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3-10

 指の先が、冷たい水に触れる。

 どこか打ち付けたのだろうか。背中が痛む。細く目を開けても、周囲にはなにも見えない。ただ、滴るほどの濃い瘴気だけを感じられた。

 カミラは横たわったまま、何度か瞬いた。それから、勢いよく体を起こす。

 ――ここはどこ……!?

 足元が冷たい。思えば、横たわっていた背中も濡れているようだ。さらにいうと、全身が濡れている。だが、水ではない。どこか重たい沼めいていて、触れた場所がひりひり――では済まないくらいには痛む。液体化した瘴気の泥たまりだった。

 瘴気は通常、気体となって空気に紛れる。液体になるのは、相当に瘴気が濃い場合。これが固まり、純粋な魔力だけとなったとき、魔石と呼ばれる石ができるのだ。

 つまりは、ここが魔石の鉱脈。瘴気が湧き、魔石を生み出す場所なのだ。

 ――枯れたなんて嘘っぱちじゃない。

 魔石が枯れても、まだ豊かな瘴気が残っている。長年放っておけば、瘴気は濃くなり、かたまり、魔石を作り出すのも当然のことだ。魔石を作り出す際に、暴発が怒るのもまた自然のこと。

 ――やっぱり私が正しかったわ。

 森へ逃げろと言ったのは間違いではなかったのだ。そう思ったところで、カミラははっとした。そういえば、他の者たちはどうした? あの大通りには、まだ人がたくさんいたはずだ。

「ニコル! 誰か! いる!?」

 まとわりつく瘴気の水たまりから這い出ると、カミラは声を上げた。返事の代わりに、どこか遠くから地響きが聞こえてくる。まだ、魔石の暴発は収まっていないようだ。

 視界は暗く、ぼんやりと自分の近くが見えるだけだ。カミラは地面を這いながら、なにかにあたらないかと手を伸ばす。

「ニコル!」

 指先が柔らかいものに触れ、カミラは声を上げた。どうやら人らしい。かすかなうめき声に近付いて、おそらく顔と思われるところを叩いた。ぱたぱたと叩くと、それは目を覚ましたらしく、うっとうしそうにカミラの手を払った。

「やめて――――ここ、どこ」

 その声に、カミラは眉をしかめる。聞き覚えはあるものの、ニコルに比べて口調がきつい。声自体も女性にしてはやや低めだ。

「誰よあなた」

「それはこっちの言うことだわ」

 もっともである。


 ○


 カミラが倒れていたのは、地下のひらけた空間だった。いくつもの瘴気のたまりがあり、どうやら横穴がいくつかあるらしい。

 天井は見えない。地下から落ちてきたのだから、空の一つも見えるだろうと思えども、地下に差し込む光はなかった。よほど深くまで落ちてきたのは、あるいは町を覆う瘴気が、光を隠してしまったのだろう。


 周囲には、同じように倒れた人々がいた。多少の怪我人はいるものの、動けないほどの者や、死んだ者はいなかった。

 原因は、一帯に広がる重たい瘴気の水たまりのおかげだろう。さほど深い水たまりではないが、落下時の衝撃を和らげてくれたらしい。

 倒れていた人々は、カミラと、カミラに起こされた女とで、手分けして探し起こした。倒れていた中にはニコルもいた。起こしたばかりのニコルは、混乱と濃い瘴気の中にあって、ひどい魔力の暴走を起こしたが、今は少し安定している。また暴走するのを恐れてか、彼女は現在、地下の隅で大人しく座り込んでいた。


 一方で、大人しくないのはこの女だ。

「あなたが手を離せば、こんなことにはならなかったのよ!」

 カミラを責めるのは、広場へと逃げようとしていた侍女だ。彼女は、カミラが一番最初に起こした女でもある。周囲の人々を叩き起こすまではお互い協力していたが、起こし終えればもう義理もない。

 なにより、彼女の言うことは間違いがなかった。

「あなたが引き留めるから、私は逃げ損ねたのよ! こんな場所にいなくて済んだのに!」

 彼女が叫ぶと同時に、どこかでまた地響きがする。先ほどよりも音が近い気がして、侍女は「ひっ」と声を上げた。

 周囲の人々も怯えている。まだ暴発が続いているのならば、いつここも巻き込まれるかわからない。今いる場所だって、十分に瘴気は濃いのだ。

「どう責任を取るのよ! このままじゃ、あたしたち全員生き埋めだわ!!」

 全員、と言いながら、彼女は両手を広げる。カミラはその両手越しに、地下に落ちた人々の顔ぶれを見た。

 闇に慣れた目が、人々のあいまいな輪郭を捉える。目に映るのは、ほとんどが女子供か老人。町の住人たちと、侍女が数人。使用人の男二人に、マルタの姿もある。

「……地上からの助けを待つしかないだろう」

 使用人の一人が、諦めたような声でそう言った。

「魔石を割って魔力を出すことは難しいだろうな。ここは枯れた鉱脈だし、見たところ、魔石が露出している場所もなさそうだ」

 魔石採掘で閉じ込められたときの、定番の救援要請。それは地上にいる魔力持ちに向けて、こちらから強い魔力を放つことだ。たいていは、魔石を割ることであふれた魔力を利用する。

 もう一つの方法は、その人自身の魔力を放つことだ。これは、地上に届くほどの強い魔力がなければ意味がない。

 使用人は、周囲の人々を見回してから尋ねた。

「魔力持ちは、地上に向けて適当な魔法を使ってくれ。それで地上の誰かが気が付くかもしれない。誰かいるか?」

「いないよ」

 即座に、町の住人らしい中年の女が応える。彼女は暗闇の中、泣きじゃくる子供たちを抱えていた。

「魔力持ちはみんな採掘にとられる。この時間帯は魔力持ちなんてどこにもいない。男手もそうだ」

 女は当たり前のように淡々と話す。だが待て、それはおかしい。

「採掘は中止するようにって、アロイス様から言われていたはずだわ」

 瘴気が強まったころ、なにかあるといけないからと、アロイスはグレンツェとアインスト、両方の町で採掘を止めさせていたはずだ。

 だけど、そうか――気が付いてしまってから、カミラはそのいやらしさに顔をしかめる。

 グレンツェとアインスト。採掘で栄えた二つの町。片方が中止している間は、もう一方にとっては好機になりうる。こと、グレンツェを敵視するアインストにとっては。

「この町は採掘で成り立っている。止めてどうする」

 低い声で答えたのは、うずくまるマルタだった。老齢にこの騒動は堪えるらしく、すっかり疲れた様子だった。

「グレンツェと違って、この町は採掘より他にない。止めている間はどうやって暮らす。いつまで止める。瘴気なんていつだって濃い。それなのに、瘴気が晴れるまで止めろと?」

「アロイス様は、異常な瘴気だから止めたのよ!」

「領都にいる人間に、異常がなぜわかる。私たちはこの町で暮らしてきた。私たちの方が知っている」

「こんな状態で、よくも知っているなんて言えるわね!」

「なんとでも言え。私たちの方が、ここの暮らしは長い。それで誤っていたのなら、死ぬだけだ」

 そう言うと、マルタはカミラから顔を逸らした。これで話を打ち切るつもりなのだ。

 ――暮らしが長い。だからなんだっていうのよ! 実際、アロイス様の言うことの方が全部正しかったんじゃない!!

 だけど、正しいか正しくないかは、この期に及んで彼女たちには関係のないことなのだ。よそ者の言うことは耳を貸す価値がなく、長い伝統と歴史だけが意味を持つ。

 ――ばかみたい!

 そんな考えでグレンツェを敵視して、アロイスを責めて、身を危険にさらしたのだ。どこかで暴発が怒るたびに子供たちが泣き、誰かが不安を口にする。震えながら「死にたくない」と誰かがつぶやく。

 カミラを責める侍女も、声音は強くたって、怯えているのがわかる。マルタだってそうだ。顔を逸らし、うずくまっているのは怖いからなのだ。

 ――ちゃんと感情があるじゃない。

 無機質に見えても、仮面のようでも、こうなってしまえばやはりみんな死にたくない。助かりたい。人々は生きていて、誰にだって心がある。

 なのに、誰も動けないのだ。誰かの声に従うだけの生活を、唯々諾々と積み上げてきた月日が、彼らを縛り付けている。


 カミラがぐっと両手を握りしめたとき、どこかで地響きがした。

 音が近い。天井が揺れ、壁が少し崩れた。がらがらと崩れる壁の音を聞くより早く、次の音が響く。

「……奥様、たぶん、ここを離れた方がいいです」

 隅で座り込んでいたはずのニコルが、いつの間にかカミラの傍まで来て、そっと話しかけた。彼女もまた、怯えている様子だった。

「瘴気――じゃない、魔力そのものが、迫ってきている感じがします。ここは、安全な場所ではないです」

「……ニコル、あなたそういうのがわかるのね」

 カミラが問いかけると、ニコルは自信なくうなずいた。

 強い魔力持ちは、瘴気の気配に敏感だ。カミラや他の人々にはわからないことも感じ取れるのだろう。

「わかったわ」

 カミラは短く答えると、細い体に大きく息を吸い込んだ。


 誰かに従わなければ動けないのであれば、頭を務める役がいる。その役割を果たすマルタは、命と共に思考を放棄している状態だ。

 そうなれば、代わりがいる。


 今この場で、一番偉いのはカミラだ。

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