音が漏れてしまっていたんでしょうね」

 ヴィクトルはそう言ってから、自分のうかつさを嘆くように、深く息を吐いた。

「やっぱり、もうやめた方がいいのかもしれない。みんなにも迷惑がかかるし、こんな危険なこと……」

「危険なこと?」

 クラウスが問う。ヴィクトルの青ざめた顔に浮かぶ悲壮感は、『楽譜や楽器を焼かれる』程度のものとは思えない。

「……クラウス様は、ここしばらく領都へいらっしゃったからご存じないんですね。最近の町のこと」

 ヴィクトルはうなだれた顔を上げると、誰かを探すように周囲を見回した。誰も隠れていないと知ると、今度はカミラたちを順に見やる。口を開くのをためらっているようだ。

「そんなに怖がらなくても、告げ口なんてしないよ。だいたい、なにかするなら地下に下りた時点でやってるだろ?」

「……そう。そうですね」

 安心させるようなクラウスの言葉に、ヴィクトルはおずおずと頷いた。しかし、怯えた様子は変わらず、声を落として言う。

「最近……町に自警団ができたんです。もともと、町の若い連中でやってる自警団はあったんですけど、そういうのとはまた別の集まりができて。誰も、なにも言わないけど、レルリヒ家が主導で作ったものだって、みんな知ってます」

「……ふうん」

「以前よりもずっと厳しく取り締まられるようになったんです。音楽や娯楽はもちろん、レルリヒ家のやり方に意見を言うようなことや――クラウス様を褒めるようなことをしても、引っ張っていかれてしまいます」

 静かな声が地下に響く。冷たい石室の中、アロイスとクラウスが揃って腕を組んだ。それぞれ、思うところがあるらしい。

「めったにないことですが、捕まるとき――たまに、暴行を受けている人を見ることがあります。たいてい、人通りのある場所とか、広場とかで。『抵抗したから』なんて言っていますけど――俺には、見せしめにしか思えません」

 ヴィクトルは跪いたまま、垂れた両手を握りしめる。恐怖の中に、血気盛んな若者らしい反発心がある。

「今の俺たちだって、見つかったら確実にしょっ引かれます。家族にも、ミア――俺の婚約者にも迷惑がかかります。せっかく俺のためにはじめてくれたことだし、続けたいと思うけど――――」

 けど。

 その先を言う前に、ヴィクトルの声は止まった。青ざめた顔が、さらに青ざめる。他の四人も同じだ。恐怖のにじんだ瞳が一斉に、地上へ続く階段に向けられる。


 地上から、床のきしむ音がする。開け放したままの地下への扉を、バタンと閉める音がする。

 誰かが階段を下りてくる音がする。

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