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4(1)-1

 シュトルム伯爵家令嬢、カミラ・シュトルムは危険な女である。


 男爵令嬢リーゼロッテを押しのけ、ユリアン王子の婚約者に収まろうとした稀代の悪女は、やはりアロイス・モンテナハト公爵一人では飽き足らないらしい。

 公爵の信頼を勝ち得ると、カミラは次に、モーントン領のかなめ、アインストにまで手を伸ばした。災害に付け入り、人々を扇動し、忠実なアインストの民を惑わせたのだ。

 アインストの人々は、歴史と伝統を捨て、誇りを失い、カミラに懐柔された。

 それだけではない。アインスト攻略を糸口にしたのか、あの女はモーントン領の若い、特に身分の低い者たちに、悪影響を及ぼしつつある。

 あの女は、このままいずれ、このモーントン領を奪うつもりでいる。そして、モーントン領の次に狙うのは、王都だ。

 稀代の悪女・カミラは、国を揺るがす危険をはらんでいる。


 ○


 親愛なるお姉さまへ


 カミラお姉さま、お久しぶりです。あなたのかわいい妹のテレーゼです。

 なかなかお手紙のお返事をいただけていませんが、いかがお過ごしでしょうか。お姉さまが沼地へお嫁に行かれてから、もう七か月。ご様子がわからなくて、お父さまやお母さまは気にしていらっしゃらないようですが、私はとても心配しです。

 もしかして、沼地暮らしが長くなりすぎて、人の言葉を忘れてしまわれたのでしょうか。それとも、沼地にこの手紙が浸されて、届くころには文字が消えてしまっているのでしょうか。

 お姉さまがお手紙を読まれていないのではないかと、私は不安です。不安のあまり、これまでの手紙と同じ内容を記すことをお許しください。お姉さまには、知っておいていただくべきことですから……。


 お姉さま。私、こうやってお姉さまのことをお呼びすることを、ずっと夢見ていました。

 お父さまもお母さまも、想像していたとおり、本当に素敵なお方。実の子供以上にかわいがってくださります。お父さまは、『今まで、貧しい子爵家で苦労しただろう。ここでは好きなように、自由に暮らして良い』とおっしゃってくださいました。お姉さまのことに気後れしていると、『もうあれは娘ではない。お前だけがわが娘だ』ですって。

 お母さまも、『あなたのどんなわがままも聞きたい』なんて、私をとても甘やかしてしまわれるんです。

 私、本当にうれしくて、今でも夢みたいな気持ちです。お姉さまは今ごろ、ヒキガエルのお嫁さまとして、慣れない暮らしに苦労されているはずなのに。こんなに幸せでいいのかしらって、ときどきとても申し訳のない気持ちになりますの。

 ……いえ、カエルにはカエルの幸せがありますものね。愛情深いお姉さまですもの。きっと今ごろ、カエルの卵を産まれて、カエル並みの幸せを得ていらっしゃるのでしょう。


 ああ、ついつい余計なことを書き過ぎてしまいましたわ。でも、許してくださいましね。私がお姉さまのことを『お姉さま』とお慕いできるのも、あとわずかなのですから。

 お父さまは、お姉さまとの縁をお切りになるつもりでいらっしゃるみたいなのですもの。

 私がつい、お姉さまがリーゼロッテさんにされたことで、どれほどユリアン殿下に疎まれていらっしゃるかを、お話ししてしまったせいかもしれません。縁を切るなんておかわいそうだと止めても、もう心を決めてしまわれたようなんですの。私の話を聞いて、お父さまは顔を真っ赤にされて、それから真っ青にされて、『どうしてあんな娘が生まれてしまったんだ』なんておっしゃいましたわ。

 でも、嘘や隠し事はいけませんものね。お姉さまも嘘はお嫌いでしたし、私たち、似た者同士なんですね。


 そうそう、リーゼロッテさんといえば、お話ししましたかしら。私、あの方とお友だちなったんですの。

 リーゼロッテさん、とても柔和で女性的で、お姉さまとは正反対の、とても素敵な方ですわ。お姉さまがお嫁に行かれた後、シュトルム家にお目をかけてくださって、とてもよくしてくださるんです。お姉さまの悪評で、シュトルム家がつらい目に遭うのではと、心配してくださったんですって。本当に、懐が深いお方で、私、感動してしまいました。

 だから、ユリアン殿下が心惹かれるのも当然ですわ。国中のみんなが、お二人の結婚を、今か今かと待っているんですの。

 でも、やっと……ああ、お姉さまのいらっしゃるモーントン領にも、お話は届いていらっしゃるでしょうか。お二人の結婚のお日にちも決まりましたの。冬が明けた、次の年の春。花盛りのころに執り行われる予定です。

 きっと、モンテナハト卿にもご出席いただくことになるでしょうね。そうしたら、久々にお姉さまとお会いできますわ。

 私、とても楽しみです。

 とても、とても楽しみです。

 お父さまとお母さまは、もう顔も見たくないなんておっしゃっていますけれど、家族でお待ちしていますわ。きちんと、私の口から言いたいですもの。

 「お姉さま」って。



あなたのかわいい妹 テレーゼより



 ○


 暖炉の火が、テレーゼの手紙を飲み込む様子を、カミラは黙って見つめていた。

 手紙は黒く焼け、灰になって呆気なく消えていく。同じように手紙の内容も、頭から消えればいいのに、とカミラは思った。

 両親がテレーゼを養子にしたこと。王子が結婚すること。カミラを追いやったリーゼロッテが、シュトルム家に近付いていること。読んでしまった手紙の文字たちが、頭の中で渦を巻く。

 ――大丈夫。

 息を吐くと、うつむく代わりに唇をかむ。視線を下げるなんてごめんだ。下なんて見ない。

 ――泣いたりなんかしないわ。

 ただ、悔しいだけ。腹が立つだけだ。だから、王子にもリーゼロッテにもテレーゼにも、両親にだって目に物を見せてやる。

 アロイスを利用して、色男にしてみせて、後悔させてやるのだ。


 そう思えども、カミラには理想の未来が上手く想像できない。

 美男子に仕立てたアロイスに羨望の目を向け、そのアロイスを連れたカミラに歯噛みする。王宮の人々、社交界の令嬢たち、みんながあっと驚いている。両親はカミラに謝罪し、リーゼロッテは悔しがり、ユリアン王子はカミラを失くしたことを後悔する――。

 頭の中には、たしかに理想図がある。悔しい気持ちも、見返したい気持ちも間違いなくある。


 なのに、以前のように鮮明に思い描けないのは、どうしてだろう?




本章から、感想欄を一時的に閉じます。

これまでたくさん感想をありがとうございました。

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