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3-7

 とはいえ、物事には限度というものはある。


「私はここに残れですって!?」


 アインスト滞在二日目。

 これから慰問に行こうとしていたカミラは、入り口に立ちはだかる使用人に向けて叫んだ。

 アロイスとその従者は、すでに先に出ている。下見がいるだとか、訪問先に話を付けておく必要があるだとか、なにかと理由を付けられて、先に行かざるを得なかったのだ。

 去り際、アロイスがどうにも不審そうな顔をしていたことを思い出す。「私は先に行きますが、どうか無茶はしないでください」などと言っていたのは、つまりはそう。アロイスにはわかっていたのだ。

 腹は立てず、落ち着いて行動をするように。なにかあったら人を寄越すように。もし瘴気の様子がおかしければ、町を離れて森の方へ向かうように――――などと、よくも言えたものだ。出立前のごみごみしたアロイスの忠告は、今のカミラの状態を予期してのものだったのだ。


 ――わかってたのなら、一緒に連れて行きなさいよ!!

 それか、せめて一言でも警告を残しておいてくれれば、こんな土壇場にも対応できたかもしれないのに。どうにもアロイスは、他人に対して壁があるというか、距離を置くというか。ここぞというところで内心を隠す節がある。

 しかし、アロイスへの怒りはいったん横だ。目の前にいる二人の男性使用人と、中央に立つ老婆が、今一番の邪魔者である。

「私は慰問のために来たのよ!? ここに残ったら来た意味がないじゃない!」

「あなたが訪れたところで、町の人間はあなたのことを知りません」

 老婆が一人、しっかりとした声で言う。腰は曲がり、杖をついてはいるが、気はしっかりとしているらしい。皺だらけの顔には厳格さがあり、白髪は几帳面にまるく結ばれていた。

 彼女は、町の重鎮の一人。町長の相談役であるマルタだ。マイヤーハイム家当主の義妹にあたり、モンテナハト家の家令・ウィルマーの伯母でもある。

「グレンツェの人間ならばあなたを知っているかもしれません。しかし、あなたがこのアインストを訪れたのは初めてのこと。顔も知らない女がいきなり現れても、町の人間は困惑するだけです」

「私がグレンツェに行ったことが不満なの!?」

 そんなの、あんまりにも狭量すぎる。信じられない気持ちでカミラが睨むが、マルタは顔色一つ変えなかった。

「いいえ、私はただ、事実と町の者の心情をお話ししているだけ」

 マルタの口調は、淡々として抑揚がない。両脇に立つ男は、二人のやり取りにも無反応だ。まるで、人形でも相手をしている気分になる。

 そのくせ、カミラに対する不快感だけは明確だから腹が立つ。

「我々はあなたの人となりを知りません。知っているのは、あなたが王都を追放されたことと、その経緯のみ。ユリアン殿下とリーゼロッテ嬢の恋の悪役であるあなたが見舞いに来たとしても、町の者は不信感しか抱きません」

「――――なんですって」

「あくまで、町の人間から見たあなたのお立場のお話です。私が思ったことではありません。しかし町の人間にとって、あなたは紛れもない悪女。リーゼロッテ嬢を虐めた女であり、王都を追放された悪人であり、女性に不慣れなアロイス様に取り入った狡猾な女です」

 カミラは絶句した。あまりに真正面からぶつけられた悪意にわななく。不快な思いは覚悟のうえで来たが、それで腹を立てないかどうかは別問題だ。頭に血がのぼり、罵倒の言葉しか浮かばない。なんて狭量、なんて頑な、なんて命知らずで、なんて無礼な――――。

「――――無礼者!」

 カミラが怒鳴るより先に、しかし高い声が割り込んでくる。カミラの背後から飛び出し、マルタにそう叫んだのは、控えていたニコルだ。彼女はそのまま、マルタに掴みかかろうとでもいうように足を踏み出し、手を伸ばす。

「モンテナハト家の奥方様に、よくもそんなことを――――」

 だが、その手はマルタの左右に控えていた使用人に掴まれる。無遠慮な力にニコルは顔をしかめ、微かにうめき声を上げる。

「野蛮な真似は、この町ではお控えください」

「ニコルを離しなさい!」

「承知しました」

 カミラの怒鳴り声に、使用人の男は素直に従った。ためらいなくニコルを離すと、また元の立ち位置に戻っていく。その無機質な行動とは対極に、カミラの頭は熱を持つ。

 突然の解放に、よろめくニコルを抱きとめながら、カミラは声を上げた。

「あんたたち、こんなことをして許されると思っているの!?」

 腰の曲がった、皺だらけの老いぼれマルタ。体格の良い左右の使用人。マルタの髪の色は白。使用人二人は、マイヤーハイム家特有の栗毛色。二人とも無表情。右の男は少し背が高く、左は目元にほくろがある。肌が白く滑らかなだけに、仮面めいて見えた。

 三人の容姿を、カミラは目に焼き付ける。あとで必ず、アロイスに言いつけてやる。やられたことは、カミラは忘れないのだ。

「町の相談役風情が、ただじゃ済まさないわ! あんたたち、まとめて処分してやるんだから!」

「首をはねますか」

 憤るカミラに、そう告げたのは当のマルタ自身だ。急に聞こえた物騒な言葉に、カミラは目をむいた。

 小さなマルタは、杖に体を預けながら、カミラを見据えた。

「町の人間の意見を述べたにすぎなくとも、気が済まないのであれば致し方ありません。老いぼれの首くらい差し出しましょう。ええ、町の心情を伝えただけの私が、私の意思なく伝達の役目を負った私が許せないのであれば」

 狭量である。とマルタは言葉にはせずに告げている。アインストが狭量である、と暗に非難したカミラへの、意趣返しだ。この底意地の悪さに、カミラは背筋がぞわぞわした。

「私の首をはねたところで、町の人間はあなたへの恐怖を増やすだけでしょう。私の口を閉じたところで、町の人間の感情は変わりません。この屋敷に働く者たちも、みんな同じ気持ちです」

 マルタがくい、と顔を上げる。つられて背後を振り向けば、カミラは様子を伺う無数の目の存在に気が付いた。

 廊下の奥、柱の影、扉の向こう。使用人たちが息をひそめ、マルタとカミラのやり取りを見守っている。

 誰もなにも言わない。誰も身じろぎ一つしない。ある種の統率が感じられる。カミラに向かう視線は野次馬めいたものではなく、かといって敵意や憎しみでもない。淡々と、観察しているといった風だった。

 寒気がした。

 ――異様だわ……!

「あなたが噂通り恐ろしい人であれば、私をすればよいでしょう。そうして、慰問に行くというのであれば、私は抵抗いたしません。血まみれの手で、町の者をお見舞いください」

「この…………!」

 話の飛躍が過ぎる。物騒すぎる。思うところは無数にある。

 だけどカミラは、この老婆一人を処分したところで、無意味であることも察してしまった。

 マルタがいなくなったところで、他の誰かが代わりをするだけだ。この屋敷の使用人は――あるいはもしかして、この町の住人すべては、誰もが訓練された兵のようなもの。恐れを知らず、命じられるがままに立ちはだかるのだ。

 不気味で不愉快。気持ちが悪いけれど、とても勝てない。カミラが怒鳴っても、脅しても、なんなら本当に首をはねたとしても。彼らはこの場を引きはしないだろう。

 マルタの言葉は、死んでもどかないという、カミラへの脅しなのだ。

「…………部屋に戻るわ」

 両手を握りしめ、悔しさを噛むと、カミラは低い声でそう言った。

「ご理解いただけて光栄です」

 マルタは抑揚なく言って、会釈をする。左右の使用人は、どちらも最後まで表情を変えなかった。


「お部屋までご案内します」

 経緯を見守っていた侍女の一人が、前へ進み出てカミラを導いた。

 彼女に従いついていくのは、ひどく癪だった。

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