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4(1)-7

 レルリヒ家当主、ルドルフ・レルリヒには二人の息子がいる。


 一人は放蕩息子・クラウス。

 年は二十。ひねくれ者の遊び人で、ルドルフが手を焼く厄介者だ。いつも町へ出て遊び呆け、家へ帰らない日も多い。貴族としての勉強は投げ出すが、楽器や読書、詩歌といった、モーントン領では禁忌の娯楽には熱心に手を出す。常に人を食ったような態度であり、それは目上の人間相手にも変えることはない。他家の貴族や年長者に軽薄な態度で接し、相手を怒らせるのが彼の得意技だった。

 父であるルドルフが何度注意しても聞くことはなく、逆に彼を怒らせるばかり。ついに匙を投げられ、クラウスがレルリヒ家を追い出されたのは二年前。そのままモーントン領を出ようとしたところを、アロイスに熱心に引き留められ、現在はモーントン領にいる。


 もう一人は、生真面目で勉強熱心な次男・フランツ。

 クラウスより一つ年下のフランツは、兄を鏡にしたような性格をしていた。実直、勤勉、そして、貴族としての誇りを強く持つ。年長者を敬い、歴史と伝統を尊び、人の上に立つ者としての覚悟がある。

 決断を迷わず、処断をためらわず、多数のために少数を捨てられる。親類からの信頼も厚い、貴族の理想的な跡継ぎだった。

 実際、ルドルフはフランツを跡継ぎに据えたがっている。いささか我が強く、思い込みの強いところはあるが、それを差し引いても、彼はクラウスよりも優秀で、御しやすいように思われた。


 だが、いまだフランツはレルリヒ家の正統な後継者とはなっていない。

 ルドルフの姉・ゲルダが、強く反対をしているからだ。


 ○


 厨房を追い出されてから数日後。

 料理の練習もできなくなった現在。娯楽の類もほとんどないモーントン領において、カミラができることはますます少なくなった。

 自室でぼんやりするのは性に合わないし、ニコルとおしゃべりばっかりしていても落ち着かない。そうなると、あとはアロイスから領地の知識を学ぶくらいしかなくなってしまう。

 おかげさまで、カミラはこのごろのレルリヒ家の事情に詳しくなった。レルリヒ家二人の兄弟や、彼らを取り巻く環境。人望やその他。アロイスはできる限り客観的に伝えようとしていたが、口ぶりからどうやら、クラウスに肩入れしているらしい、とわかってしまう。

 カミラには、どうしてアロイスがクラウスを気にかけるのかがわからない。カミラから見れば、クラウスなどだらしがないし、いい加減で無責任な男にしか思えない。

 いくら跡を継がないからと言って、家名がある限り悪評は家に向かう。ふざけた態度でいれば、迷惑がかかるのは家族や、家に仕える者たち。そして、彼をかばうアロイスだ。

 ――などと、カミラが人のことを言えた義理ではないのだが。


 ――いやいや、あんな男のことを考えてどうするのよ!

 アロイスとの勉強会を終え、自室へ向かう道すがら。アロイスから教え込まれたレルリヒの知識を反芻していたカミラは、慌てて頭を振った。

 ――そもそも、どうしてこの土地の勉強なんてしているの! まだ、結婚すると決まったわけでもないのに!

 アロイスがキスをできるほどいい男になるまで、結婚の話は保留だった。痩せたとはいえ、まだまだ人よりは太いアロイス。どうにかしてあの無駄な肉を、筋肉に変えなくてはならないのだ。

 ――とにかく運動をさせないといけないわ。

 七か月以上をモーントン領で過ごしたが、カミラは一度たりとも、アロイスが体を鍛える姿や、走り込んでいる姿を見たことがない。急いでいるときや慌てたときには、さすがのアロイスも走ることがあるけれど、すぐに息切れをしている印象だ。思えば、馬に乗る姿すらも見たことはない。これまでの体重では、そもそも乗れる馬が居なかったせいもあるだろう。

 なんにしたって、アロイスは明らかに運動不足だ。勉強会で目を輝かせる姿を見るに、きっとそもそも、外に出るより部屋にこもる方が好きなのだろう。

 もったいない、とカミラは思う。剣の一つでも振ってみれば、様になるかもしれないのに――いや、剣を振れるなら、あんな体にはならないか。

 ――次に会うときに、散歩に誘ってみようかしら。

 いきなり走り込みなんてしても体力はもたないだろうし、まずは外に出ることから始めるべきだろう。

 それから、ゆっくりと体を引き締めていこう。時間をかけて、ゆっくり、ゆっくりと。

 決断の時を、先延ばしにするように。


「だからあ、何度も言ってるじゃん。俺は跡を継ぐ気はないって」

 カミラの思考を破ったのは、いら立ったような男の声だった。

「そういうのは、弟に全部任せてきたの。あいつも継ぐ気でいるんだし、余計な口出すことないって」

「無能にレルリヒ家を継がせるわけにはいきません」

 次いで聞こえた淡々とした声に、カミラは反射的に身を隠した。

 モンテナハト邸の廊下。人通りは多くないが、誰もが通りうる場所で、堂々と話をするのは、クラウスとゲルダだった。

 相手は使用人二人。カミラはその主人の――とりあえずは客人。隠れる立場ではまるでないが、苦手な人間二人を前に、口惜しくもつい怖気づいてしまった。

 廊下の曲がり角の影、ぴたりと壁に張り付くカミラを、掃除をしているメイドが奇妙そうに見ている。

 カミラ自身、傍から見ればおかしなことをしているとはわかっている。別の道を通って自室に戻ればいいだけなのだが、なんとなくそれも癪なのだ。

 こんなことをしているから、聞き耳ばっかり立てる羽目になるのである。


 そんなカミラには気が付かず、ゲルダとクラウスは険のある会話を続けていた。

「無能ってさ。伯母さんはただ、あいつは伯母さんの言うことを聞かないから嫌なだけでしょ。あいつは親父と違って、我が強いからね」

 クラウスはいつものように薄ら笑いを浮かべているが、不愉快さを隠しきれていないようだった。対するゲルダの方は、カミラのいる場所からでは背中しか見えない。だが、伸びた背筋と、抑揚のない声音は、普段のゲルダと何ら変わりないように思えた。

「でも、俺が跡を継いだって、伯母さんの言うことは聞かないよ。陰気な町なんてやめて、毎日お祭り騒ぎにしてやる」

「私の言うことを聞かなくても、お前なら上手くやれるでしょう」

「そりゃどうも」

 へらへらと笑いながら、クラウスは嬉しくもなさそうに会釈をする。

 それから、これで話は終わりとでも言いたげに、クラウスがゲルダの脇をすり抜けようとしたとき。

 彼女は相変わらない、感情のない静かな声で言った。

「フランツはブルーメで、内密に私兵の増強をしているそうです」

「は?」

「野心家の兄にでもそそのかされたのでしょう。あれはブルーメを恐怖で統治するつもりでいます。町の若者を脅して私兵に引き入れているとか、反対派は私刑をしているとの話も。表立った話ではありませんが、仮にもあれはレルリヒ家の人間。内密にするくらいの知恵はあるでしょう」

 クラウスはゲルダに振り返ったまま、足を止めている。ゲルダの声音は落ち着き払っているが、饒舌さに彼女の感情が垣間見える気がした。

「あれはブルーメをアインストに作り替えるつもりでしょう。魔石の利益と固い一枚岩を、長らくうらやんでいたようです」

「……あの町は、そういうの向いてないだろ」

「それがわからないから無能というのです」

 会話の内容はひどくきわどい。人に聞かれて良いものだろうか。

 そう思うカミラとは裏腹に、クラウスもゲルダも声を荒げないものの、人目をはばかるそぶりはない。実際、彼らの横を忙しそうな使用人が、何人か通り抜けていく。

 ――告げ口が怖くないのかしら。

 きっと、怖くないのだろう。クラウスを跡継ぎに据えたい彼女にとっては、現状は声を大にして反対を唱えるべき立場だ。今さら告げ口の一つや二つで、なにかが変わるわけでもあるまい。

 それに、カミラに対する敵意だって、堂々としたものだった。モンテナハト家における盤石な地位を持つ彼女に、恐れるものはないのかもしれない。

「そりゃ、俺は天才だけどさあ。伯母さんの思う通りにはならないよ。あんたがなに考えてるかは知らないけど、納得しなければ対立だってしちゃうよ」

「構いません。私がいなくともレルリヒのためになるのであれば。……対立する有能はたしかに厄介ですが」

 ゲルダが息を吐く。少しの間。背筋を伸ばしたまま、彼女はクラウスに少しだけ振り返る。

 陰気で光のない――だけど覇気のある視線が、カミラの隠れる廊下の角をかすめた。カミラを睨んだ訳ではないが、それでも心臓が縮み上がる。

「我の強い無能はただの害悪です」

 それだけ言うと、ゲルダはこれで話が終わりだと言うように、前を向きなおした。別れの挨拶もないまま、彼女は廊下の奥へと歩き出す。

 残されたクラウスは一人、ゲルダの背中を見て肩をすくめた。一つ息を吐くと、ゲルダとは反対方向に歩き出す。

 つまりは、カミラのいる方である。


「……なにしてんの?」

 曲がり角。逃げる機会を逸したカミラを見つけて、クラウスは呆れたようにつぶやいた。

 それはもう、ひどく気まずかった。

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