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3.5-3

 昼時。厨房小屋にほど近い広場は、食事をする人々でにぎわっていた。


 炊き出しの時間になると、誰もが作業の手を止めて、配られるパンとスープを受け取りに来る。

 受け取った食事を持ち帰り、自分の家で食べるものも中に入るが、多くは広場の適当な場所に腰かけて、集まった人々と雑談を交わしながら食事をする。おかげで、はじめはなにもなかった空き地同然の広場が、今では食事用のテーブルが並ぶようになっていた。

 アインストもグレンツェも無関係に、同じテーブルを囲み、笑いながら食事をするなど、少し前では考えられなかったことだ。

 広間の端から、食事風景を見守っていたイルマは、改めて不思議な気持ちになる。あんなにもこじれていた確執の結末は、こんな呆気ないものか。良いとか悪いとかではなく――なんだか拍子抜けしてしまう。

「……あ、イルマ、あそこ」

 ため息を吐くイルマの名前を、なじみの声が呼んだ。顔をしかめて声に目を向ければ、杖に体を預けたフリーダの横顔がある。彼女は人形めいた白い頬をかすかに染め、きらめく瞳で一点を見つめていた。

「アロイス様、みんなと食事をとっていらっしゃるわ。私たちと同じものをお召し上がりなのね」

 フリーダの視線の先にいるのは、いささか体格の良い男。粗末な食事を品よく食べる彼こそは、領外から『沼地のヒキガエル』などと呼ばれる、このモーントン領の領主アロイスである。

 太り過ぎた巨躯と、瘴気に荒れ切った爛れた肌からそんな呼び名がついてしまっていたが、今の彼の容姿には似合わない。おののくほどの体は、かつての半分ほどに痩せ、この頃は肌の荒れも、少しましになっているように思える。

 とはいえ、やはり人より太っていて、肌荒れが目立つのは変わりない。年若い娘に好まれるような容姿とは、とても言えないだろう。

 そんなアロイスを、しかしフリーダは一途に見つめている。兄と似て表情の変化に乏しく、寡黙だったはずの友人の姿に、イルマは顔をしかめた。

「フリーダ、あんた本当に行くの?」

 イルマの低い声に、フリーダは頷く。それを見て、「あーあ」とイルマは何度目かわからないため息をついた。

「無謀すぎるってわかっているでしょう? あの人が誰を助けに来たかなんて、考えなくてもわかるじゃない」

「そうだけど」

「まだ歩けないあんたの足に付き合って、ここまで付いてきたけど、あんたの無茶な告白に付き合えるほど優しい友達じゃないわ」

「だから、告白じゃないってば! お礼を言うだけ!」

 突き放すようなイルマの言葉に、フリーダは焦ったように首を振る。そんなに熱心に見つめて、そんなに頬を赤くして、告白以外になにがあるのかと、イルマは思う。

「助けられてぐっとくるのはわかるけど。好きになっていいことなんてないでしょう。あんた美人なんだから、もっといい男なんていくらでもいるわよ」

「……わかっているわよ」

 フリーダは傷ついたようにうつむく。伏せた瞳が悲しげで、イルマは居心地が悪かった。

「でも、好きになってしまうんだもの。ひと月の間、見ているうちにもっと好きになったわ。真面目で、誰にでも分け隔てなく、優しくて」

「誰にでも優しいのよ。あんただけじゃなく」

「……うん」

 わかっている、と言ったフリーダの体がよろめく。まだ足を引きずる彼女を、イルマは慌てて支えた。イルマの一言は、彼女にとって相当に痛い言葉だったのだろう。

 だが、言い過ぎたとは思えども、悪いとは思っていない。フリーダの成就しない恋は、これくらい言ってでも諦めさせるべきなのだ。

「だから言うの。お礼だけ言って、それで、はっきりと思い知って、諦めたいのよ」

「難儀だわ」

 イルマは額に手を当て、呆れた声で言った。

 いくら痩せたとはいえ、これまでのアロイスの姿を思い返せば、恋する相手と見るには難しい。優しいと言うけれど、彼は当たり障りがなさ過ぎて、イルマにはそれほどいい男にも思えない。

 なのに、好きになるってこういうものなのかしら。さっぱり理解できない。

 理解できないが、フリーダが本気だということは、わかってしまうのだ。

「……仕方ないわね。お礼を言うだけよ。本当に、それで諦めるのよね?」

「うん。ありがとう、イルマ」

 ひときわ大きく息を吐くイルマに、フリーダは寂しそうに笑って言った。


 ○


 昼が過ぎ、人のまばらになった広場の外れ。食事を終え、仕事に戻ろうとしたアロイスを、フリーダは呼び止めた。


 その様子を、イルマは建てかけの家の影から、そっと覗いていた。少し離れてはいるが、さほど大きくないフリーダの声もきちんと聞こえる。アロイスは背中しか見えないが、緊張したフリーダの顔も良く見えた。

 フリーダは一人で平気だと言っていたが、どうにも心配でならなかったのだ。

「本当に大丈夫かしら」

「いやあ、駄目だろう」

 イルマの独り言に、どこからともなく返事がくる。

「意外に大胆なことするなあ、あいつ。もっと大人しいやつだと思っていたけど」

「フリーダ……あの馬鹿」

「……なんとも言えない気分だわ」

 聞き覚えのある声だ。声の方を振り返り、イルマは「げ」と声を上げる。

 見知った男二人。見知った女一人。テオとレオン。それから、よりにもよってカミラだ。全員、イルマと同じように、アロイスとフリーダの様子を伺っている。

「なんでいるの……!」

「しっ! 聞こえるだろう!」

 そう言って、テオがイルマの口を押える。なんで自分が叱られるのか。イルマには納得がいかない。

「カミラ様。すみません、うちの妹が」

「いいわよ。いや、よくはないけれど。……私も文句を言える立場ではないわ」

 カミラとアロイスは結婚をしているわけでもない。それどころかカミラは、アロイスがキスできるほどいい男になるまで、結婚しないと宣言した身だ。そのくせ、妻気取りであれこれ口を出すなど。そんな見苦しい真似、カミラの美意識が許さない。

 しかし、カミラとアロイスの事情を三人は知らない。

「怒らないんですね?」

 テオの意外そうな言葉に、ん、とカミラは返事にも満たない言葉を返す。

「……怒るかどうかは、アロイス様の返事次第だわ」

 そう言って、カミラは少し離れたアロイスの背に目を向けた。


 隠しきれない好意が入り混じりつつも、礼を告げたフリーダに、今まさに、アロイスが返事をするところだった。

 慎重に、言葉を選ぶように、アロイスが語る声がする。物陰の四人はそろって口を閉じ、耳をそばだてた。


「フリーダ。ありがとう。でも――――」

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