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4(2)-4

 ユリアン王子なら、とカミラは考える。


 ユリアン王子なら、カミラに対して申し訳なさそうな顔をしない。

 カミラを見ながら、自分も傷ついたような顔はしない。カミラの心を気遣ったりしない。なんということもない様子で、柔らかい言葉をかけてくるだけだ。

 効率主義というのなら、ユリアン王子も同じだった。表向きの気さくな態度の裏側で、役に立つ人間と立たない人間を選別し、必要な相手にだけ必要な表情を向けていた。

 アロイスみたいに半端なことはしない。きちんと顔を使い分けてくれた。彼の本心など知らず、恋に夢中にさせてくれた。


「カミラさん」

 アロイスの呼び声に、カミラは視線を落とした。いつもみたいに気を張って、胸を反らしたいと思うのに、体が思うように動かない。

 讃美歌が遠く聞こえる。あまり上手ではない歌は、誰かの祝婚歌らしい。障害を乗り越え結ばれた、運命の二人を歌う。こんな時に限って、歌声はいやに耳に入ってくる。

「カミラさん、帰りましょうか」

 ユリアン王子なら、そんな優しい言葉はかけない。

 アロイスが身じろぎをする気配がする。クラウスの監視を打ち切り、カミラを優先させようとしてくれているのがわかる。おろおろするニコルの所在ない手が、うつむいた視線の端に映っている。

 ――顔を上げないと。

 両手を握りしめ、カミラは息を吸い込んだ。

 そのとき。


 どん、と地面が揺れた。

 同時に、女の金切り声が響く。金属をひっかくような不快な音に、金づちで壁を叩くような音。地響きにも似た低い轟音。不揃いな音が――――店の奥、開け放した扉の先から響いてくる。

「な、なんです!?」

 ニコルが戸惑いの声を上げる。地下からの音に怯えているのは、数か月前のアインストで、魔石の暴発に巻き込まれたことを思い出したからだろうか。

 たしかに、同じ地下からの音。たしかに、地面を揺らす音量。だが、これが地震ではないと、カミラにはすぐにわかった。地震より、もっと不愉快な音だ。

 ――地下からの騒音って、まさか……。

 はっと顔を上げると、カミラは先ほどまでのためらいを忘れ、廃墟となった店に踏み込んだ。アロイスとニコルが、突然のカミラの奇行に驚き、少し遅れて付いてくる。

「どうしたんですか、カミラさん!?」

 大股で歩くカミラに追いつき、アロイスが戸惑ったように尋ねた。しかしカミラは足を止めず、肩を怒らせて前を向く。

「アロイス様、これは紛れもなく騒音だわ!」

 そう言うさなかにも、カミラの耳を裂くような、甲高い音が響く。いくつもの騒音が入り混じり、ひどい不協和音を生み出している。たしかにこれでは、眠れなくなるのも道理というものだった。

 店の奥は、耳障りな音が一層強く響く。奥の部屋に先に入っていたクラウスは、耳を押えて「こりゃひどい」と苦悶の表情を浮かべていた。

 顔をしかめる彼の傍らには、鉄の扉がついた、地下へと続く階段がある。おそらくは、クラウスが鉄扉を開けてしまったのだろう。地下からの音が、そのまま外へ流れ出してしまっていた。

 カミラはその地下階段の前まで行くと、奥に向けてあらん限りの声で叫んだ。

「―――――その、めちゃくちゃな演奏をやめなさい!!」


 王都では、音楽は礼賛される。

 音楽鑑賞は貴族のたしなみ。良い音を聞き分けることは、貴族としての価値の一つ。

 ゆえにカミラにも、音楽には一家言ある。下手とさえも言えないこの騒音に、憤りを覚えるくらいには。


 〇


 モーントン領で許される楽器は、讃美歌のためのオルガンと、その口で奏でる歌だけだ。

 音楽を奏でられるのは、特別に許可された修道女だけ。楽譜は教会で厳重に管理され、市井に出回ることはない。

 楽器を作ることは許されず、手に入れる手段はない。


 とはいえ、今はグレンツェの市場が他国へ解放されている。「いけない」と禁じたところで、手に入れる手段はそれなりにあった。



 乗り込んだ地下にいたのは、バイオリンを持った青年。フルートを取り落とした少女。小太鼓ドラムを叩きかけの大柄な青年に、オーボエに口を当てた細身の少年。それから、楽器を持たない娘が一人。

 元は食糧庫だったのだろう。壁一面を棚に囲まれた、なかなか広い地下室に、五人の若者たちが、驚愕に立ち尽くしていた。年のころは、全員が十代の後半から二十代前半。貧民街の地下にいながら、身なりや顔つきは、さほど貧しいようには見えなかった。

 棚の上には、古びた楽器がいくつか、恭しく置かれている。見たこともない譜面が、棚のあちこちに貼り付けられ、なにごとかこまごまと書き込まれている。同じようにして、床のあちこちにも楽譜が散らばっている。

 真っ先に飛び込んだカミラは、うっかり楽譜を踏みかけて、慌てて足をどけた。

「なによこれ、楽譜がめちゃくちゃじゃない! それと、奏者が楽器を落としてどうするのよ!」

 若者たちの視線が、声を荒げたカミラに一斉に向かう。フルートを落とした少女が、カミラの怒鳴り声に「ひっ」と悲鳴を上げた。化け物でも見たかのように怯えている。

「バイオリン! 弦が緩んでいるわ! ドラム! 床に直で置かない! 音が響かないでしょ! それから――」

「まあまあ、そんなに腹を立てない」

 カミラに次いで、クラウスがのんびりと階段を下りてくる。まだ耳にあの演奏が残っているのか、彼は顔をしかめ、片耳を押えていた。

「なーるほど。こりゃあ、作曲の先生としちゃあ騒音だわなあ」

「――――クラウス様!?」

 クラウスの姿に気が付くと、若者たちの誰かが悲鳴にも似た声を上げた。同時に、顔色が変わる。驚愕から恐怖へ。顔からは一斉に血の気が引き、青ざめる。

 クラウスから遅れて、アロイスとニコルが降りてきたが、若者たちは見向きもしなかった。最初に飛び込み、今も腹を立てるカミラにさえ、彼は目を向けない。

 彼らの目にはもはや、クラウスしか映っていなかった。

「く、クラウス様……こ、このことはどうか内密に」

「ん?」

 バイオリンの青年の震える声に、クラウスは首を傾げた。すすけた茶色の髪の、いかにもな好青年であるが、今は青ざめ、怯えきっている。

「もう二度としませんから! どうか誰にも言わないでください! お願いします!!」

 バイオリンの青年が膝をつくと、他の四人も次々に楽器を置き、跪いて許しを請う。その異常なほどの怯え方に、クラウスは戸惑ったらしい。

「いやいや、告げ口なんてしないよ。そんな怖がらなくても」

「ほ、本当ですか? レルリヒ家のどなたにも、黙っていただけますか!?」

「うーん……?」

 クラウスは腕を組んだ。跪く五人の姿を順繰り眺めながら、どうにも苦い顔でうなる。

 たしかに、モーントン領では音楽は禁じられている。

 だけど、見つかったところで命を取られるわけではない。楽譜や楽器くらいは焼かれるだろうが、わざわざ隠れてするくらいだ。どうせまた、その手の輩はどこからか手にするもの。

 ここにある楽器が、彼らにとって命より大切――という風にも見えない。


 ならば彼らは、いったいなにに対してこれほど怯えているのだろう?

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