3.5-2
「ああもう! 一人で考えていたって仕方ないわ!」
誰にともなく声を上げると、カミラは立ち上がった。
もとより、悩むことに向いていないのだ。
こういうときは、部屋を出て気が済むまで行動する方が良い。上手いこと気持ちが解消されるかもしれないし、さもなければカミラのことだ。いつのまにか他に興味が移って、忘れてしまえるかもしれない。
○
そういうわけで、現在カミラは厨房にいる。
もうじき昼を迎える時間帯。厨房は、炊き出しの準備をする人々でごった返していた。
再建途中の町に、厨房のある家はそう多くない。厨房どころかトイレもないし、浴室だってもちろんない。臨時で建てられた仮設の家は、あくまで仮のもの。最低限の壁と屋根くらいしかなかった。
そこで急遽建てられたのが、共用の施設だ。人々の多い土地の付近に大きく場所を取り、厨房、トイレ、浴室のある建物が作られ、誰でも自由に使えるようにしてある。
その中の一つが、カミラのいる厨房だった。いずれ解体予定のその厨房は、火のつきにくいかまどに、なかなか焼けないパン焼きの窯。立て付けの悪い作業台が並んでいる。
粗悪なかまどには、不釣り合いに立派な鍋が乗る。味を見ながら鍋を煮るのは、食材と鍋をかついで領都から来た、モンテナハト家の料理人たちだ。
ひと月たった今、救援はグレンツェのみならず、領都からも来ている。グレンツェからは、災害初頭の救援と、肉体労働を。領都からは、主に食料と金を提供するのが、アロイスの当初からの想定だったらしい。
季節は冬に足を踏み入れたころ。ゾンネリヒト王国北部に位置するモーントン領。そのさらに北寄りのアインストは、初冬といえどもすでに寒い。採掘町の数少ない畑も枯れ、動物たちも冬眠をはじめている。食べられるものは、針葉樹の葉か、冬眠し損ねたヒキガエルくらいという状態。十分な備蓄もできずに災害に遭い、明日食べるもののない住民も少なくない。
ゆえに、アインストでは災害以降、人々に向けて炊き出しが行われていた。モンテナハト家の料理人が主導し、町の人々の手を借りながらの炊き出しを、カミラも何度か手伝ったことがあった。
魔力もない、力もないカミラがアインストでできることは、野菜を切ることくらいだ。
はじめのうちは、カミラの参加に驚いていた人々も、何度か混じるうちに気にしなくなっていた。
今では、ナイフを持ったカミラの前に、他の人々と同じように野菜の束が差し出さる。カミラは当然のように、それを洗い、剥き、切り刻むのだ。
○
「……アロイス様ですか?」
麦の大袋を厨房に運んでいたテオが、そう言って隣のレオンと顔を見合わせた。
「そう。あなたたちはどういう印象を受ける?」
野菜を切るナイフを手にしたまま、カミラは見知った使用人たちに目を向けた。
唐突な質問に、テオもレオンも困惑した様子だ。なんと答えればいいのか迷った挙句に、彼らは当たり障りなくそっと答える。
「穏やかな方だなあ、と思いますけど。どうして急に」
「なんとなく。あなたたちからはどう見えているのか聞いてみたかったのよ」
アロイスに感じる、一種違和感のようなもの。それは、カミラが勝手に抱いているだけだ。アロイスが良しと思い、町の人々が良しと思えば、誰も不幸なことはない。だから、人から聞いて納得して、それで終わりにしようと思っていたのだ。
「……なるほど?」
テオは納得したような、していないような口ぶりで頷いた。黙々と麦を運ぶレオンを横目に、彼は一人腕を組む。
「アロイス様は、温和でまじめな方だと思いますよ。それに、いつも冷静で、落ち着いていらっしゃいます。この町の人間が言うのもなんですけど、アインストでの態度を受けても、あの方が怒る姿を見たことがない」
ふむ、とカミラは息を吐く。この町は、アロイスに対して厳しい態度を取り続けていた。カミラ自身は直接その様子を見たことはないが、自分へ向けられた態度を思えば、想像には難くない。
「怒ったらこっちの思うつぼでしたからね。頭の良い方ですよ。意地の悪い質問も、要求も、いつも上手くかわしますし。なんと言いますか、すごい、間違いのない方なんですよね。こっちが文句をつけるのに苦心をするくらいで」
「文句を言わなければいいじゃないの」
カミラが言えば、ごもっともです、とテオが苦笑した。
「それでも、どうしてでしょうね。気に食わないと思う人間は少なくありませんでした」
そう言ってから、テオは慌てたように「あ、今は違いますよ」と付け加える。しかし、カミラにとってテオの失言はどうでもよい。
「どうして気に食わないの? 間違いないんでしょう?」
単純な疑問だった。間違いがない。文句が付けられない。人柄は温和で、穏やか。嫌われる要素などないように思える。
それでいて、なぜ嫌われ続けていたのか?
カミラの問いに、テオは渋い顔で首をひねった。
「うーん……そういう問題じゃあなかったんだと思います。気に食わないと思うと、優秀なことも、間違いがないことも、全部気に食わなくなるんですね。たぶん、アロイス様は、隙がなさ過ぎたんです」
「……そういうものなのね」
ため息を吐くように、カミラは言った。共感はできないが、納得ができないわけでもない。
感情の部分を理屈で割り切ることは難しい。嫌いなものは嫌い。一度染みついた感情を取り払うには、『優秀』であるだけでは駄目だったのだ。
「でも、今は違います。本当に」
無意識に視線を伏せるカミラに、テオは励ますように言った。落ち込んだつもりではなかったが、テオの目にはそうは映らなかったらしい。ジャガイモにナイフを立てるカミラを覗き込み、テオは微笑んで見せた。
「俺たち、あの災害で先に地下から出ていたから、知っているんです。アロイス様が地下に飛び込んだときのこと」
あのとき。地上にいたアロイスは、魔力を地下に向けながら、逃げ出てくる人々を助けていた。まだ瘴気の濃い中、混乱する人々の指揮を執るアロイスは、声を張り上げることはあるものの、相も変わらず冷静そのものだったという。判断に間違いはなく、指示に誤りはない。いつだって彼の言葉は最善手で、より多くの人間を救うためのものだった。
だが、地下からニコルが逃げ出てきたときだけは様子が違った。まだカミラが地下にいることを知り、しかしいつまでも出てこないことを知ったとき。
アロイスは誰よりも早く、その身一つで地下へと飛び込んだのだ。いつ崩れるかもわからない、危険な場所だとわかっていながら。
「血相を変えて、周りの静止も聞かなくて、あんなところもあるんだなって、びっくりしました。結果的には無事でしたけど、もしかしたらアロイス様まで、地下の崩落に巻き込まれていたかもしれないのに。そういうことをする方には見えなかったから」
「……そうなの」
そっけなく言いながらも、カミラは視線をさまよわせる。落ち着かない手が、ジャガイモを細かく細かく切り刻む。
――そう、アロイス様が、私のために。
「あの人でも取り乱すんだって、なんでしょう、親近感ですかね。みんなちょっと、見る目が変わってきたんだと思います」
「そ、そう」
口元が勝手にゆるむ。嫌な気がしない。アロイスが、町の人たちに受け入れられはじめている。きっといずれ、この町の居心地が、アロイスにとって悪くなくなっていくのだろう。そう思うと――――。
――って、どうして私が喜ぶのよ!
思わず力んだ手が、微塵になったジャガイモの破片を飛ばす。行方を追い、慌てて顔を上げたとき、少し苦い顔をしたテオを目が合った。
「まあ、そんなだからあいつもなあ。王子様に見えたんだろうなあ」
「おい」
テオの口をふさぐように、どこからともなくレオンの声がする。料理人に指示され、厨房奥に麦袋を運んでいたレオンが、慌てたようにテオの元へ向かってくるのが見えた。恐ろしい地獄耳である。
彼は大股でテオの前までやってくると、彼の肩を乱暴につかんだ。
「お前、人の妹だぞ。余計なことを言うなよ」
「いや、別に、余計なことなんて」
しどろもどろに言い訳をしようとするが、手遅れである。彼の口は軽すぎたのだ。
「王子様ってどういうこと?」
カミラは腕を組み、テオとレオンを交互に見比べた。