3-11
「ここから離れろですって!?」
侍女が悲鳴に似た声を上げた。
「離れてどこに行くつもり!? こんな暗い中、怪我人だって、年寄りだっているのよ!」
「どこに行くか、ではないわ。ここが安全ではないから逃げるのよ。さっきからそう言っているじゃない!」
小刻みな揺れは、今も絶え間なく続いている。魔力の暴発音が上がるたび、ニコルは震えた。低い地響きは、次第に音が高くなってきている。ときどき圧迫されるかのように、壁がみしりと軋んだ。
「よその場所が安全なんて保障もないでしょう!」
だが、人々はカミラに懐疑的だった。ここを離れるということは、いくつか見える狭い横道に入っていくということだ。闇に目が慣れたとはいえ、足元はおぼつかない。年寄りや子供もいる。怪我人もいる。彼らを連れて進むのは困難だ。
なにより、侍女の言う通り。どこにつながるかわからない横道に入ったところで、生きて帰れる保証はない。袋小路につながっているかもしれない。逃げ場もないうちに、魔力の暴発に巻き込まれるかもしれない。
そうなるくらいなら、せめて広さの感じられるこの場所にいた方が、まだましだ。そう思うのも無理はなかった。
「俺も離れないほうがいいと思う」
使用人の男も、侍女に加勢する。
「俺たちは最初にここに落ちてきたんだ。崩れた場所とここがつながっているのかもしれない。下手に移動すると、誰かが助けに来たときも、すれ違う可能性がある」
使用人の言葉は冷静で、説得力がある。なにより数少ない男手だ。無意識に、彼は人の信頼を集めている。
「採掘の時も、閉じ込められたときはその場から動かないのが鉄則だ。割れる魔石がなくても、いつまでも帰らないとわかれば、魔力持ちが地上から探してくれる。魔石の暴発なら、事故の場所で魔力が発せられるから、それを頼りに坑道を探してくれるんだ。待っていれば、必ず助けはくる。俺たちはずっとそうやってきた」
そうだ、そうだと微かな同調が聞こえる。カミラは、その同調をかき消すように叫んだ。
「待ち続けて、生き埋めになったら意味がないでしょう!!」
天井がきしみ、小石が落ちる音がする。小石が落ちて、泥沼のような瘴気のたまりに沈む。もはや瘴気は濃すぎて、カミラには濃淡の違いがわからない。だが、ニコルは怯えを増していく。
「ここは危険だって、魔力持ちが言っているのよ! 助けが来るまで待って、全員死体で見つかりたいわけ!?」
「子供の前でなんてことを言うのよ!」
甲高い声と共に、ばちんと異質な音が響く。侍女がカミラの頬を叩いたのだ。頬に感じる痛みと熱ともに、カミラは子供の泣き声に気が付いた。町の女が子供を抱きとめあやす。泣き声が響くほどに、人々も疲れを増しているように見えた。
それでもカミラは黙るわけにはいかない。暴発の音がする。また大きく、天井が軋む。だんだん音が近づいていることに、みんな気が付いていないはずがない。
「ここに居続けたら、子供が泣くことだってできなくなるわ!」
「あんたについて行ったところで、それは同じよ! 行きたいなら、あんた一人で行きなさいよ!!」
叫ぶより先に地面が揺れる。侍女の顔にも怯えが見える。どこか近くで崩落が起きたのか、轟音が会話をかき消した。
その轟音まで消えると、空間が一瞬静かになる。子供の泣き声さえも引っ込んだらしい。呼吸の音が妙に響く。それが、妙に人々を冷静にさせた。
カミラは息を吸い、静かに吐き出す。
「死にたくないでしょう」
「……当り前だわ。特にあなたとなんてごめんよ」
「私もだわ。だから行こうって言っているの」
「あなたについて行ったって、死ぬかもしれない。誰か死んだらどうするつもり」
侍女の鋭い視線を受け止める。とどのつまりはそう。みんな、ここが危険だとは知っている。だけど先に進むことをためらうのは、確証がないからだ。
本当に大丈夫なのか。もっとひどい目に遭うのではないか。信じて進めるのか。
彼らの信用を得るためのものを、今のカミラは持っていない。命を預けられるだけ保証がない。ついて行って後悔しないと思えるだけの価値がない。
「死んだら、私を恨みなさい」
だからそのまま、受け止めるしかない。
「絶対に生きて帰れるとは言わないわ。もし誰かが死んだら、すべて私が悪いのよ。恨んで憎んでくれて構わないわ。道中の文句も、全部私にぶつけなさい!」
言いながら、カミラは暗闇の人々を見回した。侍女、使用人の男たち、マルタに町の人々。みんなカミラを見ている。
「責任は私が持つ! 代わりに、生きて帰れたら感謝しなさいよ!!」
それも、盛大に。カミラの前に首を垂れ、今までの非礼を詫びて感謝するべし。
洞穴に響くカミラの言葉に、人々は顔を見合わせた。会話はなく、束の間の沈黙と、小さいけれど近い轟音だけが響く。
大きな揺れが収まったころ、侍女が諦めたように言った。
「…………あなた馬鹿だと思うわ」
「なによ」
――まだやる気?
思わずカミラは低い声で答えるが、侍女はまるで気にした様子がない。考えるようにうつむくだけだった。
「生きたいなら、一人で逃げればいいじゃない。その方が、変な責任だってないし、恨まれたりもしないのに…………でも、そうね、あなたって死んでも死ななさそうで」
侍女は疲れたように頭に手を当てた。悩みと迷い、それから覚悟が入り混じり、複雑な息を吐く。
「…………あたしが死んだら、あなたを恨むわよ」
じとりとした侍女の視線に、カミラは口を曲げる。
いいだろう、受けて立つ。
○
ニコルを先導に、瘴気の少ない場所を探りながら、カミラたちは横穴の一つに潜っていった。
老人と怪我人は使用人の男たちが支え、子供は女たちが導く。カミラが最後に横穴にもぐりこんだとき、今までで一番大きな地響き地下を揺らした。
同時に、目の前が明るくなる。
それが、魔力の光だと気が付くのに、しばらくかかった。
振り返れば、いくつもあった瘴気の水たまりが破裂する瞬間が見えた。濃い瘴気が魔力に反応し、光を放ちながら爆発する。それに誘発されるように、隣の水たまりも弾ける。水たまりが消し飛ぶたびに、光が溢れ、洞穴の中を昼のように照らした。
明るい光の後の闇は、一層濃く見えた。
「――――行きましょう」
おののき、足が止まる人々を後ろから追い立て、カミラは鉱脈の奥へと進んでいく。
○
それからしばらく。誰もはぐれていないか、置いて行かれていないか、声を掛け合いながら進んだ。
横穴は自然にできたものなのか、整備された道ではない。足元はぬかるみ、不安定だ。天井は低く、時々ひどく狭い。
徐々に不安を覚えだすころ、ニコルがふと声を上げた。
「――――あ」
不意に足を止め、ニコルは天井を見上げる。彼女の視線の先にはなにもない。少なくとも、一行の中に見えるものはいなかった。
「カミラ様、上」
呼びかけられたカミラにも、ニコルの見ているものはわからない。だけど、ずっと怯え調子だったニコルの声に、少しの安堵が見えた。
「誰かの――たぶん、たぶんですけど、アロイス様の魔力の気配があります。出口を示してくれているみたい」
ニコルは言いながら、道の奥、少し右よりの斜め上を指さした。
あの先に進めば、出口がある。