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4(2)-3

 そういうわけで、町へ下りたカミラたちは現在、地下への入り口を探していた。


 〇


 しんしんと雪の降る昼下がり。どこからか、遠く讃美歌が聞こえてくる。

 人通りの少ない町はずれにあるものは、狭い路地。古い家々の壁に、色褪せた店の看板。それから、壊れたまま打ち捨てられた魔石灯。

 レルリヒ家の目も行き届かない、いかにもな貧民街の裏通り。その片隅にひっそりと建つ、すでに廃屋となって久しい小さな食堂の前に、カミラとアロイス、ニコル、クラウスの四人は立っていた。


「――もう! 奥様をこんな場所に連れて来るなんて!」

 ニコルが店の中を睨み回しながら、何度目かの不満を口にした。

「まあまあ、ちびちゃん。そう怒らない」

「ちびって言わないでください!」

 小さい体を怒らせて、ニコルがクラウスに叫ぶ。しかし、当のクラウスはまるで気にした様子もなく、涼しい顔で店の中を覗き込む。

 両開きの店の扉は、どちらも蝶番が壊れていて、開け放たれたままになっている。店にはもちろん灯りなどはなく、開け放たれた入り口から差し込む光だけが、店の中をうすぼんやりと浮かび上がらせていた。

 向かって右手に見えるカウンターには、深い埃が積もっている。朽ちかけた椅子やテーブルが転がり、床板が所々剥げていた。カウンターの奥には、厨房へ続く扉が一つ。入り口から向かって真正面には、おそらくは住居になっているであろう、店の奥へ続く扉が一つある。

 無人の家屋に入る後ろめたさから、入り口近くでまごまごする三人を置いて、クラウスはためらいなく屋内へ足を踏み入れる。興味深そうにあたりを見回し、どことなく浮かれた表情をするクラウスに、カミラは顔をしかめた。

「楽しそうね」

「こういう冒険は、男の子の夢ってやつだよ」

「冒険ねえ……。あなたが本当に貴族の息子なのか、疑いたくなるわ」

 身軽すぎると言うべきか、軽率というべきか。こんないかにも怪しい場所に、護衛もつけずに足を踏み入れるなんて、まっとうな貴族令息のすることではない。

「それに、あなたって町の人とも……かなり親しいみたいじゃない」

 カミラはそう言いながら、クラウスに案内され、町を歩いていた時のことを思い返す。

 はじめ、クラウスはまっとうにカミラたちに町を見せて回っていた。ブルーメの町の大通りや、商店の並び。通りに沿った並木には、春には一斉に花が咲くという。

 だが、今は冬の盛り。枯れた木々には雪が積もり、にぎやかなはずの通りにも、ほとんど人はいなかった。

 そんな中で、カミラたちがすれ違った、数少ない町の人々。その誰も彼もクラウスの知り合いだった。

 偏屈そうな学者風情の男に、気風も恰幅もよい婦人。子供たちの集団から、浮浪者じみた老人まで。クラウスは誰に対しても親しげに声をかけ、かけられていた。

 いや、ただ親しいだけであれば、カミラも言葉を濁したりはしない。アロイスにだって、グレンツェの孤児院のような、身分違いの交流はある。カミラだって王都にいたころ、平民の格好で町へ出て、町の人々と親しんだりもしたものだ。

 だが、クラウスは、カミラやアロイスの行ってきた交流とはいささか違いがある。

 相手が多岐にわたるというのももちろんだが――。

「会う人会う人に『先生』なんて呼んで。あなた、町でなにしていたのよ」

 町の人に出会うとき。クラウスの第一声は必ず「先生」だった。大人でも子供でも、浮浪者だってお構いなしだ。どう見ても教師の類には見えない人間たちへ向けられた敬称に、カミラは違和感を覚えずにはいられなかった。

「うーん。教え子?」

 カウンターの中を覗きながら、クラウスは軽い調子で言った。一人家探しをするクラウスに、ためらいは見えない。なにが出て来るかもわからないのに、呆れた怖いもの知らずである。

「……教え子って、なんの」

「最初にあったおじさんが、劇の脚本の先生。次のおばさんが踊りの先生。そのあとのがきんちょたちがいたずらの先生。で、最後のおじいちゃんが、詩と作曲の先生」

「禁忌だらけじゃないの!」

 クラウスの上げた言葉たちに、カミラはぎょっとした。どれもこれも、モーントン領では禁じられた娯楽ばかりだ。演劇は領内での開場を禁じられ、舞踏会が開かれることもない。子供は恭順を良しとし、いたずらなどはもってのほか。そして、モーントン領において許される歌は、子守歌か王家への讃美歌のみだった。

 禁じることができなかったのは、生活に根差した食事という道楽のみ。元流刑地という土地柄、罪を贖い、身を清めてきた風習が、未だ根付いているのだ。

 こんな環境、カミラだって良いと思っているわけではない。しかしそれは、外から来たカミラだからこそ思うこと。土地の人間にとっては、当たり前のこと――だと思っていた。

「どんなに禁じても、人の心から楽しみを奪うことなんてできないよ」

 そう言うと、クラウスは唇に手を当てて、いたずらっぽく片目をつぶった。

「でも、このことは内緒だよ。誰かに知られたら、先生たちに迷惑がかかるからね」

「告げ口する気はないわよ。……私も人のこと言えないし」

 両親の目を盗み、隠れて料理をしていた身であるカミラに、彼らを咎める筋合いはない。

 そもそもカミラには、彼らが悪いことをしているとも思えない。カミラの料理とは異なり、歌や踊りなど、王都ではむしろ歓迎されているものだ。観劇、音楽鑑賞、文学をたしなんでこそ、優れた貴族とされていた。

 アロイスだって、こんなことで腹を立てるほど、料簡りょうけんの狭い男ではないとカミラは知っている。わざわざ隠れてしていることを暴き出し、咎めたりはしないだろう。

 となると、残りは――――。

「迷惑をかけられているのは、奥様とアロイス様の方ですが!」

 口を曲げて怒るのは、ニコル一人だ。どうにもニコルは、クラウスと相性が悪いらしい。生真面目が過ぎるニコルと軽すぎるクラウス。水が合うはずがないのだ。

「その先生とやらのせいで、奥様がこんな寂れた場所に来る羽目になったんですよ!」

 肩を怒らせて叫ぶニコルに、クラウスは薄ら笑いを浮かべた。その馬鹿にしたような態度が、ますますニコルをいら立たせる。

「なんで奥様が、地下の騒音さわぎなんて解決しないといけないんです! 解決を押し付けられたのは、あなたじゃないですか!!」


 そういうわけである。


 〇


 すべての原因は、最後に会った浮浪者風情の老人が漏らした、地下から響く騒音の噂のせいだった。


 ブルーメの北端。貧民の住む寂れた路地裏で、奇妙な物音が聞こえるらしい。

 それが、ここ最近、町の人々の間で密かに囁かれている噂だった。


 物音は昼となく夜となく、不規則に響き渡る。音はくぐもっていて聞き取りにくいが、どうやら地の底から聞こえてくるようだ。金づちで壁を叩くような音や、金属をひっかくような不快な音。誰かの金切り声に、耳を裂くような甲高い音。正体不明の音たちに、意味がある響きはない。ただただうるさく、不愉快なだけだった。

 意味をなさないその物音は、地下に閉じ込められた幽霊の嘆きだとか、異形の化け物の鳴き声。あるいは町に潜む悪人たちの宴だとも囁かれていた。


 不快な音に悩まされた、貧民街に寝床を持つその老人は、クラウスを捕まえるなり言った。

「どうせたいした理由じゃない。お前たちで調べて来い」

 忠実な教え子のクラウスは、老人の指令を受け、面白半分に騒音の解決に乗り出した。町の人々を捕まえて、噂話を聞き出し、町のあちらこちらを歩き回る。

 案内人がこうなった以上、しかたなくカミラたちも付いて行き――。


 たどり着いた先がこの朽ちた店なのだ。


 〇


「奥様、やっぱりやめましょうよ。危険ですよ、こんな得体のしれない場所。あんな人ほうって、アロイス様と戻りましょうよ」

 ニコルはカミラを見上げ、すがるように言った。カミラへの心配や、クラウスへの反発もあるだろうか、彼女は案外、なにより自分が怖いから帰りたがっているのかもしれない。

 だが、カミラはニコルの切実な視線に肯定を返せない。

 ――だって屋敷へ帰るとなると、アロイス様と一緒じゃない。

 ニコルはアロイスの前では、使用人として一歩引いた態度をとる。賑やかしのクラウスがいなくなれば、アロイスの話し相手はカミラだ。どんなことを話せばいいのか想像もつかないし、逆になにも話さないのであれば、それはそれで気まずい。

 それなら、クラウスと共に騒音さわぎを追いかけた方が、気持ち的に楽だった。それに案外、町の人たちに聞き込みをするのは楽しかったし、普段であれば行くことのない店や場所に赴くのも興味深かった。

 カミラがまだ王都に暮らしていたころ。悪い侍女に連れられて、町を歩いていたときを思い出す。あのときは平民の姿をして、今よりももっと怖いもの知らずだった。思えば、危険なことをしていたものだ。

 しかし、そんなカミラでも、廃墟に踏み込むのはためらわれた。カミラ一人だったらまだ良いが――いや良くないが、とにもかくにも自己責任。だが、今はニコルとアロイスがいる。怖がるニコルを無理に連れ込むのはかわいそうだし、なによりアロイスの身になにかあっては大変だ。ここは気まずさを耐えて、アロイスと共に戻るべきだろうか。

 ――気持ちとしては、戻りたくはないけれど……。

「……アロイス様、いかがします?」

 できれば戻りたくない。という気持ちを声に込めながら、カミラはそっとアロイスを覗き見る。アロイスはカミラに視線を返し、当然と言わんばかりにうなずいた。

「行きましょう」

「はい……――――はい?」

「地下室を探しましょう。この店にあるはずなんでしょう?」

 カミラは瞬いた。てっきり、アロイスは「帰ろう」というとばかり思っていた。だってアロイスは領主である。おまけに今は護衛もなく、そもそもこんな寂れた店の前にいることだっておかしいのだ。

「危なくないですか? 下になにがいるかわからないんですよ!?」

「まあ、なんとかなりますよ。騒音の元も気になりますし」

「なんとかなるって、もし変な人間でもいたら!」

 軟弱なクラウスと、痩せたてのアロイス。どう考えても、いざというときになんとかできるとは思えない。もちろんカミラに身を守る力なんてないし、なんなら腕力だけであれば、ニコルが一番強いくらいだ。

「――――そいつは帰らないよ」

 困惑するカミラに対し、店の奥からクラウスの声がかかる。

「だって、俺の監視だもん」

「……監視? どういうこと?」

 理解の追いつかないカミラに、奥の部屋に入りかけていたクラウスが振り返る。遠目から、首をかしげるカミラと、困ったようなアロイスを見比べる。

 アロイスの顔には、彼が良く浮かべる苦笑があった。なにかを誤魔化しているときの表情だ。

 クラウスは、少しためらうように口を曲げた後、やれやれ息を吐く。

「そいつの目的は、あんたと町を見ることじゃなくて、俺の方。俺を安心させるために、わざわざ護衛も遠ざけたんだろ。そいつくらいの魔力があれば、多少の危険はなんとかなるし」

 再び口を開いたクラウスの顔には、いささか底意地の悪さが見えた。

「監視は親父にでも頼まれたんだろう? で、親父は俺の行動が当主にふさわしくないって、そいつに見せつけるつもりなの。自分じゃ伯母さんを説得できないから、もっと上の人間を引きずり出したってわけ」

 カミラはクラウスから、ゆっくりとアロイスに視線を移した。彼はばつの悪そうな顔で、申し訳なさそうにカミラを見ている。

「すみません。でも、カミラさんを外に連れ出したかったのも本当です。こういう機会でないと、今はなかなかお話をできませんから」

「すっげー効率主義でしょう。俺も騙して、あんたも騙して。そいつはそういう奴なの! だから俺は、そいつが大嫌いなんだよ!」

 吐き捨てるようなクラウスの言葉に、アロイスはくしゃりと顔をしかめた。その表情に浮かぶのは、寂しさや悲しさと、一種の親しみを孕んだ――なんだろう。同情、だろうか。

「……お前は本当に、いい男だな」

「男に言われたって嬉しくねーよ」

 けっ、と喉を鳴らすと、クラウスは一人で部屋の奥まで入っていった。

 アロイスがついて行こうと店の中に足を踏み入れ、立ち止まってカミラに振り返る。

 なにも言わないアロイスを、カミラもまた、黙って眺めていた。


 気まずいと思っていた。

 二人きりにはなりたくないし、言葉を交わすのも避けていた。


 だけどたぶん、今のカミラは落胆している。

 身勝手な自分の感情が、カミラには理解できなかった。

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