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2-8

 本物ではない。わかっている。

 目の前に先ほどまでいたのはニコルだ。カミラの弱い力でもわかるほどの、強い魔力の放出を感じた。魔法を使ったのだ。魔法で、今ニコルはカミラに幻を見せている。

 なのに、胸が痛む。

 足がすくむ。


「――――カミラ」

 ユリアン王子の声がする。

「カミラ、俺が間違っていた。許してくれ」

 ユリアン王子の声で、ユリアン王子の姿がカミラに近付いてくる。

 カミラは思わず足を引いた。肩を縮めて、息を吐く。冷静にならなければ。そう思うのに、思考が勝手に乱れていく。

 遠くから、ユリアン王子をずっと見ていた。話をするだけで幸せだった。カミラの存在を覚えてもらえていないことに落胆した。それでも諦められず、家の力もどんな手も使って近づいて、やっと名前を呼ばれたときは嬉しかった。

 リーゼロッテが現れて、対立して、破滅を告げたのはユリアン王子だった。モンテナハト家のアロイスと結婚するよう、命令を下したのもユリアン王子だった。

 ――彼は、俺と年も同じだ。家格も悪くない。どうせ家柄が欲しいのなら、彼でも問題がないだろう。

 冷ややかな視線に、カミラは絶望した。なにひとつ、希望なんてなかったのだと気付かされた。頭の奥がひやりと冷たく、なにもかも凍りつく。

 それでも、カミラは今でも、まだ――――。

「カミラ、俺が本当に愛するべきなのは、リーゼロッテではなく」

「――やめて!」

 両手のひらを握りしめると、カミラは声を上げて叫んだ。ひやりと冷たくなった後は、熱を取り戻すように頭にカッと血がのぼる。

 足をしっかりと地面につけ、顔をそらさないのはカミラの矜持だ。アロイスとの結婚を告げられた時も、絶対に顔をそむけはしなかった。ただ、唇を噛みしめていた。

「それ以上言うのを止めなさい! なにが目的なの!?」

「カミラ」

 ユリアン王子が近づいてくる。緩慢な動きで、一歩ずつ距離を詰める。

 そうしながらも、彼はカミラに手を伸ばす。少し骨ばった細い手。ついぞ、カミラに触れることのなかった手が、カミラの頬を撫でようとした。

 その寸前。強い力が、カミラの腕を後ろへ引く。ユリアン王子とは、まったく違う大きな手だった。

「――――なにをしている!」

 落ち着いた、しかし険しい男の声だった。少し前まで、力なく情けないとばかり思っていた声。その声の主が、カミラを背後に隠す。大きな体だ。カミラをかばい、一歩前に出るときに、どすんと地面が揺れる。

 ――アロイス様。

 一拍遅れて移動してきたときにちょうど出くわしたのだろうか。それとも、異常を察して追いかけてきてくれたのだろうか。結んだ長い髪からのぞく首筋に、じとりと汗をかいているのが見えた。

 アロイスはカミラを背中に隠した後、空中に指を滑らせた。指先にはかすかな魔力を帯びている。魔法を起こす文字を書いているのだ。

 カミラには、その指先の動きに見覚えがある。彼の描く魔法は、解呪――すべての魔法を解く魔法だ。

 指の動きが止まると、一瞬だけ魔力の風が巻き起きる。

 そうして、風が消えたとき。ユリアン王子の姿は消え、ニコルだけが残っていた。

「どうしてこんなことをした、ニコル!」

「すっ、すみません! わ、が奥様をお慰めするために」

ではないだろう!」

 アロイスの強い言葉に、ニコルはびくりと震えた。怒りの形相を示すアロイスからは、先ほどまでの呆けた姿は消え失せていた。領主として、公爵としての顔で、ニコルを見据えている。

「こんなこと、お前が考えられることではないだろう! 誰に言われてやった! 答えなさい!」

「私……わ、私が」

 ニコルは震えた指先を握り合わせる。赤い瞳が迷うように動く。何か言おうと口を開き、諦めたように閉じる。

 それから、小さく頭を振った。

「私が、すべて、私の考えです。どんな罰も、私に与えてください。私一人が悪いんです」

 いつものニコルの、溌剌とした口ぶりとは程遠い。感情をすべて殺したような声でそう言った。


 ○


 ニコルには、ひとまず部屋に戻るようにと伝えた。

 魔力の残骸が漂う中庭で、カミラはアロイスと二人取り残されることになる。

 空は青く、風は強い。瘴気の風は肌を刺し、カミラの心を少しだけ落ちつけてくれた。


「すみません」

 アロイスはカミラに振り返ると、呻くようにそう言った。

「不快な思いをさせてしまいました。二度とこんなことはさせないようにしますので」

「いえ」

 カミラは短く答えると、小さく頭を振った。

「大丈夫です。私、こんなことで傷つきなんてしませんもの」

 心折れたり、めげたりなんてしない。傷ついたりしない。

 ――でも。

 ユリアン王子の手で、王都を追放されてから、もうひと月以上が経過している。悔しがって、腹を立てて、仕返しを企てて、それで平気なつもりでいた。

「私は傷つきません。…………ですが」

 それでも、王子の姿を前にして、カミラは言葉を失いかけた。無数の記憶に感情が揺れた。全身が冷え、頭が熱くなった。

 そういうものなのだ。

「ですが…………私こそ、すみませんでした」

 アロイスが首をかしげる。カミラの謝罪の意図がとれないようだ。

 少し渋いアロイスの顔を、カミラは少し気まずさをもって見上げる。

 ――皿一枚。情けない。心が弱い。公爵のくせに。

 ニコルの行為に落ち込むアロイスに、カミラは散々なことを思った。ところどころは口にも出した。実際、情けないし公爵らしくもなかった。

 だけど公爵も人間だ。人の心だ。カミラだって同じ。わかっているはずだった。

「平気だと思っていても、自分でもどうにもできないことってありますものね。……私、無神経なことをしていました」

「…………ああ」

 珍しくしおらしいカミラの視線に、アロイスは頷いた。カミラの言いたいことが分かったのだろう。少しばかり気恥ずかしそうに頭を掻く。

「あなたからそんな言葉を聞くなんて……ああ、いえ、すみません。思いがけなくて――」

 苦笑しながら若干失礼なことを言いかけて、ふと彼は言葉を止めた。そのまま少し口を閉ざし、王子よりもいっそう鮮やかな赤い瞳にカミラを映す。

 うっすらと細められた目は、笑っているようでいて、どこか苦々しさがあった。

「あなたは、本当にユリアン殿下のことを想っていらっしゃったんですね」


 おそらくこれは、出会ってからこれまでのアロイスの発言の中で、一番失礼な言葉だった。

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