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4(1)-2

 カミラがモーントン領へきて、七か月目。モーントン領は、冬の盛りにあった。

 ゾンネリヒトの北端に位置するモーントン領は、王都に比べて寒さが厳しい。領都周辺はさほど雪は多くないが、湿地帯が多く、湿度の高いモーントン領は、全般雪が多かった。


 ――アインストは大丈夫かしら。

 カミラがアインストから、領都の本邸へ戻ってきたのは、十数日前のことだ。

 アインスト地下の魔石鉱脈を調べ終え、復興の足掛かりも整えば、アロイスがいる必要もない。グレンツェと領都の人員をいくらか残し、アロイスはカミラともども、アインストから引き上げた。

 そのアロイスは、領都に帰ってからずっと執務室に閉じこもり、たまりきった仕事を片付けている。この冬が終われば、春と共に新しい年が訪れる。年の入れ替わる前に、始末をつけておかなければならないことが、この世には無数にあるのだ。


 対するカミラは、さほどすることがない。もう半年以上もモーントン領にいるが、カミラの身分はいまだ曖昧なまま、アロイスの客人扱いだ。

 やることと言えば、ニコルと話をするか、アロイスと気の進まない勉強会をするか。あるいは――――。



「おい! 手元を見ろ手元を! 焦げてんじゃねーか!!」

 はっと気が付いたときには、すでに手遅れだった。カミラの手にしたフライパンが、不吉な煙を上げている。煮詰まったソースが黒く色づき、微かに焦げ臭い。慌てて火からおろしたところで、もはやどうにもしようがなくなっていた。

 苦々しい顔をするカミラの横から、遠慮のない怒声が響く。

「料理中にぼーっとしてんじゃねえ! 危ないだろうが!」

「ぼーっとなんて! ……してたわよ! 悪かったわ!!」

「謝るんだったら、せめてしおらしい振りくらいしろ!!」

 カミラを叱りつけるのは、赤い髪に四角い顔の中年男。見た目にそぐわぬ繊細な料理人、ギュンターだ。

「俺が教えてやってるんだ、手元をおろそかにするんじゃねえ! 材料だってただじゃねえんだぞ!」

「わかっているわよ! だから、悪かったって!」

「胸張って言うことじゃねえだろ!!」

 素直に謝ったというのに、ギュンターは不服そうだった。怒鳴り声が厨房に響けば、「きびしすぎ!」だの「言い過ぎだ!」などと周囲から野次が飛ぶ。

 野次を飛ばすのは、ギュンターと同じくモンテナハト家の料理人たちだ。

「料理長、せっかくの女っ気なのに、辞めちゃったらどうするんですか!」

「あいつ目当てじゃない女の子がどれほど貴重か、わかってるんですか!」

「うるせえ! こんなんで辞めたら、いっそせいせいすらあ!!」

 そうだ、そうだ、と上がる声に、ギュンターはうっとうしそうに一喝する。しかし、それでも軽口は止まらない。またすぐに、どこからともなく声が飛ぶ。

「手加減ってもんをしてくださいよ。相手は女の子なんですから!」

「手加減されるなんてごめんだわ!!」

 反射的に、カミラは野次に言い返す。厨房に響きわたるカミラの声に、ヒュウ、と口笛めいた音がした。

 昼下がり。夕食には早い時間帯。人の少ない厨房には、夕食の仕込みをする数人の料理人たちがいる。彼らのほとんどがカミラの存在に慣れた様子で、気負う気配もない。

 カミラが声を張り上げても、彼らは肩をすくめて笑うだけだ。「言うねえ」「かっこいいぜ!」などと手を叩く者たちまでいる。

 それが不愉快だった。

 ――馬鹿にするんじゃないわ。

「甘く見ないでちょうだい! 本気で来たって、叩きのめしてやるんだから!!」

「じゃあまずは焦がさないようにしろ!」

 苛立つカミラの頭をわしづかみ、ギュンターが怒り半分、呆れ半分に言った。それから、周囲の野次馬たちを睨み回す。

「てめえらも、遊んでんじゃねえ! この女に抜かされたくなかったらまじめに手を動かせ!」

 ギュンターが言えば、周囲は笑いながら顔を見合わせ、のろのろと自分たちの作業に戻っていく。仮にも料理長。厨房での地位はカミラよりも高い。それが、ますます腹立たしかった。


 カミラがギュンターと出会ったのは、アインストへ訪問するより前のこと。彼を料理長と知らずに勝負を挑み、敗北して以降。カミラは時間を見ては、厨房に足を運んでいた。すべてはギュンターの料理の腕を盗み、彼の料理に勝利するためだ。

 負けず嫌いなカミラを、ギュンターは、文句を言いつつも教えてくれていた。

 そうこうするうちに、厨房の料理人たちに顔を覚えられてしまった。はじめはカミラの存在に驚いていた人々も、今はもう慣れたもの。カミラの怒鳴り声にもひるまず、軽口を叩くようにまでなっていた。

 いや、軽口程度であれば良かった。

 モンテナハト家の料理人は、ほぼすべてが男だ。モーントン領では、料理はたしなみ。男女区別なくするものだが、仕事となるとまた少し話が違う。

 料理はモーントンでは価値のあるもの。だからこそ、名誉ある仕事でもあった。女子供が遊び半分になれるものではない。

 ゆえに、厨房に立つカミラの存在は、彼らの好機の的だった。

「おい、気にすんなよ。あいつらも悪気があるわけじゃないんだ」

「わかっているわ」

 カミラはそう言うと、唇を引き結んだ。

 相手は料理を仕事とする男たち。四六時中ナイフを握り、鍋をかき混ぜているのだ。時間の空いたときに、ちょっときてすぐに帰るカミラなど、「料理を習いに来たお嬢さん」に過ぎない。厨房の客人で、よそ者で、ギュンターの怒声を受けるのは、「かわいそうなこと」。

「……どうしたんだよ、元気ねえな」

 黙ったまま言い返さないカミラを見て、ギュンターはいぶかしそうに顔をしかめた。

「普段なら、もっとこう――『見返してやるわ! さっさと次の料理を教えなさい!』って言うところだろう」

「私をなんだと思っているのよ」

「厨房にいる間は、お前は生意気で未熟な料理人だ」

 渋い顔のまま、ギュンターはカミラの顔を覗き込む。厳めしい顔に見つめられ、カミラは「ぐ」と言葉を詰まらせた。

「下手くそには負けず嫌いだけが武器なんだ。それを失くしたらお前にはなんもねえぞ。どうしたんだ」

 どうした――そう問われても、カミラ自身が答えを持たない。


 考えるように、カミラが視線を伏せたときだった。


「あれー、珍しい。厨房に女の子がいるじゃん!」

 厨房の入り口近くから、聞きなれない男の声が響く。軽薄そうなその声とは対照的に、厨房の男たちの重たいため息が印象的だ。カミラの隣で、ギュンターまでが頭を抱えている。

 なにごとかと、カミラは声の方向に目を向けた。

「へえ! ちょっときつそうな感じ! でも黒髪いいじゃん。ねえ君、俺のこと知ってる?」

「知らないわ」

 視線の先にいたのは、明るい茶色の巻き毛に、同じ色の瞳の若い男。柔和で端正な顔立ちに、細い体の繊細な美貌は、たれ目であることを除けば、どことなくユリアン王子を思わせる。だが、その容姿を台無しにするほどに、表情には軽薄さがあった。

 もちろん、カミラはこの男に面識がない。服装からして、厨房で働く使用人らしいとはうかがえる。しかし、これまで何度も厨房に通ってきたカミラにも、この男には見覚えがなかった。

「そう。じゃあ覚えて帰って。俺、クラウス」

 カミラの切り捨てるような返答にも怯むことなく、クラウスと名乗った男は笑いながら答えた。そして、うんざりとした厨房の空気をかき分けるように、悠々とカミラの前まで歩いてくる。

 足を止めたのは、カミラの真正面。カミラのきつい視線をまっすぐに受けても、クラウスはへらへら笑い、あろうことかウィンクまでしてきた。

「クラウス・レルリヒ――――レルリヒ家の長男で、将来有望な天才料理人。恋人は、今はなし」

 よろしく、と言って、クラウスはカミラに手を差し出した。

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