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2.5-3

 今から数百年前。モーントン領はかつて、罪人の流刑地であった。

 考えてみればそう。緑芽吹くゾンネリヒトにあって、モーントンは異質な土地。

 常に湿気て生ぬるい風が吹く。瘴気の強い沼地など、人の好んで暮らす場所ではない。瘴気にあてられれば肌を病む。強い魔力に近付けば、魔力の暴走事故も起こるだろう。

 罪人たちは、そんな沼地に身を浸し、爛れた肌で魔石を掘る。今より採掘環境も整っていない時代。魔石採掘は、体を痛め、時に危険を伴う仕事だった。

 魔石採掘で、多くの人間が死んだ。いくら死んでも、魔石は掘り起こさねばならなかった。戦争、魔法の研究、貴族たちの権威と脅迫のため。多少の犠牲を払ってでも、必要なものだった。

 だから、死んでも困らない人間が魔石採掘をした。


 そんな罪人たちを取りまとめていたのが、モンテナハト家と、エンデ家を筆頭とした貴族の家系だ。これも王家の裏の顔。影としての役割だった。

 誇り高い王家の分家たるモンテナハト家は、その血統を保つために近親での婚姻を繰り返したという。他の貴族も主家にならい、同様に血筋を保ってきた。


 もちろん、昔の話だ。


 ○


 カミラは、モーントン領についてほとんど知らない。

 知っているのは、領土一帯が瘴気立ち込める沼地であること。魔石の豊かな採掘地であること。領主が王家の分家であること。そして、人の出入りがほとんどなく、領主でさえもめったに外に出てこないことくらいだ。

 モーントン領の過去について、カミラは興味を抱くこともなかった。おそらくは、王都の若い娘たちの大半がそうであろう。不気味で謎めいた暗黒の沼地。領主は醜い沼地のヒキガエル。瘴気に吹きつけられれば顔が爛れるとさえ言われるその土地に、誰が関心を抱くだろう。

 特に、カミラが王都にいた当時は、モンテナハト家との結婚を押し付け合っていたような時期だった。下手な関心を見せればすぐに、「それなら嫁いで、実際に見てくればいいじゃない」とからかわれ、結婚の意志ありなどと裏で噂をされてしまうのだ。


 モンテナハト家に行くと決まった後も、カミラは相手の家や土地についてを知ろうとはしなかった。これはただの意地だ。自分の意思ではない。好き好んで嫁ぐわけではない。いつかは、許されて王都へ戻れるのではないかという、微かな期待も込めて、モーントン領に寄り添うような真似はしなかった。

 だけど、さすがに勉強不足だったかもしれない。


「……私は罪人ではないわ!」

「当り前だろ。何百年前の話だと思っているんだ」

 ギュンターはフライパンにバターを落とし、丹念に溶かしながら、憤慨するカミラの言葉を切り捨てた。

「今は、罪人は捕まっておしまいだろ。でもまあ、理由がないとわざわざ他所からこんなところへは来ないだろうが。こんな辛気臭いところ」

 熱いバターの上に、先ほどまで刻んでいた玉ねぎを放り込む。ジュッと心地よい音が厨房に響いた。

「時代は変わったのに、いつまでもここは古いままだしよ。閉鎖的だし、陰気だし、罪人の土地だからって、明るいこと、楽しいこと、祝いごとなんかも禁止だ。この辺りでは、祭りの類も一切ないんだ。知ってるか?」

 知らない。

 背を向けたギュンターには見えていないと知りながら、カミラは反射的に首を横に振る。陰気で閉鎖的であるのは、屋敷にいるとよくわかる。

 だが、少し引っかかるところもある。

「グレンツェは陰気ではなかったわ」

 領都以外で、カミラが唯一知っている町。モーントン第一の都市グレンツェ。豊富な魔石採掘量と、国境近くの交易で発展したグレンツェは、荒々しさと活気に満ちていたはずだ。

 町を歩く人の姿は様々で、異国からの訪問も多い。市場から響く声は明るく、快活だった。ギュンターの言葉とは、真逆に位置しているように思う。

「あそこは特別だよ」

 言いながら、鶏肉、刻んだ香草、茸をフライパンに放り込み、ギュンターはさらに炒める。

「グレンツェが大きくなったのは、ここ何年くらいのことだぜ。アロイス様の代になってから、国境を開いて無理矢理人を流し込ませたんだ」

 火が通るにつれ、良い香りが漂い始める。ギュンターの言葉を聞きながら、内心カミラは「あれくらいなら私でもできる」と思っていた。問題は次だ。

 刻んで炒めて――それからどうする?

「だからグレンツェはアロイス様に信頼がある。あそこでは、アロイス様はよく慕われていただろう?」

「そうかもしれないわね」

 グレンツェで出会ったロルフや、孤児院の老婆の口ぶりには、アロイスへの親しみがあった。戦争みたいな食事時、孤児たちがアロイスを振り回す姿も見た。

 ――舐められているのではないかしら?

 と頭の片隅に浮かぶものの、それも信頼がなければできないことだろう。

「でも、周りからは大反発だった。アロイス様はまだ領主になったばっかりで、若造すぎたんだ。上手いこと躱すこともできず、それで心折れたんだろうなあ」

 ギュンターは振り返り、調理台に置かれた麻の袋を掴んだ。抱えるほどの袋の中には、大麦が詰まっている。それをひと掴み。彼はフライパンの中に放り込む。

「なにをするにも、一人では限界があるからな。あの人には、味方がいなさすぎたよ」

 言いながら、今度は鍋に手をかける。鍋の中からスープをすくい、フライパンの中へと流し入れる。それからまた調理台に振り返り、水差しを取る。水差しの中身は水ではなく、濃い目のミルクだ。スープがくつくつ煮えるまで待ってから、男はそっとミルクを回し入れる。

 ミルクを入れる直前、フライパンで煮立つスープから、またかすかに癖が香った。

 ――――ふうん。

 かわいげもなく腰に手を当て、カミラは目を眇めた。ギュンターの言葉には、他人事じみた憐みがある。

「あなた、アロイス様に同情的みたいね」

「そりゃあな。言っただろう、恩があるって」

「恩を受けたのっていつくらい?」

「そうだなあ……グレンツェのときとちょうど同じくらいだったよ。あの頃のアロイス様には、見過ごせないものがたくさんあったんだ」

「へえ」

 息を吐くようにカミラは言った。

 強気で迷いない瞳は、ギュンターの背中が映っている。カミラには、彼のことが上手く理解できない。

「――――それじゃあ、アロイス様が一人でいたとき、あなたはなにをしていたの?」

 はっとしたように、ギュンターは振り返った。



 目を見開いたギュンターの表情は、次第に渋みを増していく。

 眉間にしわを寄せ、口を曲げ、苦々しさをあらわに首を振った。

「俺はただの料理人だぞ? なにって、料理しかできねえよ」

「料理だけをしていたの? あなたは数少ない味方だったんじゃないの?」

「お前なあ……。料理だけって、俺はせめて美味いものだけはと……!」

 ギュンターのいかつい顔に、苛立ちが滲む。それは料理をないがしろにされたことへの怒りかもしれないし、図星をさされたことへの反発かもしれない。ただ単に、初対面でありながら、あまりに無礼なカミラに腹が立っただけかもしれない。

 だが、その怒りも飲み込むように、カミラは胸を張った。怖気づかないのは――カミラにも自信があるからだ。

「料理なら、私だってできるわ」

「ああ? さっきまで、俺のスープで頭抱えてたくせに」

「それももうわかったわ」

 ギュンターの馬鹿にした言葉にも、カミラはふふんと笑った。

「あの癖、あの甘み――――うちで作ったワインね」

 シュトルム伯爵家の名産。今年も好評を博したワインは、遠いモーントン領にも卸されているのだ。




 カミラの顔に宿るゆるぎない自信に、ギュンターは呆気にとられていた。

 あまりの堂々とした態度に怒りも失せる。ぽかんと口をあけたまま、しばらく見つめ――しばらく待っていたが、カミラから次の言葉は出てこなかった。


 ワインは合っている。大鍋の中に数滴だけ落とした風味に、良く気がついたものだ。

 合っているが。

「…………ひとつしかわかってねえじゃねえか」


 ワインしか合っていない。

 なのにどうして、そこまで胸を張れるんだ?

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