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2-6

 頭の中ではわかっている。

 公爵と結婚をするとなれば、それなりにすることがある。

 女主人として屋敷を取りまとめなければならないし、公爵とともに人前に立つこともあるだろう。他家との仲をとりなしたり、縁を結ぶために、人と会うことも増えていく。

 だが、それよりも大事なのは、跡継ぎを産むことだ。最低一人。望むなら男児。産んで、育てて、世継ぎにしなければならない。


 ――跡継ぎを産む。


 ユリアン王子が無理でも、できれば魅力的な男が良いと思っていた。

 だけどもし、アロイスが痩せて顔の荒れも治り、キスができるほどの美男子になったとして。カミラはアロイスを受け入れられるのだろうか? 彼と結婚し、子供を育てる未来を認められるだろうか?


 ――まだ先のことよ。

 内心の不安を打ち消すように、カミラは心の中でつぶやいた。

 今のアロイスは、まだまだ見た目に変化がない。ほんのひと月で脱ぎ切れるほど、彼の肉の皮は薄くない。彼の肉の年輪には、それだけの年季が入っているのだ。

 ――痩せさせてから考えるべきだわ。

 まだ痩せられるとも決まったわけではない。上手くいっているときほど、簡単に躓くものだ。どこから湧きだしたのか、突然現れた「痩せたい」という思い。ひとまずはその減量心を阻害しないように、カミラは細心の注意を払うべきだった。

 頭ではわかっているのだ。



 思考に沈むカミラの耳に、ガチャンと荒い破壊音が響いた。

 最近はすっかり慣れたもの。何度叱られても、日に日に悪化しているニコルの破壊の音に、今は誰も驚かなくなっていた。

 カミラも、またいつものかと肩をすくめる。とりとめない思考が中断され、内心ほっとしたことは内緒だ。さも呆れて、「困った娘ですわねえ」などという表情を浮かべ、アロイスを見やった。

 そこで、アロイスの驚愕の表情が目に映る。瞬き、困惑した顔で何度もきょろきょろと首を回す仕草に、カミラの方が驚いた。

 ――いつもなら苦笑しているだけなのに。

 アロイスは鷹揚というべきか、無頓着というべきか、ニコルの失敗にはかなり寛容だった。相手が縁ある家の血縁というのもあるだろう。強い魔力持ちを手放したくないという気持ちもあって、普通であればクビになるような彼女の失態を受け入れ続けていた。

 ――どうしたのかしら。

 音は、普段より近い場所から聞こえた。一部屋ぶん、壁を挟んだような――隣の部屋から響いたように思われた。

 今、カミラがいるのはアロイスの私室。隣の部屋は、片方が彼の執務室。もう一方は、確か物置か何かになっていたはず。アロイスの私的な物置で、本やがらくたがあるだけだと告げられたことがある。

 カミラは、物置には入ったことがなかった。たいして興味がなかったのが一番の理由だが、アロイス自身もカミラを入れたがらなかった節がある。「面白いものはありませんよ」と言われれば、敢えて物置に入ろうなどとはカミラも思わない。


 疑問に思うカミラの前で、アロイスは慌てた様子で立ち上がった。

 そうして、重たい体で部屋を揺らしながら、外へ駆けだしていく。一拍遅れて、カミラも立ち上がり、その背中を追いかけた。


 アロイスにはすぐに追いついた。

 なんなら、物置に入る前には彼を追い抜き、一緒に扉を開けたくらいだ。急いた様子のアロイスは、扉が開くや中へと駆け込んでいく。


 物置は、あまり頻繁に使用されてはいないのだろう。かすかな黴のにおいがした。人がいない部屋特有の、空虚で淀んだ空気が満ち、どこか辛気臭さもあった。

 アロイスの言葉通り、部屋の中にカミラの興味を引くものはほとんどなかった。壁を埋め尽くすように本棚が並び、その周囲に趣味なのか仕事のためなのか、古い魔道具がいくつも転がっている。

 部屋はさほど広くはない。衝立のように部屋を区切る棚が、余計に部屋を狭く見せていた。

 窓は棚で埋め尽くされ、光はほとんど入っていないようだ。灯りは、壁から伸びる魔法の燭台――魔石灯だけ。その魔石灯の傍だけは棚がなく、代わりに大きな絵画が立てかけられていた。

 ――これって……。

 魔石灯に照らされ、おぼろげに絵が浮かび上がる。描かれているのは二人の男女と、一人の子供だ。

 白い長髪を垂らした、背の高い男。線の細い美しい女性。それから、まじめくさった顔をして、背筋を伸ばして立つ正装の少年。古びて色褪せてはいるが、少年の頬は紅潮し、その瞳はうっすらと赤茶けているように見えた。

 ――モンテナハト卿? 先代の?

 背の高い男に、カミラはおぼろげな既視感がある。どこかで見たような気がするのは、遠い昔にモンテナハト卿が王都へ来た時の記憶があるからだろうか。モンテナハト家の人間はほとんど外に出ないというが、王家の祝辞や弔辞であれば話は別だ。

 ユリアン王子を閉じ込めていたという、第二王妃が亡くなったときは、今からおよそ十年前。モンテナハトの公爵位は、アロイスではなくこの男にあったはずだ。カミラがその姿を見たことがあったとしても、おかしな話ではない。

 ――なら、この男の子は……。

 細すぎる両親とは異なり、健康的な肉付きの、いかにも少年らしい少年は、もしかして。

 いぶかしみながら目を凝らせば、絵の下に小さく文字が書かれているのを見つけた。『アロイス、十歳の記念』。となると、やはりこれはアロイスとその両親なのだろう。


 ――はじめて見たわ。


 思えば、アロイスから家族の話を聞いたことはなかった。

 アロイスが十五歳程度のとき、両親が亡くなっているとは知っている。事故だとも聞いたことがある。だが、それくらいしか知らない。カミラも深く追求せず、アロイスは自分からは語らなかった。

 肖像画も特に飾られてはいなかった。今後のアロイスの変化を予想するために、いつか見たいとは思っていたものの、なんだかんだと見る間もなくここまで来ていた。

 ――悪くない顔立ちだわ。

 少し細すぎるきらいがあるが、身長も顔も合格点だ。顔色の悪さは、アロイスには受け継がれなかったらしい。荒れ果てた顔に、はち切れんばかりの生気の宿るアロイスを思い浮かぶ。

 ――そう、アロイス様!

 うっかり目を奪われかけて、危うくカミラはアロイスを忘れるところだった。今は、部屋の奥へ行ったアロイスが先だ。

 カミラは慌てて絵から目を離すと、アロイスを追って奥へと向かう。


 部屋の奥は、小さな空間があった。相変わらず棚とガラクタに囲まれたその場所で、アロイスは膝をついている。やはり犯人だったらしい、ニコルがおろおろと立ち尽くす。

 その二人の視線の先には、装飾的な大きな皿――の、無残な姿がある。

「――――の、父上の皿が!」

 アロイスは皿の破片を手に、悲痛に叫んだ。瞬間、ぴり、と痺れるような空気が満ちる。アロイスの魔力が、動揺で滲みだしたのだ。が、すぐに収まるのはさすがである。

「も、申し訳ありません!」

 横に立つニコルは、怯えたように頭を下げる。今までにないほど蒼白であるのは、相手がアロイスだからであろうか。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

「……いや、いい」

 何度も謝り続けるニコルに、アロイスは皿を手にしたまま、気落ちした声で言った。重たげに頭を振る姿だけが、カミラの目には映る。


 見たこともないほどに沈んだアロイスの後姿を眺めながら、カミラは眉をしかめた。皿一枚に、どうしたというのだろう。いつも落ち着いたアロイスらしくない。

 などと疑問は浮かぶが、なによりもまず頭を占めたのはこれだった。


 ――――……ぼくぅ?

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