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3-終章(2)

 そういうわけで、カミラはアロイスを待ち構えていた。

「アロイス様、そこに座ってください」

「えっ。えっ……はい」


 日が暮れ、魔石鉱脈の調査を中断して戻ってきたアロイスに、カミラのぶしつけな言葉が跳ぶ。

 なぜ自分の部屋にカミラがいるのか。なぜきつい口調で座るように命令されるのか。アロイスはまるで心当たりがないままに、とりあえずカミラの言う通り椅子に座った。

 アロイス専用、大重量でも大丈夫の特注の椅子――ではなく、ごく普通の椅子にごく普通に座ると、カミラが向かいに腰かけた。

「手を出してください」

「はい」

 アロイスは素直に頷き、手のひらをカミラに向けて差し出す。彼女は迷わずアロイスの手をつかむと、無遠慮に自分の方へ引き寄せた。

 驚くアロイスをよそに、カミラはなにやら小瓶を取り出し、中に詰まっている固いクリーム状のもの指先で掬い取る。そして、それをアロイスの手先に塗り付ける。

 独特のにおいが、つんと鼻に付く。なにかの薬だろうか、と思うが、アロイスには判断ができない。

「……なにをしていらっしゃいます?」

「見ての通りです」

 カミラは顔を上げず、熱心にアロイスに薬らしいものを塗る。細い指に撫でられて、いたたまれないのはアロイスだけのようだ。

「かゆみを抑えて、肌の荒れを治してくれるそうです。イルマという侍女にもらいました」

 言いながら、カミラはアロイスを一瞥する。責めるような視線に、アロイスはますます居心地が悪かった。ここ最近で、責められるようないわれはあっただろうか。

 災害のとき、カミラを置いて出て行ってしまったこと。そもそも、危険と知ってアインストに連れてきたこと。思い当たる節はいろいろある。

「アロイス様、きちんと肌の手入れをしたことあります? どうして採掘地の人間の肌がきれいで、採掘しないアロイス様はこうなんですか」

「……あ、いえ。肌は、あまり気にしたことがなく」

「気にしないでいい状態ではないでしょう!」

 カッと怒鳴りつけられて、アロイスは肩をすくめた。カミラはいらいらした様子で、しかし変わらず丁寧に、アロイスに薬を塗っていく。

「採掘地の薬屋なら、どこでも瘴気に効く薬が売っているそうですよ。瘴気に普通の薬は効きにくいんですって。『地元では常識だ』って教えてもらいましたよ」

 ふん、とカミラは鼻息を吐く。カミラの毎日の肌の手入れは、瘴気にはなんの効果も発揮していなかった。それを知って不機嫌であることを、アロイスは知る由もない。

「効き目のいい薬も教えてもらったので、領都に戻る前に買い占めてやりましょう。それで、ちゃんとアロイス様の肌も治してください! じゃないとかゆくて大変でしょう!」

 そう言って、カミラはアロイスを睨む。

 かゆみなんて慣れきってしまったアロイスには、肌が荒れようと爛れようと、さほど重要でもなかった。薬があるのも知っていたが、自分にはさほど必要とも思えなかった。

 だけどきっと、カミラにとっては大事なのだろう。肌がきれいな男の方が好ましいのだろう。ユリアン王子も、白い陶磁のような肌をしている。

 アロイスは息を吐き、少しの間目を閉じた。カミラは片手を塗り終えて、もう一方の手をつかんでいる。

 アロイスの手を引く指の細さ。弱い力。この手が、だけど地下から人々を救い上げたのだ。

「……土地の人間から、いろいろなことを教えてもらったんですね」

「はい?」

「この町の心をひらかせることは、できないと思っていました」

 細く目を開けると、いぶかしげなカミラの視線が目に映る。アロイスが彼女に向けて返したのは、羨望をはらんだ微笑みだった。

「この町は古くて、偏屈で、岩のように頑固です。一度嫌われれば、その感情が変わることはなく、私はただ、波風を立てない付き合いだけを考えていました。なのにあなたは、私が諦めたことを、一日で成し遂げてしまう」

 かたくなな人の心を変えることは、アロイスにはできないことだった。カミラは無茶で無鉄砲で、酷く感情的で、だからこそ、相手の心に迫ることができる。

 彼女が生み出す感情は、好意もあれば嫌悪もある。それは、当たり前の人の心だ。

 その、当たり前の心を引き出すことの難しさを、アロイスは知っている。特に、であれば、なおさら。

「私はあなたが羨ましい。」

「あ、アロイス様……?」

 アロイスの手を両手でつかんだまま、カミラは瞬く。無防備に戸惑った彼女の手を、アロイスは一瞬のためらいのあと、握りしめた。

 吐き出す言葉には、嘘偽りはない。――――ただ、少しだけ打算的だった。

「私はあなたに憧れ、少し妬ましい――それでいて、心惹かれています」


 〇


 反射的にアロイスの手を振り払うと、カミラは思わず身構えた。

 アロイスは逃げたカミラの手を追うこともなく、惜しむ様子もなく、ただ座ったまま見つめているだけだ。

「ど、どうしたんですか急に!」

「思ったことを言っただけです」

「思ったことって、そんな、く、く」

 口説き文句みたいな。そう言おうとした自分の言葉さえためらわれ、カミラは次の言葉が継げずに呻いた。

「ぐ……そういう言葉は、半分になってからと……」

 そう言いかけて、カミラは続く言葉を飲み込んだ。

 ――――半分、なってる。

 もともとが大きい故、半分になったところで人より大きめであることには変わりない。そもそも、元の体重をきちんと把握しているわけでもないため、本当にきっちり半分以下になったとも言い切れない。

 しかし、以前に比べて明らかに痩せたのは間違いない。改めて見れば、首と顎がきちんと分かれて、肉に埋もれた目が見えるようになっている。ふっくらしているが、輪郭もカエルから人間になった。もしかして、半分以下に減っていることすらありうるのかもしれない。

「ぐう…………」

 悔しさに唇を噛み、カミラは手のひらを握りしめる。逆恨みでアロイスを睨みつけるが、彼は悪びれた様子もなく、カミラを見つめ返すだけだ。

 アロイスはたまにこういうところがある。素直というべきか、正直というべきか。あまりにまっすぐに言葉をぶつけられ、なにも返すことができなくなる。

 いや、だがここで負けてなるものか。

「ま、まだ、半分なんて第一段階ですから……!」

 首を振ると、カミラは断固として顔を上げる。

 だって、結婚してキスをする相手としては、アロイスはまだまだカミラの好みからはほど遠い。恐ろしく太いカエルが、ちょっと太いカエルに変わった程度のものだ。

 だいたい元はといえば、カミラはアロイスを色男に変えるつもりだったのだ。それで、アロイスを連れて王都へ帰り、カミラを笑った者たちに見せつけてやる予定だった。

 今のアロイスは色男とは言えない。まだまだ直すべき部分がいっぱいある。顔の荒れも治さなくてはならない。傍から見ればまだ太い。髪や服も洗練されていない。

 ぜんぶ直すまでは、まだ駄目だ。


「次は、残りの肉を筋肉に変えます! その私よりも柔らかい腕の肉を固くします! それまでは認めませんから!!」


 カミラの宣言にアロイスは苦笑する。カミラはそれを睨みつけながら、自分の放った言葉の意味の分からなさに、内心で首をひねっていた。

 認めない。

 なにを?




 ――――なにを?




 カミラはまだ、答えを持っていない。



3章ここまで

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