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2-2

「――――痛っ! 力まかせに櫛を入れるんじゃない!」

「申し訳ありません! 奥様の髪が絡まっていたので!」

「奥様じゃない! ――じゃなくて、絡まっているからって、力でどうにかしないでちょうだい! 丁寧に梳けばほどけるわよ!」

「はい! 丁寧に梳きます!」

「いたたたたた!!」


 力任せに髪を引かれ、カミラは痛みに悲鳴を上げた。

 自室の椅子に座るカミラの後ろで、メイドのニコルは櫛を握りしめている。その櫛にはカミラの黒髪が巻き取られ、まさに引き抜かれるところだった。

「梳けました!」

「違う! 抜いたっていうのよ!」

 得意満面のニコルを、カミラが腹の底から否定する。カミラ自慢の――というほどでもないが、それなりに手入れをしてきた黒髪が哀れで仕方ない。

「あなた、不器用すぎるわ!」

「はい! 不器用です! でも一生懸命梳かします!!」

 ――素直!

 思わず頭に手を当てて、カミラは呻いた。カミラの背後で櫛を持つニコルは、言葉通り一生懸命、やたらと力んでカミラの髪をひと房掴む。

「待って、待ちなさい!」

「はい! 待ちます!」

 カミラの言葉に、ニコルは髪を掴んだまま止まった。カミラは頭を抱えたまま、ニコルに振り返る。

 視界に映るのは、金色の髪を雑に束ねた、まだ年若い少女だ。下級貴族の血筋らしいが、彼女の両親は貴族の称号を持たない。丸い頬と低い鼻にはそばかすが散り、素朴な愛嬌を感じさせる。

 特徴的なのは、彼女の生真面目な瞳だ。彼女の瞳は、とび色の虹彩と赤い瞳孔からなる。

 赤い瞳は魔力の証。強い力を持つほど、その色は鮮やかになる。虹彩まで赤くなるのは王家の人間だけだが、瞳孔のみであれば、王族以外にも赤い者はごく少数存在した。

 ニコルの瞳孔は、遠目から見てもわかるほどに鮮やかな赤色をしている。これがまた、彼女を問題メイドと至らしめる一端であるのだが、今はとりあえずどうでもいい。

 カミラはじっとりとニコルを見やる。

「今日は別の侍女が来るはずだったでしょう。どうして今日もあなたなのよ」

 カミラの侍女は、基本的に日替わりの当番制だ。カミラの侍女になることを嫌がってか、それとも他の理由があるのか、カミラの専属侍女というものはモンテナハト邸には存在しない。グレンツェに行く前は、毎日違う顔の侍女が来て、及び腰でカミラの身支度をしては逃げて行ったものだ。

 だが、戻ってきてからはずっと、この要領の悪そうな少女がカミラの部屋に訪れる。とうてい身の回りの世話を焼けそうにない、不器用で、自分の髪さえ乱れた下級使用人である『メイド』が。


 モンテナハト邸では、上級使用人と下級使用人の立場は明確に分かれている。

 上級使用人は、家格の低い貴族の子女や、裕福な商家の子女。あるいはよほどの有能で、かつ身元のはっきりとした人間だけがなる。執事や侍女、アロイスの侍従などがそれだ。女性の上級使用人を束ねるのが、侍女長のゲルダ。男性の上級使用人を束ねるのが、モンテナハト家に使える使用人の中の最長老である、家令のヴィルマーだった。

 下級使用人は、上級使用人のさらに下に付く。女性であれば、掃除や洗濯、皿洗いなどをするメイド。男性ならば、荷運びや厩舎の手入れをする下男。いずれは上級使用人となる、侍従や執事なども、見習いのうちは下級に分類される。

 下級使用人は、身元がはっきりとしなくとも、信用できる人間からの推薦があれば採用される。あるいは主人であるアロイスが見込んで、屋敷に迎え入れる場合もあった。


 侍女とメイドは、着ているものから判断できる。メイドは仕事柄、よく動きよく汚れる。だから、黒い服にエプロンが必須だ。スカートは動きやすく、膨らまないものを着る。


 ニコルは、まさにメイドの格好をしている。下級貴族の血筋であれば、上級の使用人にでもなりそうなものだが、まあおそらくは、彼女の能力が侍女には向かなかったのだろう。


「どうしてメイドのあなたが来て、他の侍女は来ないの」

 カミラの胡乱な視線を受けても、ニコルは背筋をきちっと伸ばしたまま、相変わらず腹から出す声で答えた。

「はい! 私がどうしても奥様のお世話をさせていただきたいと、無理を言って代わっていただきました!」

「奥様って言うのやめて!」

 アロイスとカミラは、まだ結婚していない。いずれはそうなるにしても、アロイスが痩せた後の話。

 ――実際に結婚するまで、奥様扱いはお断りよ!

 カミラの乙女心はかたくなで、おまけに諦めが悪かった。

「承知いたしました、奥様!」

「嫌がらせしてるんじゃないでしょうね!?」

 などと叫ぶカミラを無視し、ニコルは改めて櫛を振り上げる。もうその仕草から嫌な予感しかしていなかった。

「失礼いたします!」

「ひいっ、丁寧に! 丁寧に!!」

 カミラの当然の願いを断ち切るように、ニコルの櫛は振り下ろされた。

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