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3-1

 シュトルム伯爵家令嬢、カミラ・シュトルムは恐ろしい女である。


 男爵令嬢リーゼロッテに対して行った数々の悪事。人を陥れる手腕。一度狙いを定めれば、決して逃がさないその執念深さ。第一王子エッカルトに取り入り、ユリアン王子へ近づいたその手腕。

 厄介払いとしてカミラを押し付けられたモーントン領の人間たちは、みんな警戒していたはずだ。

 だが、その領主たるアロイス・モンテナハト公爵が、カミラの手練れたその腕に落ちた。

 彼女の恐ろしさに屈したのか、彼女の媚に、女慣れしていない公爵が参ったのか。

 今や公爵は、カミラの言いなりである。あの温和で寛容な公爵が、些末な理由で使用人を処断し、そぐわぬ人間に地位を与えた。すべて、裏ではカミラが糸を引いているのだ。

 いずれはこのモーントン領全域を乗っ取り、王都を再び狙っているのだと、近頃はもっぱらの評判である。


 使用人たちは、カミラの機嫌を損ねないように、怯えながら彼女に接するようになった。

 特にここしばらくは、カミラの機嫌が悪い。いつ癇癪を起し、クビにされるかわからないと、誰しも戦々恐々としていた。


 ○


 モーントン領に来てはや四か月。

 今日もカミラの機嫌は悪かった。


 理由はほかでもない。

 ここしばらく、妙に肌が荒れるせいだ。



 沼地ゆえに、乾燥が原因ではない。日差しの強い日も少なく、気候だけなら王都にいた時よりも肌には優しい。

 だが、モーントン領には瘴気がある。

 カミラは魔力が少ないため、瘴気の影響を受けにくい。実際、モーントン領に来た当初は、たいして瘴気も感じてはいなかった。魔石採掘地であるグレンツェは、比較的瘴気が強いため、肌がぴりぴり痛むことはあった。

 それでも、半月程度滞在した後も変わらず、カミラの肌はつややかなままだった。たしかに、そのまま瘴気の風を浴び続ければ、多少なりとも支障は出たのかもしれない。しかしカミラは、毎日きちんと肌の手入れをしているのだ。石けんで丹念に肌を洗い、ハーブとミルクのクリームを塗り込み、オリーブから作った香油で保湿している。ここまですれば、瘴気などおそるるに足らず。などと思ったものだ。

 ところがここしばらくは、その丹念な手入れでもってしても、肌が荒れていくのが分かった。湿気た気候であるにも拘らず、肌の表面が乾燥している。関節にかゆみがある。先日などは、頬に小さな吹き出物ができてしまった。

 とんでもないことである。


 原因は、ここ一か月ほど、ずっと領都りょうとに吹き付ける瘴気の風のせいだった。


 領都は本来、魔石採掘地ではない。瘴気は決して強くないはずだ。風向きの加減か、気候の乱れか。原因は定かではない。

 瘴気が強くなれば、乱れるのはカミラの肌だけではない。

 魔力の強い人間は、自身の魔力の制御が甘くなる。

 おかげさまで、最近カミラの侍女になったばかりの少女――ニコルもずいぶんと難儀しているらしい。


「私も、アロイス様くらいきちんと魔力を操れればいいんですけど」

 魔力を発散し、戻ってきたばかりのニコルが、申し訳なさそうにそう言った。

 言いながら、彼女の手は無意識に、長袖の上から腕を掻く。最近よく、彼女がする仕草だった。


 場所はカミラの部屋。今日は少しばかり風が強く、肌を刺す瘴気も強い。

 こんな日は、ちょっとしたことで魔力が乱れ、暴発がしやすい。だから、魔力の乱れを感じたら外へ飛び出し、安全な場所で魔法を使うのが、強い魔力持ちたちの習慣だった。

 しかし、一時的な魔力の発散は、根本的な解決には至らない。魔力は体力と同様、休息によって回復するものだ。だいたいは、一晩眠れば元に戻ってしまう。

 魔力の確かな統制は、その人自身の持つ技術。未熟なニコルは、まだその力を操りきれてはいなかった。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。最近、また瘴気が強くなったみたいで」

 ――また、ねえ。

 どうりで、ここ最近は肌荒れが悪化しているわけだ。カミラだけのことではない。アロイスの顔だってひどいものだ。吹き出物だらけで、赤く膿んだ顔を見るのは忍びない。手入れしているカミラでさえこうなのだから、見た目に気を遣わないアロイスは、さぞや――――。

 そこまで思い当たって、カミラは頭に手を当てた。

「……ねえニコル、あなたは肌の手入れってしている?」

「えっ私ですか? 私はそういうのはあんまり……」

 言いながら、ニコルは自身の腕を掻く。その手を、カミラは思わず掴んだ。

 ニコルはぎょっとして、体をこわばらせる。そばかすの散る顔には、うっすらと恐怖が浮かんでいた。

 長年叱られ続けた経験から、ニコルは人に対して必要以上に怯える癖がついてしまっていた。だが、今の恐怖はそれ以上に、カミラの不機嫌に満ちた顔つきのせいだろう。

 しかし、カミラはそんなことはお構いなしだ。

 遠慮のかけらもなくニコルの腕をまくり上げると、「ああっ!」と悲鳴にも似た声を上げる。

「やっぱり荒れてるじゃない!」

 長袖の下。ニコルの腕に広がるのは赤い湿疹だ。肘の内側や、手首のあたりを中心に、まばらに散る赤が痛々しい。普段から荒く掻いてしまっているのか、肌が傷つき膿んでいるものまである。

「お、奥様、お見苦しいものを……!」

 ニコルは慌てて、反対側の手で腕を隠す。その隠した手で、また一掻き。肌を掻いたのをカミラは見逃さない。

「掻くんじゃない! 跡が残るでしょうが!」

「は、はい! あの! でも、かゆいときはどうすればよいでしょう!」

「我慢するの!」

 カミラの断固たる言葉に、ニコルはおののいた。


 しかし当然のことである。困難もなくきれいな肌が手に入るものか。

 容姿とはすなわち、努力である。生まれついての美人だって、放っておけば荒れ果ててしまうものなのだ。


 せっかくの金髪。

 せっかくの――リーゼロッテに似た、かわいらしい顔立ち。

 なのに、そばかすを隠すこともなく、髪も飾らず。服なんて、侍女ともなれば自由が利くのに、いまだ支給された下級使用人のもの。

「元がいいくせに、適当するんじゃないわよ!」

 ニコルも――おそらくは、アロイスも。


 ○


 要するにこれだ。

 アロイスは肌の手入れなんて、確実にしていない。どう考えてもするような性格ではない。

 瘴気だ魔力が強いだと言って、どうせこれまでなにもしてこなかったのだろう。荒れるがままに任せていれば、ヒキガエル顔も必至。魔力を言い訳にするより先に、するべきことがあるのではないか。

 ユリアン王子を見返せるほどの良い男のためには、荒れた肌などもってのほか。ユリアン王子は白く、陶器のような肌なのだ。アロイスも変えて見せなければなるまい。

 一日の食事回数も、この頃はさらに減らして五食になった。そろそろ次の意識改革に、手を伸ばしてもいいだろう。


 ニコルの荒れた腕に、強引にクリームを塗りながら、カミラは次の行動を心に決めていた。

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