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3-終章(1)

 災害による代償は大きい。


 アインストの町は半壊した。

 町の南側にある家々は、大半が崩れ、大通りには亀裂が走っていた。

 北側は比較的被害は少ないが、油断ができる状態ではない。地下に魔石の鉱脈がないとは限らないのだ。

 住む場所をなくした人々は、急遽町の外に小屋を作り、仮住まいとしていた。

 この間に、町には魔力持ちたちの調査団が入り、魔石の鉱脈を調べることになる。安全な場所、危険な場所を判断し、町の再建はその後になる。「しばらくは戻れそうにありませんねえ」などとアロイスは申し訳なさそうに言っていたが、致し方のないことだろう

 アロイスと共に、カミラもしばらくは町に滞在することになる。カミラがいて役に立つことは少ないが、せいぜい炊き出しの手伝いくらいはできるだろう。

 後は、まだ見つからない人々が無事であること。命を落とした人々のために、祈ることくらいだ。


 ○


 が、それはさておき。

 カミラ自身もこの災害で、個人的に被害を受けていた。

「――――――かゆい!」

 両手で体を抱きしめて、カミラは悶絶した。


 昨日の未曽有の災害から、どうにかこうにか生き延びた代償である。

 瘴気の泥水を全身にかぶり、さらに濃い瘴気の中を歩き回り、体に異常をきたさないわけがなかったのだ。

 一晩眠り、疲れた心身が少しばかり癒えた途端、全身のかゆみが出た。体は正直なものである。おまけに、腕や首筋にぽつぽつと発疹まである。

 なのに、隠すための化粧もままならない。カミラ愛用のクリームも、今はかゆみを増長させるだけだった。瘴気を落とそうと体を拭いても、痛しかゆしは収まらない。逆に布の感触で、身悶えする羽目になった。もはや服を着ているだけでも、生き地獄のような心地だった。

 しかし、ニコルに偉そうに言った手前、カミラは自分の肌を掻くわけにはいかない。ぐっと奥歯を噛みしめ、カミラは忙しなく歩き回っていた。


 カミラが現在いるのは、町はずれの一軒家。災害から生き残った一棟だ。

 森にほど近く、周囲は無事な家も多い。地盤も比較的安全だと判断され、今は仮住まいとして居座らせてもらっている。

 テント暮らしの人々も多い中、きちんとした家に住まわせてもらっているあたり、現在のアインストでは、かなりの厚遇を受けているのだろう。


 が、そんなことはもはやどうでもいい。このかゆみを抑えられるのなら、テントでも野宿でも構わないくらいには、カミラは追い詰められていた。

「か、かゆい、かゆい、ぐぐ……」

 声も出さずにはいられないし、体は動かさずに入られないし、呻かずにはいられない。こんなとき、力尽きて未だベッドの中で寝ているニコルは、むしろ幸せ者だろう。彼女が起きていたら、きっとカミラの比ではない地獄を味わうことになっていたはずだ。

「ああもう! 腹立つ! かゆい! 痛いかゆい! これじゃ肌も荒れるわよ!」

 哀れな自分の腕の湿疹を見ながら、カミラはどこへもぶつけられない怒りを吐き出した。

 今まで、採掘地から離れた領都に住んでいたせいで、瘴気というものを甘く見ていた。魔力のほぼないカミラでさえもこの状態だ。これでは、アロイスの肌もヒキガエルになろうもの。魔力の強いアロイスは、今頃カミラの比ではないほどに苦しんでいるのかもしれない。

 ――大丈夫かしら。

 と心配が頭をよぎったが、すぐにかゆみがかき消した。人の心配をする余裕は、今のカミラにはない。

「かゆい――――!」

 当てもなく叫んだとき、カミラの部屋の扉が叩かれた。

 なんと間の悪い。


 ○


「あまりお加減が良くないようですね」

 苦笑しながらそう言ったのは、地下で生死を共にした男たち――使用人のテオとレオンだ。テオは背の高い方、レオンは、目元のほくろのある方。アロイスに言いつけてやろうと顔を目に焼いただけあって、カミラはしっかりと覚えている。

「時間を改めた方が良いですか?」

「いいわよ、話した方が気もまぎれるし。ただ、落ち着かないけど許しなさいよ」

 言いながらも、カミラはその場をうろうろと歩き続ける。黙って座っていたら、頭がおかしくなりそうだった。歩いていれば歩いているで、服が擦れてたまらないが、どっちかと言えば動いている方がましだ。

「あなたたちは平気そうね。腹が立つわ」

 罪のない男たちを睨みながら、カミラは憎らしさにそう言った。

 カミラがこんなことになっているのに、男たちは涼しい顔だ。かゆみも、肌の荒れもないように見える。肌は陶磁のように白く、以前と変わらず滑らかだ。同じように地下の時間を過ごしたはずなのに、これは一体どういうことか。

 思えば、グレンツェでも疑問を抱いたものだ。瘴気はびこる採掘地。モーントンの人間は、誰もがアロイスのような爛れた肌を持つ――などと王都で伝え聞いた噂とは裏腹に、目に見えて肌の荒れた人間は少ない。アロイスこそが特殊な例で、せいぜい肌荒れが目立つのは、強い魔力持ちの人間くらいなものだった。

「あなたたちは、荒れたりかゆくなったりしないの? 不公平じゃない」

 カミラの理不尽な不服に、テオが苦笑した。初対面の無表情とはえらい違いだ。彼の視線には人間味があり、親しみが見える。

「俺たちはこの辺りの出身だから、比較的瘴気には慣れているんです。生まれたときからこの辺りに住んでいますし、体に耐性があるのかもしれません。地元の人間は平気な奴が多いと思いますよ」

 ふむ、とカミラは不服を飲み込む。

 たしかに、魔石採掘なんてしているくらいだ。魔石鉱脈に近付くことも多いだろうし、このくらいの瘴気に触れる機会もままあるのだろう。カミラのように、瘴気のない王都でぬくぬく育った肌だけが、これほどつらい思いをすることになるのだ。

「でも、それでもやっぱり荒れるときは荒れます。だからイルマが――――おい、イルマはどうした?」

「……さっきまでそこにいたはずだが」

 男たち二人が、周囲を見回しながら戸惑う。部屋にいるのは男二人だけで、イルマの姿などカミラは見ていない。慌てたようにテオが部屋の外へ出て行き、少しして戻ってくる。

 部屋に戻ってきたテオは、不満そうなイルマを連れていた。きつい目つきはますますきつく、唇は曲げられ、眉間には皺が寄っている。彼女はテオの背後に体を隠し、カミラを睨みつけていた。

 思わず睨み返しそうになるカミラを制して、テオが先に口を開く。

「おいイルマ、なに恥ずかしがってんだよ。付いてくるって言ったのはお前だろう」

「恥ずかしがってないわよ」

 イルマはぎっとテオを睨みつけると、意を決したように前に歩み出る。カミラの目の前までやってくると、足を止め、カミラを睨み上げた。やる気か?

 穏やかでない睨みあいは、ほんの一瞬。イルマは不服そうな顔のまま、おもむろに袖から小瓶を取り出した。

 それをカミラに突きつける。

「――――これ、地元でよく使われる軟膏。瘴気で荒れた肌によく効くの。痛みやかゆみを抑えて、肌の荒れを治してくれるわ。よそ者は瘴気に弱いから、こういうのがないと困るでしょう」

 反射的に小瓶を受け取りながら、「えっ」とカミラは声を漏らす。

 内心身構えた分、拍子抜けした。思いがけなさに瞬くしかない。

「俺たち、礼を言いに来たんです」

 ふてくされた顔のイルマを押しのけ、テオが言葉を添えた。

「地下から生きて出られたのも、フリーダが助かったのもあなたのおかげです。俺たちはよそ者には冷たいけど、その分、受けた恩には尽くします」

 胸を張って言うと、テオはちらりとイルマとレオンを見やる。視線を受けて、今度はレオンが口を開く。

「フリーダは俺の妹です。あなたが居なければ妹は生きてはいなかった。この恩は忘れません」

 レオンはまっすぐにカミラを見つめ、生真面目そうに言った。その目元が、確かにフリーダに似ている。

「この町も一枚岩ではありません。あなたを不満に思う者もいるでしょう。もし今後なにかあれば、俺が力になります」

 言葉を切ると、今度はレオンの視線がイルマに向かう。テオとレオンに挟まれ、二人の視線を受けた彼女は、ついに観念したらしい。

 ぎゅっと目を閉じ、顔を上げると、彼女はカミラ一歩近づいた。

「……あのとき、あなたがいてくれてよかった。フリーダを助けてくれて、ありがとう」

 彼女はそう言うと、カミラに向けて深く頭を下げた。




 手の中の瓶を握りしめながら、カミラは思わず息を吸い込んだ。

「――――こっ」

 カミラの吐き出した言葉に、三人は顔を上げた。短い音の中にも、穏やかではない響きが含まれているとわかったのだろう。

 もちろん、カミラは穏やかな気持ちではいられない。もう限界だった。

「こういうのがあるなら、早く言いなさいよ!!」

 瓶を握りしめたカミラの表情は――かゆみに耐え兼ねた、苦悶が浮かんでいた。

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