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レルリヒ家の屋敷は、町の中央部から外れた高台の上にある。屋敷の上階からは町を見渡すことができ、手のひらを広げたような町の形と、町に入り組む花の木々。そして、町の外に広がる花畑を一望できる。
とはいえ、今は冬の盛り。木々は裸で、花畑には雪が積もる。レルリヒ家の裏手に広がる花畑も同様で、寒々しい枯れ地があるだけだ。
花の町ブルーメも、今は冷たい雪の町。町は冬の静寂に沈み、春一番の開花を待つばかりだった。
〇
二階の客室で、カミラはぼんやりと外を見ていた。空の色は重たい鼠色で、雪は絶え間なく振り続ける。
同じ部屋で、ニコルが忙しなく荷ほどきをしている。ときおり目の端に映るニコルは、相も変わらず不器用で要領が悪い。いつもなら、じれったさに「私にやらせなさい!」と仕事の横取りをするところだが、今のカミラはどうにも気力がわかなかった。
原因は、到着早々に行われた、レルリヒ家との挨拶に違いない。
少し前に行われた顔合わせを思い出し、カミラは眉間に手を当てた。知らず、ため息も出てくる。
レルリヒ家は、ゲルダとクラウスを擁する、業の深い一族だ。
顔合わせの際には、当主ルドルフと、彼に近しい家族を紹介された。
当主ルドルフとその妻。二人の息子である長男クラウスと次男フランツ。ルドルフの姉であるゲルダと、兄であるルーカス。
たった六人と挨拶を交わすだけで、カミラはどこまでも疲れてしまった。
――ゲルダがいるってだけでも気が重いのに……。
跡継ぎ問題をこじれさせる一端のゲルダは、現在は休暇をもらい、レルリヒ家に帰省中だった。アロイスが跡継ぎ問題を解消に来ているのに、主要人物たる自分が蚊帳の外になるわけにはいかない、ということなのだろう。ゲルダが預かるモンテナハト家の膨大な仕事は、家令のウィルマーと、ゲルダの腹心の部下たちが、目が回るような心地で処理しているはずである。
だが、ゲルダがこうにも力を尽くす相手は、放蕩者のクラウスなのだ。
カミラは眉間の皺を深くした。思い返すにつけ、憂鬱になる。
――こじれるのもわかるわ。
クラウスは、あまりにもふざけ過ぎだ。あろうことかあの男、挨拶の場で――アロイスのいる前で、カミラを口説こうとしたのだ。
激怒するルーカスと、けろりとしたクラウス。フランツの嫌味に、嫌味を返すゲルダと、頭を抱える無力なルドルフの姿。うんざりしたような、アロイスの苦笑がよみがえる。
――当主が当主としての役割を果たせていないんだわ。
代わりに力があるのが、彼の兄姉であるルーカスとゲルダなのだ。クラウスとフランツはいわば二人の代理戦争。兄姉に頭の上がらないルドルフは、どちらを選ぶこともできずにいた。
――これからしばらく、この状況の中にいないといけないのね。
これまでのような、カミラ自身に向けられる敵意とは、また別の居心地の悪さがあった。
声を上げても解決できない。単純な好悪では線の引けないこの状況は、カミラのもっとも苦手とするところだった。
〇
ニコルの荷ほどきが終わった頃、カミラの部屋にアロイスが訪ねて来た。
「カミラさん、町へ下りてみませんか?」
アロイスは扉の前に立ったまま言った。中でゆっくり話をする気はないらしい。これから、すぐにでも出かけるつもりだろうか。着ている服も、すでに身軽なものになっている。
「ブルーメは、他の町とはまた違った空気があります。普段の散歩の代わりに、いかがでしょうか」
「……ええと」
返事を濁しつつ、カミラはためらうように視線を迷わせた。町を歩いてみたいとは思う。知らない町を見て回るのは好きだし、気分転換もしたい。この屋敷にいると、息が詰まりそうだった。
だが、即答ができない。アロイスと二人で外を歩くとなると、どうしても思い出してしまうのだ。
婚約を考えてほしい――ここしばらくカミラを悩ませ続けている言葉を。
アロイスは、カミラの内心を察したように、口元を緩めた。
「大丈夫ですよ。クラウスに案内を頼みましたから。今は、外の空気を吸った方がよいでしょう」
「クラウスですって?」
思わずカミラは声を上げた。それはそれで問題があるのではなかろうか。今回の騒動の中心人物である。
アロイスの立場的に、どちらかに肩入れをするのは良くないのではないだろうか。と真面目に思う一方で、実に個人的な事情で、カミラはクラウスの同行に気が進まない。
どうにもカミラには、クラウスに対する苦手意識があるのだ。
原因は、軽薄さや無礼さだけではない。クラウスの話し方や仕草が、どうしてもユリアン王子を彷彿させるせいだった。顔立ちも性格も似ていないのに、ふとした瞬間の視線が、表情が、線の細い横顔が重なる。
――外には出たい。断る理由もないし……でも……。
渋い顔で悩むカミラに、背後から救いの声がかかった。
「奥様、お出かけですか? 外は寒いので、ちゃんと肩掛けを羽織ってくださいね」
ニコルだ。
どこからか引っ張り出した肩掛けを手に、駆け寄ってくるニコルの手を、カミラは反射的に捕まえた。助かった。
「ニコル! ニコルも一緒でいいですか!」
「えっ」
驚くニコルには、悪いと思っている。しかし、今のカミラには救いが必要なのだ。
「荷ほどきも終わったでしょう。あなたも気分転換よ。――アロイス様、いいですか?」
「構いませんよ。人数が多い方が、にぎやかで楽しいですから」
快諾するアロイスに、カミラはほっと息を吐く。「ありがとうございます」と言ってアロイスに向けた表情は、安堵と後ろめたさがないまぜになった、カミラらしからぬ苦笑だった。
カミラに返したアロイスの笑みも、不安の混ざった固いもの。互いのぎこちなさに気が付いていながら、カミラにもアロイスにも、今はどうすることもできなかった。
ニコルだけが不可解そうに、アロイスとカミラを見比べていた。