3-14
太陽は天頂にある。
あれほど濃かった瘴気の靄は晴れ、空は青色に染まっていた。
風は吹き、雲は流れ、光あふれる。
地下を抜け出し、広場の外れに這い出たカミラは、そのままへたりと座り込んだ。
目の前に広がるのは、半壊したアインストの街並みだ。家々は半数近くが倒壊し、几帳面に整備された石畳はひび割れ、ところどころ亀裂が入っている。亀裂からは、勢いはないものの、今も瘴気が噴き出していた。
周囲には、たくさんの人々がいた。今もがれきの下や、崩落した地下の生き残りを探しているらしい。忙しなくて、騒がしい。先に地下から出てきた人たちも、まだこの場所にいる。最後に出てきたカミラやイルマの姿を見て、歓声を上げていた。
「カミラさん、大丈夫ですか」
アロイスは、座り込んでしまったカミラに慌てて駆け寄ってくる。抱き上げていたフリーダは、すでに医者に引き渡したらしい。どこか日陰に連れて行かれるフリーダと、それに付き添う人々の姿が見えた。
「だ、大丈夫です」
そう言って立ち上がろうと地面に手を置くが、力が入らない。心配そうに見下ろすアロイスに、カミラは「はは」と気が抜けた声で笑った。
「な、情けないですけど、安心したら、腰が抜けたみたいです」
「情けなくなんてありませんよ」
アロイスは立ち上がれないカミラに手を差し出すと、穏やかに微笑んで見せた。
「あなたはとても勇敢で、立派でした」
真正面から来る飾らない言葉に、カミラは口を結ぶ。気まずい。気恥ずかしい。それでいて、ちょっとうれしい。それがまたちょっと悔しい。安堵と相まって、うっかり目の奥が熱くなりそうだった。
カミラは慌てて顔を伏せ、目を瞬いてやりすごす。アロイスはたいして気にした風もなく、「どうしました、カミラさん?」などと言うものだから、ますます悔しい。
「なんでもありません。少し疲れただけです」
カミラはそう言うと、差し出されたアロイスの手を強く握り返した。
顔を上げると、アロイスの荒れたカエル顔が見える。強い瘴気の中にいて、ますますひどくなった顔の中、赤い瞳が目を細める。
――悔しい。
悔しいけれど、認めざるを得ない。
地震が起きたとき、大通りに逃げる人々に向けて、森へ逃げろと言ったこと。
地下をさまよっているとき、アロイスの魔力を迷わず追いかけたこと。
アロイスを見て、安堵していること。
いつの間にか、カミラはアロイスを信頼し始めている。
――でも! まだカエル男だわ! キスできるにはほど遠いもの!
アロイスに助け起こされながら、カミラは内心で首を振る。アロイスはカミラの好みとは言い難い。カミラが好きなのは、筋肉質で頼りがいのある、しゃれた美男子だ。アロイスの顔は美男子とは言い難いし、服や髪にも気を使ってはいない。腕や体もぷにぷにの、筋のないただの肉。
だけど、正面に立ってみて、カミラはその違和感に気が付いた。
背の高い、大きな体に広い肩。人よりも大きい体なのは変わらない。だが、アロイスの肩越しに見える景色が、少し違う。青い空が、いつもよりも広く見える。
「…………アロイス様、もしかして、少し痩せました?」
カミラが瞬きながら言えば、アロイスも瞬く。面食らったようにカミラを見つめ、呆れたような、安心したような息を吐く。
「やっと気が付いていただけましたか?」
その言い草がまた、なんとも悔しい。
○
カミラが立ち上がると同じくして、誰かがよろよろと近づいてきた。
相手は、カミラよりも少し先に出ていて、同じく力尽きて倒れていたマルタだ。
彼女は町の重鎮だけあって、さすがの好待遇である。町の人々に取り囲まれ、汗を拭かれ、水を飲まされていた。少し息を落ち着けたら、もっと安全な場所へと移動する手はずとなっていた。
だが、そうした人々を押しのけて、マルタは杖を手に、自力でカミラの前までやってきた。
カミラの前で立ち止り、彼女はカミラを睨むように見上げた。
「…………なによ」
強い視線に、カミラも負けじと睨み返す。まだ文句を言うつもりなのかと、カミラは身構えた。
しかし、マルタは睨むだけだ。しばらくカミラを見やってから、力尽きたように崩れ落ちる。杖を転がし、膝をつき、体を伏せるマルタに、カミラはぎょっとした。
「ど、どうしたの――――」
「…………カミラ、様」
「は?」
かすれたマルタの声に、カミラは胡乱な声を返す。カミラ様――聞き間違いではない。たしかに聞いた。
「私は今日、あなたの人となりを知りました」
マルタは顔を伏せたまま、震える声で言った。マルタを囲んでいた人々が、驚いたように彼女の姿を見ている。広場にいる人々が、何事かとカミラに視線を向けていた。
「あなたは私を救い、多くの町の人間を救ってくれました。この町が、あなたを拒む理由はなにもありません」
マルタの言葉は、淡々とはしていない。押し殺すような感情が見える。それは喜びであるのか、苦しみであるのかはわからない。ただ、熱がある。
「これまでの非礼をお許しください。あなた方は、まぎれもない。私たちの恩人です」
周囲で見守る人々の中に、カミラと共に地下を抜けた人間たちがいる。イルマがいて、使用人の男たちがいて、子供やその親がいる。泣いている。笑っている。生きている。喜んでいる。誰かを失い、悲しんでいる。
崩れた町の中、仮面にも似た人々の顔に、感情が見える。
厳格、生真面目、感情のない古い町。
だけど人の心はある。強い誇りと、熱がある。
カミラは息を呑み込んだ。束の間言葉を失う。
カミラを取り巻く人々の視線は、どれもこれもが肯定的なものではないけれど、だけど認めてくれる者もいる。
空は明るく、光あふれる。風が街を吹き抜けたとき、カミラはぐっと手を握りしめた。
大きく息を吸い込むと、カミラは胸を張り、良く通る声で笑った。
「いいわよ。許してあげる。代わりに生きて帰ったんだから、盛大に感謝しなさいよ!!」