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2.5-4(終)

「だから! ミルクを沸かすんじゃねえ! 味が飛ぶだろうが!」

「ちゃんとギリギリで止めたでしょう! 吹きこぼれてもいないわ!」

「それは俺が声をかけてやったからだろうが! さっき失敗しておいて、なーにを偉そうに!!」

「止めたのは私だわ!!」

「だから! なんでお前は! そんなに偉そうなんだよ!!」

「偉いもの!!」


 昼過ぎ。昼食時の忙しい時間を終え、料理人たちも出払った後。いつも静かな厨房が、今日はやけに騒がしい。

 重たい体を抱えて、人目を忍びながら厨房まで出向いたアロイスは、響き渡る声に首を傾げた。

 険しい二つの声は、どちらもアロイスにとってなじみのあるものだ。一人は、長年勤める料理人のギュンター。もう一人は――。

「……カミラさん? どうしてこんな場所に」

「ああ、アロイス様! ちょうどいいところに!!」

 背後から呼びかければ、カミラは勢いよく振り返る。それから、「ちょっとそこで待っていてください!」とアロイスに命じると、どこからか二つの皿を取り出した。そうして、アロイスの存在を疑問に感じる様子もなく、彼女はそれぞれの皿になにか盛り付ける。

 ――粥?

 カミラの背中越しに、アロイスはかまどを覗き込む。二つの皿と、二つのフライパン。大きな匙で、白くとろんだかたまりを、すくい取るカミラの姿が見えた。

 これから何が起こるのか、アロイスには皆目見当もつかない。


 この時間、ギュンターはいつも、アロイスのために軽食を用意してくれている。軽食と言ってもアロイスのこと。かなりの量があるのだが、それはさておき。

 それを配膳前にこっそりと味見するのが、アロイスの密かな楽しみだった。

 あまり品のある行動ではないこの楽しみ。人目を盗んで不定期に訪れるアロイスに、ギュンターの方も気を遣い、昼過ぎにはいつも厨房の人払いをしてくれていた。

 だから、騒がしいのは珍しい。それも、騒いでいるのがカミラとは。

 いったいなにがあったのか。

 そう思ってよくよく周囲を見回せば、荒れ果てた調理台が目に入る。切り捨てられた食材が転がり、口の開いた麦の袋がある。こぼれたミルクの滴が、そのまま台の上で丸くなっている。

 かまどには、荒い調理の跡が見える。繊細な腕のギュンターらしくない。彼が調理する時はいつだって整然として、調理の終了と共に片付けも終わっているくらいなのに。


 首をかしげるアロイスに、カミラは二つの皿を突きつけた。

 湯気と共にミルクが香り、優しい味が想像される。二つの皿に盛られた粥は、見た目に大きな違いはない。しかし、どうやら別々のフライパンで作られたものらしい。

「どっちが美味しいか! 食べてみてください!」

 眼前に迫る麦の粥に、アロイスは瞬いた。

 ギュンターもまた、カミラを見て瞬いている。

「……カミラ?」

 黒髪。貴族。よそ者。ワイン。ぶつぶつと呟きながら、彼はカミラの顔を、胡乱な目つきで覗き見た。まさかという表情である。

「シュトルム家のご令嬢?」

 ギュンターの言葉に、カミラはつんとあごを逸らし、口を曲げてにやりと笑った。


 ○


 固唾をのんで見守るカミラに対し、アロイスは居心地が悪そうだった。

 片付けも済んでいない調理台の上。カミラはどうにかきれいな場所を作り出し、アロイスを座らせた。そして、二つの皿を彼の前に置いたのだ。

 アロイスから見て右の皿は、カミラが作った。左の皿はギュンターが作った。だが、このことをアロイスは知らない。


 スプーンを手に片皿ずつ粥をすくい、アロイスは用心深く口に運ぶ。口にして、少しでも反応を示すと、調理台の対面で見守るカミラの表情も動く。二口目を食べようとすれば、カミラが身を乗り出してくるのだ。アロイスとしては、まったく落ち着かないだろう。

 カミラも落ち着いてはいられなかった。

 二つの皿は、片方がカミラの作ったもの。もう片方がギュンターの作ったものだ。大見栄を切った手前、相手が玄人とはいえ、負けるのは癪に障る。それにカミラの作るものだって、孤児院ではなかなか好評を博していたのだ。多少なりとも腕に覚えはある。


 皿に盛られた二つの粥は、見た目に大きな違いはない。材料も全く同じだ。作り方も、ギュンターがいちいち口を出したおかげで、ほとんど同じになってしまった。

 味付けは、アロイスのいつもの食事に比べて、ずっと薄い。普通の人にとっては当たり前の濃さだが、相手はアロイスだ。勢いで判定役を任せてしまったものの、一抹の不安が残る。

「……ちゃんと違いがわかるかしら」

 ぽつりとつぶやいたカミラの声を、ギュンターが拾う。

「お前、アロイス様の舌の良さを知らないな?」

「初耳だわ」

 しびれるほどの甘みか塩みしか感じないのかと思っていた。だが、よく考えれば孤児院での料理の時も、普通の味付けをしていたものだ。

 アロイスの様子が気になりつつも、ギュンターの言葉も気になる。どっちつかずにちらちら見やりながら、カミラは小声でささやいた。

「普段あんなものを食べているのに、味がわかるのね」

「当り前だ。なんでアロイス様がわざわざこんな厨房まで来ていると思っているんだよ」

 なんで?

 そう問われてはじめて、カミラはアロイスがこの場にいることの違和感に気が付いた。屋敷の主人が、わざわざ人の少ない時間、一人で厨房まで来る理由はなんであろう。

 ――自分で料理をするため?

 だけど、この土地では料理は美徳という。王都にいたころのカミラと違って、堂々と料理ができるのだ。誰もいない時を狙う理由はない。

「こっそり俺の料理を食うためだよ」

「はあ?」

 自慢だろうか。むっとしてギュンターを睨むが、彼は喧嘩を売ったつもりはないらしい。カミラの視線に、肩をすくめて苦笑する。

「他の連中だと、塩を盛られるからな。俺の料理で、味を忘れないようにしているんだ」

 諦念の見える顔で、ギュンターはこぼれるようにつぶやいた。

「きっと、忘れたくない味があるんだろうなあ」

「忘れたくない味って?」

 なにか、思い出でもあるのだろうか。

「俺の料理の美味さだろうな」

 迷うことなく言ってのけたこの男を、なんとしても負かせなければ気が済まない。


 そうこうするうちに、かちゃりと匙を置く音がする。

 カミラとギュンターが、そろって音の方を振り向いたのは、アロイスがちょうど食べ終わった瞬間だった。


 ○


 それで、どっちの方が美味しかったのか?


 カミラの問いに対し、アロイスは悩んでいるようだった。

 困ったような笑みを浮かべ、カミラとギュンターをそれぞれ見比べる。

「材料は同じですね。元となるスープは、ギュンターが作ったものでしょう? 香草を詰めた鶏肉に、玉ねぎ、人参セロリ、牛の骨。オリーブと、あとは赤ワインですか」

「相変わらず、完璧です」

 参ったようにギュンターは両手を上げる。もうこの時点で、カミラは悔しい。カミラだって、上級貴族の娘。十分に良いものを食べてきたはずなのに。

「作り方もおそらく同じ。バターで炒めて、ミルクで煮詰めて……うーん」

 それぞれの皿に目を落とし、アロイスはうなった。評価に迷っているのか、悩む時間が長い。傍で待つカミラは、焦れて仕方がなかった。

「どっちも美味しい、なんて結果では許してくれませんよね」

「当り前です」

 白黒つけねば気が済まないのだ。挑むようなカミラの目に、アロイスは息を吐く。ついに観念したらしい。

「…………どちらも十分に美味しいですが……強いて言えば、左の皿は、ひどく丁寧です。火を通し過ぎず、味を損なわせず。とても上手い。右の皿は素朴で、柔らかい味がします。一生懸命さがにじみ出るような――――こちらが、カミラさんが作ったものですね」

 そう言って、アロイスは右の皿を示す。たしかに、右がカミラだ。合っている。

「料理の腕だけで言えば、やはり長年それを仕事にしてきた分、差が出てしまいます。ですが、美味しさは腕前だけでは決められません。……カミラさんの料理を食べたのは、初めてでしたね」

 孤児院の時は、なんだかんだと駆け回った結果、お互い食事をとることもできなかった。だから、アロイスがカミラの手料理を口にしたのはこれが最初だ。

 カミラの料理は下手ではない。好んでするだけあって、それなりに何でもできる。だけど、玄人の料理人と張り合って、比較できるほどの腕前でもない。孤児院で子供を喜ばせることはできても、本当に味を知った人間の口には、明確な違いが出てしまう。

 それでも、アロイスの視線は右の皿へ向かう。

「あなたが作ってくださったものに、負けをつけさせるわけにはいきません」

 カミラが目を見開く。

 ギュンターも唖然と口を開く。

 もちろんどちらも、穏やかなものではない。

「そ」

 二人の声が揃って出る。

 アロイスはそれだけで、自分の判断が誤りだと悟った。


「そうじゃない! そういうことじゃないわ!!」

「そりゃないですよ! 坊ちゃん!!」

 同時にアロイスに向けられたのは、二人の罵声だった。カミラの顔は悔しさに染まり、ギュンターは傷ついたらしく、厳つい顔をしおしおと歪める。

「要するに、私の方が下手だってことでしょう! 贔屓で勝ちたいわけじゃないのよ!」

「坊ちゃん! 俺とだって長い付き合いでしょう! こんないきなり現れた女に、どうしてそんな!」

「うーん」

 アロイスは苦笑するほかになかった。

 おそらく、どちらも美味しいと言っても駄目だった。ギュンターの方が美味いと言っても、カミラは憤っただろう。カミラの方が美味いと偽っても、カミラが傷つくだけだ。二人の現場に居合わせた時点で、アロイスは詰んでいたのだ。

 それでも、上手くまるめようとしたこの選択は、最悪だったかもしれない。

「このままじゃ済まさないわ! ギュンター! 私に料理を教えなさい! 絶対に抜かしてやるわ!!」

「おい! それが人に物を頼む態度か!? 偉そうに、この悪役女!!」

「だって偉いもの!」

「厨房では俺の方が偉いんだ! おう、こっち来い! 実力見せつけてやる!!」

 二人はやいやい騒ぎながら、またかまどに向かって行く。取り残されたアロイスは、もう目に入ってはいないようだ。

 遠慮のない二人の喧嘩を聞きながら、アロイスはまた苦笑した。

 アロイスの選択は最悪だったけれど――――たぶん間違ってはいなかったのだろう。

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