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3-8

 あの老婆はなんなのか。

 あの態度は誰の差し金か。

 どうしてこんな無礼な態度が取れるのか。


 案内をする侍女にさんざん文句を言っても、彼女は「存じ上げません」としか言わなかった。

 彼女もまた、人形のようだと思った。栗毛色の髪に、仮面めいた無表情。頬は白く陶器のよう。細面な印象は、先ほどの二人の使用人のうち、左側に少し似ている。目元に同じほくろがあるのも同じ。兄妹だろうか。

 侍女はカミラを部屋の前まで案内すると、無感情に頭を下げ、去っていった。


 ○


「ああ、悔しい――――!!」

「もう! もう!! 悔しいです!!」

 アインストの客室。侍女が去り、人の気配もなくなると、カミラとニコルはどちらともなく声を上げた。

「飛躍し過ぎなのよ! なによ、死ぬ死ぬって! いつの時代の人間よ!!」

「あんな態度ってあります!? 仮にもモンテナハト家の奥様に!!」

「仮にもってなによ!?」

 ニコルがうっかり漏らした言葉に、カミラが目を剥く。しかし、そんなことも気にならないくらい、ニコルは腹を立てているらしい。

「マイヤーハイム家って、ああいうところあるんですよ! 死ねば満足だろって感じの!!」

 マイヤーハイム家は武人の家系だ。それが、このモーントン領の風土と相まって、酷く時代遅れめいた性質を培ってしまっている。無個性な街並みも、無機質な生活も、無表情な人々も、ある種統率の取れた兵のように思われる。

 一つの目的があり、一つの頭があり、それに従う人々は、感情を切り捨てる。一人がいなくなれば、代わりに他の誰かが入る。あの老婆にも代わりがいれば、あの侍女にも代わりがいる。

 ――――いえ。

 内心で抱いた印象を、カミラは無意識に否定する。少し違う。あの老婆は、『底意地の悪い』意趣返しをしてきたのだ。感情がないわけではない。カミラに対して腹を立てるし、意地悪をしてやろうと思うだけの心がある。

「奥様、ずっとこんな扱いを受けていらっしゃるんですか!?」

 瞬間の思考は、ニコルの収まらない怒りに消える。水を向けられたカミラは、とんでもないと首を振った。

「ここまでのはないわ! この町は異常すぎるわよ!」

 グレンツェだって、直接的にカミラに嫌がらせをしたわけではない。領都では一度ひどい目に遭ったが、あれはきっちり処分したから良し。となると、せいぜいゲルダ一人くらいだ。

「町ぐるみのいやがらせってなに!? こんなの許されないわよ! 絶対に後悔させてやるわ!!」

 とはいえ、アインストは憎らしくもモーントンの主要都市。反発する人間を処断していっても、町の人間の不信感を買うだけだろうし、町ぐるみでこの態度では、いずれ住人全員を処断する羽目になりかねない。

 数百年の間に凝り固まった町の人心を、ころりと変えること難しいだろう。既成概念を壊すためには、いったいなにをすればいい?

 一人二人をどうにかしても変わらない。もっと派手に、一気に、ぶち壊してやらないと。

 ――無理だなんて、絶対に思わないわ!

「あいつら全員、『カミラ様』って呼ばせて、頭下げさせてやるんだから――――!!」

「その通りです!! 目に物見せてやりましょう! おー!」

 ニコルが両手を握りしめ、そう言った瞬間。彼女の近くの花瓶が割れた。


「こら――――!!」

「はい! すみません!!」


 今日もニコルの魔力は不安定だ。


 ○


 ニコルは一人、しょげた様子で花瓶の跡を片付ける。

 盛り上がりの後始末は、一抹の虚無感があった。


「あなたって、怒るとあんな感じなのね」

 ひとしきり騒ぎ終え、妙に冷静になったカミラは、ニコルを眺めながらそう言った。

 少し前までのニコルは、虐げられても我慢をする人間だった。一人で溜め込み、すぐに自分が悪いと頭を下げ、言い訳もろくにしない。どちらかといえばおとなしく、内向的な性格をしていると思っていた。

 あんな普通に、当たり前に怒ることが、カミラにはちょっと意外だった。

「……はしたないところをお見せしました」

 当のニコルは、ばつが悪そうである。魔力の放出と共に怒りも落ち着いたのか、いつも通りのニコルに戻っている。

「悪いって言ってるわけじゃないわよ。あんなの、腹を立てて当たり前だわ」

 相手だって、怒らせようと思ってやっていたことだ。あんな態度を前にして、穏やかな心地でいられるのは、よほどの人格者でもなければありえない。

 ――アロイス様は、こんな連中を相手にしていたのね。

 相談役一人を相手にしてこれだ。何人もの相手となると、想像するだけでうんざりする。カミラであれば、怒りの休まる暇はなく、切れる血管も一本や二本では済まないだろう。

 こんな調子なら、心折れる気持ちもわかる。カミラとしては絶対に折れるつもりはないし、相手の方をへし折ってやる気で満ちているが、そうではない人間がいることも知っている。

 アロイスはたぶん、カミラのような心の持ち方はできないのだろう。一人、悩みを告げる相手もいなければなおさらだ。


 ため息をついたところで、窓から冷たい風が吹く。瘴気の濃い風に顔をしかめれば、ニコルが、慌てたように顔を上げた。

「窓をお閉めしますか? 風が強くなってきたようです」

「大丈夫よ、このくらい」

「でも、瘴気もずいぶん強くなってきたようですし、奥様のお肌が――――」

 言いかけたニコルが、ふと言葉を切る。どうしたのかと尋ねるより先に、ひときわ強い風が吹いた。

 肌を焼くような、瘴気の風だ。

「――――奥様、様子が変です。瘴気が」

 ニコルの言葉は、最後までは聞こえない。



 重たく響く爆発音が、続くニコルの言葉をさえぎったせいだ。

 どおんと響く重低音は、その音だけで町全体を揺さぶった。

 地面が揺れる。屋敷が揺れる。

 カミラの足元も揺れる。立っていられず、尻から倒れたカミラは、窓の外に見た。


 どこからかあふれ出す、濃すぎる瘴気が靄のように渦を巻き、町を覆い尽くす様子を――――。

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