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2-4

 エンデ家は、モンテナハト家の臣下の家柄だった。

 もっとも、臣下であったのは遠い昔。まだゾンネリヒトが他国とさかんに戦争をしていたころ。モンテナハト家はかつての影としての役割を果たし、その側近としてエンデ家があった。

 現在は、エンデ家はモンテナハト家からは独立している。小さいながらも領地を持ち、エンデ家独自に事業を立ち上げ、モンテナハト家の支援に頼ることもなくなった。

 それでも、律儀にしきたりを守り続けるモンテナハト家のことだ。エンデ家とモンテナハト家の交流は今も残っている。取引をし、親密に交流をするだけではない。エンデ家の血筋のものを、モンテナハト家の従者として遣わすのが、長年の両家の習わしだった。


「エンデ家は魔法研究の大家でもありますから、取引先としても無視できない相手なんです」

 アロイスの執務室に戻ったあと。彼は観念しきった様子でそう言った。

 自身の特注椅子に座る彼の体は、全体的にしっとりと汗をかいている。カミラの針のような視線を受け、彼の部屋だと言うのに、居心地悪そうに身じろぎした。

 一方のカミラは、勧められた椅子に座ると、腕を組んでじとりとアロイスを見やるだけだ。口を結んだまま、深く息を吸い、吐き出す以外には何もしない。それでも、アロイスが怯えるだけの威圧感があった。

 王子を巻き込んだ、カミラとリーゼロッテの恋の騒動。その敗北者であるカミラのシュトルム伯爵家は、カミラともども嫌われ者となった。それでも、シュトルム伯爵家の主導する船舶事業は無視できず、領地の特産品であるワインも根強い人気を誇っている。

 家同士の取引なんて、そんなものだ。カミラ当人がどう嫌われようと、家柄に眉をしかめられようと、実益には代えられない。長い間事業を続けてきた信頼も、早々には崩れなかった。シュトルム家の取引先は、今も変わらずひいきにしてくれている――――らしいと、辺境に流れてくる新聞の切れ端から読み取れた。シュトルム家のワインは、今年も好評だそうだ。

 カミラ一人のために、長年続いたエンデ家の交流を断つ。などと短絡的な行動を、公爵としてのアロイスは取らないだろう。カミラ一人と、一つの家。どちらの方が有益であるかは火を見るよりも明らかだ。

 特に、少し前まで、アロイスはカミラに好感すら抱いていなかった。適当にあしらわれず、弁明の場を用意するようになっただけ、一歩前進というところだろうか。

「エンデ家の血筋は、魔力の強い人間が現れやすいんです。魔力は魔石の鉱脈探しにも有益です。魔石を優先的に卸す代わりに、強い魔力持ちの者を預かる――というのが、両家の伝統的なやりとりでして」

 そうして預かったのが、ニコルというわけだ。多少能力に難ありでも、魔力が強ければそれだけで有用だ。強い魔力の持ち主は、自然と魔力や瘴気の流れに敏感になる。


 だが、そういう実益的なことについては、カミラは興味がない。


「…………リーゼロッテのことは、ご存じなんです?」

 あまり冷静ではない心を押して、カミラは尋ねた。すでに諦めきったアロイスは、言い訳をするつもりもなさそうだ。素直に頷く。

「昔は頻繁に遊びに来ていたそうです。今は彼女とほとんど交流もありませんし、顔も覚えていませんが」

「昔……」

「もう十年以上も前のことですよ」


 最後に会ったのがいつだったか、アロイスはもう覚えていない。

 十年以上も会わない少女のことを、アロイスはもうすっかり忘れてしまった。エンデ家の人間と取引で会うことはあっても、リーゼロッテ自身はずっと王都に行ったきり。領地からろくに出ないアロイスには、会う機会もない。

 そう語るアロイスの言葉は、乾いていて他人事じみている。思い出のある相手であれば、もう少し感情が滲むもの。何年も会っていないというのも、覚えていないというのも、おそらく本当のことなのだろう。

 だが、カミラにとって二人が昔なじみだったという事実には変わりない。


「リーゼロッテは、昔からかわいらしかったんでしょうね」

 ――見た目は。と心の中で付け加える。

 とげとげしい言葉になっていることが、カミラ自身よくわかった。

 リーゼロッテは確かにかわいい。金の髪は柔らかく、背が低く華奢で、一見するとおとなしい少女。だけど、笑うと意外に快活で、少しだけいたずらっぽさが見える。目が覚めるほどの美少女ではないが、よく見るほどに整った容姿は、磨けば磨くほど輝く原石のようだった。

 頭は悪くないが、良すぎるということもない。人の言葉に素直に頷き、感心し、褒めるのが得意だ――――と、見せかけるのが得意だ。

 涙を見せることはめったにないが、ここぞと言うときの涙は惜しまない。ときおり、はっとするほど大人びた表情をして、原石の輝きを見せつける。

「ユリアン殿下が一目で恋に落ちるような相手ですもの。覚えていないとおっしゃっても、アロイス様だって昔は心惹かれたりしたのではないですか?」

 小柄で、ふわふわして、やわらかそうなリーゼロッテの容姿は、どうしようもなく男心をくすぐるらしい。守ってやりたいと思うのだそうだ。

 背が高くて、顔立ちのきついカミラとは正反対だ。まっすぐな黒髪も、勝ち気さを表したよな吊り目がちな目も、誰かを威圧する役には立っても、守りたくなるようなものではない。

 カミラ自身だって、誰かに守られたいなんて思ったこともなかった。誰かがなんとかしてくれる、なんて期待をするくらいなら、自分で足を踏み出した方がずっと良い。

 そんな性格だから、誰もがカミラを「かわいげがない」と言うのだろう。それでもカミラは、「かわいげ」なんて不確かなものに負けるなんて、王都を追い出されるまで思ったこともなかった。

「……みんな、ああいう子が好きですもんね」

「……………………ふむ?」

 吐き捨てるようなカミラを、アロイスは少しの間黙って見ていた。重たげな頭を傾け、肉に埋もれた目を瞬かせる。

「私はリーゼロッテさんのことを覚えていないので、よくわからないのですが」

 アロイスは顎に手を置き、カミラの顔を覗き見る。どこか、きょとんとしたような顔つきだ。

「私から見れば、カミラさんも十分にきれいな方だと思いますよ」

「は――」

 カミラはアロイスに向けて何か言おうと口を開き、しかし言葉が出ず、半端に息を吐き出した。

 頭の中に、いろいろな反応が渦巻く。

 「きれい」と「かわいい」は違う。だとか、お世辞は結構だとか、「きれい」とは要するに、近寄りがたいと同義ではないのか、とか。

 それに、「きれい」と言われて、うれしくないわけではない、だとか。


 ――――うれしくないわけではないけど。


「そういう言葉は、あと体重が半分になってからおっしゃってください」

 今のアロイスの姿に比べれば、だいたいの人間が美人になる。そんなアロイスに言われも、カミラは素直に喜べなかった。

「……あなたって本当に、遠慮のない方ですね」

 正直なカミラの反応に、アロイスは呆れ半分。慣れ半分に笑った。

「半分でいいんですね?」

 なんだ、その程度か――とでも言うつもりか。その体で。

 アロイスの言葉は感情が読み難く、まるで軽率にも思われた。

 肉の体を揺らしながら、よくもまあ言えたものだ、とカミラは目を眇める。

「――強気じゃないですか」

 ほとんど条件反射的に、カミラは喧嘩を買うような口調で答えていた。負けん気が刺激される。

 ――そんな簡単に痩せられるはずがないわ。

 カミラは長期戦を覚悟していた。なにせ常人の三倍はある男。食事量を徐々に減らし、人並みの量に慣れさせるだけでも、軽く一年は見積もっていたのだ。

 痩せるために必要なことは、なにより強い精神力。食べないという心。我慢という心。痩せたいという思いである。

 それらを何一つ持たずにヒキガエルにまで育った男が、なにを言うかという気持ちだ。ちょっと痩せてみよう、で痩せられたら、この体までは育たない。

 この男、間違いなく心が弱い。意志薄弱に決まっている。

「いいでしょう。ひとまずは半分で構いませんわ! できるもんでしたら!」

「努力しますよ」

 喧嘩腰のカミラの視線を受け、アロイスは肩をすくめた。簡素なその仕草から、彼の感情は読めない。本気なのか、また誤魔化しなのか。わからないから腹が立つ。

 ――ぜったい後で吠え面をかくわよ!

 痩せてくれるなら大歓迎。の前提を忘れ、エンデ家のことも横に置き、カミラはアロイスを睨みつけた。

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