3-12
先導するニコルのともす、おぼろな魔法の光が揺れる。
もうどれほど歩いただろうか。ほんの少しの時間にも思えるし、丸一日も経っている気もする。
地下の振動は収まらない。爆音と崩落の音は、近くから遠くから、断続的に聞こえ続ける。
不安の中、足元もおぼつかない闇の中を歩くのは、想像以上に疲弊する。時間の感覚のない地下は、なおさらだった。
「あっ」
ニコルが足を止め、困ったように言った。
「あの、すみません。こっちは行き止まりでした……」
ニコルの光が、どこにもつながらない横穴の奥を照らす。ぬるりと瘴気に湿った壁が、奥に行くほど狭くなっているのが見える。
「じゃあ引き返さないと駄目ね。さっきの曲がり角まで戻りましょう」
「で、でも、さっきの場所は瘴気が濃くなっていて……」
「それなら、余計に早く戻らないと。行き止まりで爆発に巻き込まれたら大変よ」
カミラが言えば、人々は反論もなく、疲れたため息だけを吐き出した。
一人一人の顔色はうかがえないが、不安が濃くなっているのは感じ取れる。足取りは重くなり、互いに掛け合う声も囁きのように小さくなっている。
無理もない、とカミラは引き返しながら思った。こうして引き返すのも、もう何度目かわからない。進んでは戻り、進んでは戻るうちに、彼らは「本当に大丈夫なのか」と疑問に思い始めているのだ。
アロイスの魔力を追うようになってから、ニコルは明らかに混乱していた。
これまでは、瘴気の薄い方向だけを探して進めばよかった。だけど、今は違う。ただ瘴気を避けるだけではなく、そのうえで魔力の方角を追わなければならない。曲がり角のたびにニコルは迷い、恐る恐る方角を選択し、間違えるたびに人々の疑惑を向けられる。
ニコルが足を止めるたび、ため息が出る。誰も何も言わなくても、それだけでどんな目で見られているのかわかるだろう。
もとよりニコルは、気が強い方ではないのだ。ニコルはどんどんと自信を失い、選択を恐れていく。
だけど、進む先を決められるのはニコルしかいないのも事実。歯がゆいけれど、カミラには彼女に任せるほかにない。
曲がり角まで戻ると、一行はまた足を止めた。
少しひらけたその場所からは、細い道が幾重に伸びる。一番大きな道は、最初にここへ来た時に通った。二つ目に大きな道は、瘴気が濃くて避けた。それで選んだのが、三番目に大きな道だった。だけどこれは行き止まりだ。
あとは、子供が一人くぐれそうな亀裂がいくつか。カミラはそれらを見回して、ニコルに尋ねた。
「どっち? こっちに行ってみる?」
二番目に大きい道を示して、カミラは尋ねた。
「だ、だめです、そっちは魔力の方向には近いですけど、瘴気が濃くて」
「来た道を戻ったほうがいいかしら?」
「だめです! あっちはもう、いつ爆発してもおかしくないです」
「じゃあ――――」
カミラが言いかけたとき、からん、と乾いた音がした。
地響きに紛れ、聞こえてきた違和感のある音に、カミラは振り返った。
目に映るのは、杖を投げ出しうずくまるマルタの姿だった。マルタを支えていた使用人の男が、傍で戸惑ったように声をかけていた。
「マルタ様、どうされました」
「私はもう歩けん」
マルタは落ちた杖を拾う様子もなく、うつむいてそう言った。
「足が動かん。杖を持つ手に力も入らん。それなのに、私はどこに向かって歩いている?」
「外に出るためです。もう少しの辛抱ですから」
男が励ますように言うが、マルタは首を横に振った。そして、うつむいたまま、ニコルに視線を向ける。
「採掘夫も入らない横穴を通り、道は行き止まりばかり。このまま進んで、本当に外に出られるのか?」
暗闇の中、マルタの表情ははっきりと読み取れない。だが、言葉には不信感がありありと表れていた。
ニコルは体を縮め、口ごもった。両手を握り合わせ、視線を落とす。
「あの……えっと」
「ニコル、アロイス様の魔力は近づいているのでしょう?」
「は、はい。もう、そんなに遠くないはずです」
カミラの問いに、ニコルはどうにか小声で答えた。何度も迷い、進みながら、ニコルはどうにかアロイスの魔力に近付いていた。あといくらもないほどには近いはずなのに、道がわからず、何度も行き来をする。それがさらに、ニコルを焦らせていた。
ニコルのその言葉を聞いても、マルタはふん、と息を吐くだけだった。
「その娘の言うことは、本当に信用できるのか? 魔法が使えても、瘴気の濃さなんて本当にわかるのか? そもそも、本当に地上で魔力を放っている人間がいるのか? 誰もわからんのだろう」
マルタは息を吸い、深く吐き、また息を吸う。呼吸音がやけに目立つのは、疲労ゆえだろう。高齢のマルタには、この道程はかなり厳しい。それが、彼女の不信感にもつながっているのだ。
もちろん、だからといって勝手な言い草に我慢ができるかどうかは別だ。
「もうちょっとくらい辛抱しなさいよ。今ここで、ニコルを責めたってどうにもならないでしょう」
「死ぬまで辛抱しろと言うつもりか」
「死なないための辛抱よ! ニコルがいなければ、魔力の爆発に巻き込まれていたかもしれないのよ!」
「ずっと揺れや爆発が続いていた。魔力がなくたってあの場所が危険だとわかる」
カミラが怒鳴るのとは対照的に、マルタの声は静かだ。もとより声を荒げる性質ではないのだろうが、それ以上に大声を出す気力も出ないらしい。
「だったらニコルより先に、場所を移動しようって言うべきだったでしょうが!」
「私はお前たちより慎重だっただけだ」
「ああ言えばこう言う! 口先だけじゃなんとでも――――」
カミラが苛立ちに大声を上げたとき、呼応するように地面が揺れた。
これまでで一番大きな揺れだ。悲鳴が上がる。
その悲鳴さえもかき消して、爆音が響いた。
爆音は、ここへ来るために通った、一番大きな道から聞こえた。
爆音の後に、崩落の音が聞こえる。逃げるように噴き出した瘴気の風が、カミラたちに吹き付ける。
それに合わせて、崩落と地響きが近づいてきていた。
「逃げろ! 崩れる!!」
使用人の男が叫ぶ。マルタがはっと杖を取り、町の女が子供を抱き上げた。だが、逃げる先をためらい、立ちすくむ。
瘴気の風の進む先は、二番目に大きな道だった。先ほど、ニコルが否定した場所だ。
――――風の流れ?
浮かんだその思考よりも先に、カミラは声を上げる。
「あっちよ! 走りなさい!」
考える間もない。人々は弾けるように走り出した。爆発が連鎖し、地下を破壊し、どんどん追い詰める。
○
飛び出したのは、一つの大きな空洞だった。カミラたちが最初に落ちてきた場所と少し似ている。むせかえるような瘴気に満ち、泥のような水たまりが点々とある。
揺れと爆音は、まだ背後から追いかけてきている。空洞全体が揺れてきしみ、不穏な音を立てる。
「イルマ!!」
息を切らし、空洞の中央へ躍り出るカミラたちに向けて、誰かの声が響いた。
人の声だ。驚きに足を止め、周囲を見回せば、ニコルの光に照らされて、いくつかの人の影がある。
さほど広いとは言えない空洞に、十四、五人ほど。壁際に、身を寄せ合って座っている。何人かは伏せっている。崩落の跡が見え、不自然に崩れた壁がある。
「フリーダ!? あなた、広場に逃げたはずでしょう!!」
茶髪の侍女が、荒い息を吐きながら叫んだ。その横で、疲れ切ったようにマルタが転ぶ。落とした杖を拾う気力もないらしく、そのまま再びうずくまってしまった。
「広場は崩れたわ! あなたこそ、どうしてこんなところに!?」
「崩れた……!?」
イルマと呼ばれた茶髪の侍女が、戸惑ったように立ち尽くした。
人々の足はすっかり止まっている。だが、迫ってくる瘴気の風は収まらない。爆発がカミラたちに追いつき、逃げてきたばかりの道ではじけた。
まばゆい爆発の光に、人々がざわめく。いや、ざわめいている時間なんてないのだ。
「逃げなさい! ここも崩れるわ!!」
「逃げるって、どこへ」
叫ぶカミラに、誰かが問い返した。空洞から伸びる道は、カミラたちが逃げてきた場所以外にも無数ある。どれが外へ続く道なのか、それともどれも行き止まりなのか、カミラにはわからない。おそらくは、この場にいる誰も判断ができない。
「ニコル! どっち!?」
「え、あ、あの、えっと……!」
ニコルは両手を握り合わせ、泣き出しそうな顔で空洞を見回す。視線がさまよい、定まらない。迷っているようだ。
その間も、地響きは止まない。地面が揺れ、目がくらむような瘴気の風が巻き起こる。
「わ、私……あの、こっち、いや、あっち」
ニコルは困惑したまま、あいまいに言葉を翻す。判断することに怯え、ためらうニコルにカミラは苛立った。地面が揺れ、泣き声が上がる。空洞にいた人影も、伏せっているもの以外は全員立ち上がり、怯えるように壁際から離れていた。
「ニコル! 早く!」
「え、ええと」
ニコルは集まる視線に怯えていた。期待と疑惑。ニコルの言葉一つで、ここにいる全員の命運が決まるかもしれない。
その責任の重さに耐えられない。
「ニコル!」
迷う間にも、爆発が起こる。空洞の中で、一番大きな水のたまりが破裂して、まばゆい光を放った。近くの壁が崩れ落ち、伏せた人影の上に降り注ぐ。悲鳴が止まない。逃げないと思うのに、足がすくんだように、みんな動けずにいる。
だって、暗闇の中、どこに進めばいいのかわからない。ここよりもましな場所があるのか? どこもかしこも瘴気に満ちた地下に、逃げ場なんてあるのか?
「あなたが決めるのよ! ニコル! あなたにしかできないのよ!!」
「で、でも、奥様、わ、私が間違っていたら」
「そうしたら、私が責任を持つわ!」
死んでも恨まれるのはカミラ一人。最初に言い放った言葉だ。ニコルが間違っていたとしても、先導を任せたのはカミラ自身。だから、ニコルは決めるだけで良い。恨みや憎しみも、カミラが全部背負い込む。
――――それに。
「大丈夫よ、アロイス様もいるんでしょう。私は信じているわ」
それに、カミラは死ぬつもりなんてない。生きて帰ることができると思うから、ニコルに任せたのだ。
「そ、そうですね。あ、アロイス様がいますし……!」
「アロイス様だけじゃないわ」
カミラはニコルを見据え、地響きの中でもはっきりわかる、確かな声で言った。
「あなたもよ、ニコル。あなたの力を信じているの」
ニコルは息を止め、目を見開いてカミラを見つめ返した。
その間にも地面が揺れ、また一瞬の光が溢れ、消えると同時に悲鳴が上がる。がらがらと不吉な音が響き、我に返ったように人々が走り出す。こんな場所にはいられないと、めちゃくちゃな方向に逃げ出そうとする。
「先導しなさい、ニコル! どこに行けばいいのかは、もう決められたわね!?」
「――――はい!」
震える声を押し殺し、力強く返事をすると、ニコルは逃げまどう人々の前に駆け出した。