表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/145

4(2)-1

 カミラを乗せた馬車は、ブルーメへ向かう雪道を駆けていた。

 馬車から窓の外を見れば、見渡す限りの雪景色がある。なだらかな丘陵と、枯れた広葉樹。凍った川の上までも、柔らかい雪が降り積もる。

 これでも、他の土地に比べれば雪は少ない方だった。ブルーメのあるモーントン領西部は、領内では最も気候の穏やかな土地。冬の寒さは厳しくなく、夏の暑さは激しくなく、瘴気が濃くなることもない。瘴気を放つ沼地は稀で、あちらこちらに森があり、獣たちが暮らしている。モーントンでは数少ない、農業地帯でもあった。

 もっとも、今は田畑も枯れている。草木の芽吹く春までは遠い。

 延々と続く雪景色を見ながら、カミラは一人ため息をついた。

「ご気分が優れないみたいですけど、大丈夫ですか」

 同じ馬車に乗るニコルが、心配そうにそう言った。尋ねておきながら、彼女はカミラの返事を待たず、荷物の中からひざ掛けを引っ張り出そうとしている。

「ああ、いえ、大丈夫。長旅だから疲れただけよ」

 領都からブルーメまでは、馬車でほぼ半日かかる。おまけにこの雪道だ。平時以上に時間をかけた旅は、旅慣れしない人間には辛いものがある。

 領都を出たのが昨日。途中の町で一泊し、二日間かけた馬車の旅。腰の据わらない道のりに、疲れが出るのも無理はない。

 しかし、ニコルはどうにも疑わしげだ。

「本当にそれだけですか? 昨日の夜、宿に泊まった時も部屋にこもりがち、元気がありませんでしたし……」

「……そうだったかしら」

 窓の外に目を泳がせながら、カミラはうそぶくように言った。じとりと見つめるニコルの視線が、どうにも痛い。

「そうですよ。いつもの奥様だったら、すぐにあちこち見て回るって言いだしそうなものですのに――」

「奥様って言わないで!」

 思いがけず口から出た言葉に、ニコルもカミラ自身も驚いた。慌てて口を押えるカミラを、ニコルは目を丸くして見ている。

 今までも、ニコルはさんざんカミラのことを「奥様」と呼んできた。はじめのうちは否定していたカミラも、そのうち面倒になって、否定する回数も減った。

 最近では、もうすっかり慣れてしまい、ニコルの呼ぶに任せていたのだ。

 久しぶりの否定の言葉は、思いがけず強い響きだった。ニコルは二度三度と瞬き、それから、先ほどよりもさらに気づかわしげな表情を浮かべた。

「本当に、ちょっとご様子がおかしいですよ。……ブルーメに行くっていうお話をいただいたときくらいから。私に、『どうしてもついてきてほしい、ずっと一緒にいてほしい』なんておっしゃって。馬車だって、本当はアロイス様と乗るはずだったのに」

 そう。本当はカミラは、アロイスと共に貴人用の馬車に乗るはずだった。それをどうしても拒んだ結果、カミラはニコルと馬車に乗り、アロイスは彼の従者とともに、男だらけの馬車に詰め込まれる羽目になった。悪いとは思っている。

 ちなみに、アロイスの従者の中には、料理長のギュンターもいる。一応、クラウスの上司ということで付いてきているそうだ。クラウスの口車に乗せられ、「ユリアン殿下が好き」と言い放ってしまって以来、カミラは彼とも顔を合わせづらい。

「それは、あなたは私のたった一人の侍女なのだし」

 カミラはばつの悪さを隠すように、眉根を寄せてニコルに顔を向けた。

「それに、なんというかこう、居心地が悪いというか……心細くて。誰かに傍にいてほしいのよ」

 口を濁しながら、カミラは小声でつぶやく。ふやふやの語尾は、馬車の揺れで上手く聞き取れない。ニコルはますます顔をしかめ、心配さをあらわにした。

「やっぱり、いつもの奥様らしくないです」

 む、とカミラは口をつぐんだ。カミラ付きの唯一の侍女として、数か月を過ごしてきたことはある。ニコルは良くカミラを見ていた。

 ニコルの、ともすれば無礼な言い草に、言い返さないことも、腹を立てないことも、普段のカミラならばあり得ない。それでもなにも言えないのは、彼女の言葉が的を射ていたからだ。

 ――だって、どんな顔をすればいいのよ。

 婚約をしてほしい――アロイスにそう言われたとき、カミラは返事ができなかった。否定も肯定もなく立ち尽くすカミラに対し、アロイスは「返事は今でなくとも良い」と言ってくれた。

 だけど、今でないならいつ返事をすればよい? 返事をしないまま、アロイスと平気で顔を合わせられるのか?

 なにより――カミラ自身は、どう答えるつもりでいるのか?

 それが、一番わからない。


 このまま、いつまでも返事をしないわけにはいかない。いつかは決断しなければいけない。答えを出さないまま、アロイスを待たせていることだって後ろ暗い。

 いつだったか、カミラがアロイスに向けて行った「不誠実だ」という言葉。それが、そのままカミラ自身に向けて返ってくる。

 今のカミラは、アロイスに対してひどく不誠実だった。


 ぐるぐる悩み、逃げる自分が自分らしくないことは、カミラ自身でわかっている。

 だけど体は自然とアロイスを避けるし、心はいつの間にか、ぐるぐると考えてしまっていた。

 アロイスへの罪悪感。ユリアン王子への恋心。カミラ自身の激情と、良心の呵責。恨み。妬み。その先にひそむ心の奥底。収集のつかない無数の感情が、カミラの思考を惑わせる。

 ぐるぐるぐるぐる。

 めまいがしそうだ。




 馬車の車輪が、石畳に乗り上げた。

 その振動に顔を上げ、カミラは窓の外を見る。


 白塗りの壁に三角の灰色の屋根。白と灰の二色の街並みが見える。

 一見簡素な造りの家々は、だけどよく見れば、実に瀟洒しょうしゃなたたずまいをしている。白と灰には、窓のガラスがアクセント。わざと塗り残した白漆喰から石のレンガが顔をのぞかせ、遊び心を見せている。単調なのに、ひどくセンスが良い。

 屋根に積もった雪さえも計算されているのだろうか。屋根から下がるつららが光り、幻想的な空気を醸し出していた。

 アインストの生真面目な画一さとも、グレンツェの雑多なにぎやかさとも一線を画す。こざっぱりとして軽妙な、洒落た町。


 ここが、レルリヒ家の配下にある、花と香水の町――ブルーメだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ