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3-9

 なにかあったときは、森へ逃げるようにとアロイスは言っていた。

 理由は町の構造にある。


 アインストの町は、一つの大きな沼地を埋め立ててつくられた。沼地の一部をかじるようにして、採掘地と隣り合わせになっている。

 埋め立てた沼地も、元は魔石の採掘地。採掘の終わった土地に家を建てたのがアインストの始まりだ。

 だから、町の地下には魔石の鉱脈が走っている。すでに瘴気の消えた、枯れた鉱脈といわれているが、鉱脈は繋がっているものだ。隣には、生きた採掘地がある。


 一方で、木々の生い茂る森は、町の外側にある。森には領都でも見たような広葉樹が生え、アインストでは数少ない動物や虫が暮らしていた。

 一面の湿地であるアインスト一帯において、この森は一つの目安になる。

 そこだけ、地面が乾いているのだ。

 木々が根ざすだけの、しっかりとした土台がある。毒草ではなく、ヒキガエルでもなく、木々が茂り、生き物が暮らしていることは、瘴気に侵されていない証になる。


 ただの湿地と、瘴気の湧く沼地。二つの境目はあいまいだ。沼地と繋がっているかもしれない湿地へ逃げるよりは、森へ逃げ込んだ方が危険は少ないとみていたのだ。



 それは、アインストの人間も知っているはずだった。

 まだ事故が起こる前に、アロイスが避難するように指示を出していたはずなのだから。


 ○


 どおん、という音は、立て続けに聞こえた。最初の一度目は大きく、それから徐々に小さ

くなる。しかし、そのたびに地面が揺れ、瘴気はますます濃くなっていく。

 町の外では、驚いた人々が家々から飛び出していた。無数の戸惑いとざわめきの中で、誰かが叫ぶ。


「魔石暴発だ! 音が近い!! 逃げろ!!」

 小刻みな揺れと、地下から響く重たい爆発音をかき消すように、その声は響いた。

「地下で暴発が連鎖している!! 崩れるぞ!!」


 堰を切ったように悲鳴が上がる。

 収まらない揺れの中、逃げ出す女子供たちの姿を、屋敷から飛び出したカミラは見た。


 石畳の引かれた大通り。等間隔な横道。整然と立つ幾何学的な家々。その整然さを、逃げ惑う人々が壊す。

 大地の揺れと悲鳴にあふれた町では、言葉さえもろくにかわせない。瘴気は霧のように視界を奪い、人々の顔もわからない。

 中年の女は声を張り上げ、子供たちを誘導する。足腰の立たない老人たちが、少し遅れてついて行く。誰かが転び、子供が迷い、鳴き声が響く。

 おぼろな視界の中で見えるのは、老人か女子供ばかりだ。こんな時に役に立ちそうな男衆の姿は見えない。なぜか、と思う間も与えず、また地面が揺れる。

「家から出ろ! 広場へ向かえ! ひらけた場所へ行くんだ!!」

 数少ない若い男――カミラの前に立ちはだかった使用人の一人が、声を張り上げた。カミラが外へ飛び出たのと同じくして、屋敷の中からも次々と使用人たちが逃げ出てくる。

 マルタもまた、杖に縋りつきながら出てくる。おぼつかない彼女の足取りを支えるように、傍にもう一人の使用人の男が付いていた。

 彼らもまた、誘導される先に向かおうとしているようだ。大通りの先にある、町の中心部。蜘蛛の巣のように規則正しく伸びた道の交点へ。

 ――――広場?

 怯え、困惑し、ばらばらに逃げていた人々の流れが、徐々に一つに定まっていく。悲鳴を上げながら、みんな同じ方向に逃げていく。

「カミラ様! 私たちも逃げましょう!」

 ニコルがカミラの袖を引き、人々の流れに加わろうとする。だけど、カミラは瞬間ためらった。行っていいのだろうか。

 ――だって、広場は町の中心部よ。

「……アロイス様は、森へ逃げろと言ったわ」

 屋敷の前で立ち止り、カミラがぽつりとつぶやく。その声をかき消すように、背後から誰かがカミラに怒鳴りつける。

「――――どいて!!」

 ぐい、とカミラを押しのけて、屋敷の侍女が飛び出してくる。明るい茶髪の、やや目つきのきついその侍女は、そのまま人々の中に入ろうとしていた。

「待ちなさい!」

 その腕を、カミラは思わず掴む。侍女が驚いて振り返り、カミラを見てもう一度驚いたらしい。瞬きをしてから、焦りと胡乱さの入り混じった視線をカミラに向ける。

「なんです。手をお放しください。あなたたちも、逃げた方がよろしいのではないでしょうか」

「逃げるなら、森ではないの? アロイス様からそう言われているでしょう?」

「森なんて!」

 まさかというように侍女が叫ぶ。

「木々が倒れたらどうするつもりです!? 下敷きになれというのですか!」

「だけど、町の地下には魔石の鉱脈があるんでしょう!? 下敷きにならなくても、地面が崩れるわよ!!」

「地面なんて崩れないわよ!!」

 侍女が声を張り上げ、カミラの手を振り払った。相手にしていられない、とでもいいたげな態度だ。

 実際、この急場でカミラの言葉など聞く余裕はない。まだ爆発音は響き、瘴気は濃くなるばかり。一刻も早く逃げるべきなのだ。

「百年以上もこの町はあるけど、地面なんて崩れたことはないわ! 町のことなんて、領都のあなたたちよりずっと知っているのよ!!」

「駄目よ! 待ちなさい!!」

 再び逃げようとした侍女の手を、カミラはつかみ取る。それから、侍女だけではなく、人々の逃げる街道に向けて声を上げた。

「止まりなさい! 逃げる場所が違うわ!」

「なにを……馬鹿なことを!」

 カミラの声に反応したのは、手をつかまれた侍女だけだ。逃げる人々は足を止めることもなく、カミラを振り向くそぶりも見せない。それでも、カミラは諦めない。腹の底から、甲高く叫ぶ。

「森へ逃げなさい!! 命令よ!! 足を止めなさい!!」

「手を離して! 馬鹿なことを言わないで!! 広い場所に逃げるなんて、当たり前のことじゃない! ずっと昔から、私たちはこうしているのよ!!」

 侍女が暴れる。腕を引き、体をひねる。思わずよろめいたのは、侍女に引っ張られたからか、それとも地面が揺れたせいなのか。カミラにはわからなかった。

「――――奥様」

 揉めるカミラと侍女の横で、ニコルが怯えた声を上げる。ニコルの視線は定まらない。どこか、見えないなにかを探すようにさまよわせ、震える息を吐き出した。

「奥様、まずいです。近付いて……」

 地震が止まない。地響きがする。強い魔力のはじける気配が近づいてくる。

 視界がかすむ。むせかえるような瘴気に、ニコルは咳き込んだ。

 だが、それすらも喧騒がすべてかき消した。

「広場へ逃げる理屈があるの!? 命が惜しければ、森へ逃げるの! 伝統なんて、誰も守ってはくれないわ!!」

「よそ者が、知ったような口を! あなたと一緒に心中なんてごめんよ!!」

「心中したくないから言っているのよ!!」


 カミラの叫びは、一瞬訪れた静寂の町に響き渡る。

 地震が止み、地響きが止み、魔力の暴発が止んだ。


 呆気にとられるほどの静寂。時が止まったのかと思うような停滞。

 瞬きをするだけの間。


 次の瞬間には、すべてがかき消された。


 轟音が町を包み込む。地面の揺れは感じなかった。

 代わりに、足元が崩れ落ちていく。地面が割れ、大地は町ごと人々を飲み込む。 


 カミラが最後に感じたのは、絶望めいた人々の悲鳴と、浮遊感だけだった。

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