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序章2

 ――――どうしても認められない。


 いったいどうして私がこんな目に遭わなければならないのか。

 見渡す限りの沼地を眺め、カミラは震える手を握りしめた。


 確かに、王子の婚約者になりたかった。

 だけど、それは年頃の娘ならみんな思っていたことだ。社交界で話をしていて、王子に憧れない人間なんてほとんどいなかったし、なにしろユリアン王子は、王家の中でも特に見た目が良かった。それに、堅物の第一王子に比べて、彼は気さくでユーモアがあったし、なんというか、いかにも女性受けする性質だった。


 確かに、『リーゼロッテ・エンデは男好きである』などという噂が流れたのはカミラのせいだ。

 それだって、別にわざと流したわけではない。カミラはただ、リーゼロッテが王子以外の男と歩いている姿を見て、それを社交の場で話題に出しただけ。その話に尾ひれがつき、背びれもつに、ついに足までついて歩き出してしまったのだ。きっかけはカミラでも、えら呼吸から肺呼吸に進化し、自立して歩き出した噂話の責任までは取らなくたっていいだろう。


 確かに、家の権力は使った。ガンガンに使った。

 誘われていないお茶会への参加も、舞踏会で王子と最初に踊る権利も、両親に頼めば全部なんとかしてくれた。でもそれも、あるものを使ってなにが悪い。見目が良い人間が、美貌を武器にするようなものだ。歌や踊りが上手い人間が、それを使って王子に近付くのはよくて、権力のなにがいけないというのか。


 確かに、ちょっとやりすぎた。リーゼロッテと対立し、彼女を泣かせたのも、王子を怒らせたのも、両親を困らせたのも事実。

 だけど、それもすべてカミラだけが悪いわけでもない。リーゼロッテの涙は嘘泣きだったし、カミラだって散々リーゼロッテに煮え湯を飲まされてきた。

 大人しそうな顔をして、リーゼロッテは結構なものだ。カミラがリーゼロッテの悪口を言えば、彼女は五倍くらいにして罵り返してくる。リーゼロッテの噂以上に、カミラの悪い噂はそこかしこに流れていた。社交界を味方につけてカミラを孤立させたのも、リーゼロッテの方が先にしたことだ。それをやり返そうと、権力やら財力やらを使ったに過ぎない。

 それに、リーゼロッテの敵はカミラだけではない。カミラ以上に、みんなさんざんリーゼロッテを悪しざまに罵っていた。むしろカミラは、言い過ぎだと咎めるくらいだった。それなのに、形成が悪くなると一転。みんなリーゼロッテの味方をし出した。いつまでも王子を諦められないカミラだけが孤立して、最後までリーゼロッテと対立してしまった。


 確かに――――カミラは賢い行動をとれなかった。だけど、新聞に書き連ねられるほどの悪事をしたことなんてない。王子と男爵令嬢の運命的な恋物語の、体の良い悪役として仕立て上げられただけだ。


 なのに、世間から鼻つまみ者になり、見るもおぞましい醜い男と結婚する羽目になり、今でも面白おかしく社交界で語られる。

 こんな現実、とうてい認められるものではない。



 だけど、世間の醜聞よりも、王都から追放されたことよりも、いまカミラの目の前にいるのことが、なにより認められない。

「カミラさん、いかがです? 西の森で獲れた猪ですって。今の時期は脂がのっていて美味しいですよ」

 モーントン領、モンテナハト邸。丘の上から領土を見下ろす屋敷の中庭で、モンテナハト卿ことアロイスは、口に肉をほおばりながら言った。

 アロイスの前には、猪一匹持ってきたのではないかという山のような肉が積まれていた。肉は骨が付いたまま、濃い焦げ色が付くまで焼かれている。アロイスの言う通り、見るからに脂が多く、その表面はてらてらと光っていた。

 その山を、アロイスはナイフとフォークで器用に崩しながら食べる。首から垂らしたナプキンには、肉汁が跳ね、いくつもの染みを作っていた。だが、そんな些末なことなど気にかけず、アロイスは実に美味しそうに肉を平らげていた。

 カミラは、そんなアロイスから心持ち少し距離を取り、彼の巨体をじっとりと見やった。太陽は、西に傾きつつある昼下がり。今は朝食の時間でも、昼食の時間でも、もちろん夕食の時間でもない。

「アロイス様……私、お茶会だと言うから来たんですけれども」

「お茶、ああ、ありますよ! お砂糖はいくつにしますか。五個、六個?」

 カミラとアロイスは、一つの大きなテーブルをはさみ、向かい合って座っている。そのテーブルの上には、肉の影に隠れて、紅茶のポットと角砂糖の入った小瓶があった。

「アロイス様……私、言いましたよね。あなたとは結婚できないって」

「ええ、ええ。伺いました。もう何度も…………」

 カミラの言葉に、アロイスはしゅんとうなだれた。だからと言ってその巨体が小さくなるわけではなく、手が肉を離すわけでもない。

「今の私相手には、とうてい誓いのキスなんてできない。だから、痩せるまでは結婚できないと」

「そうです。それで、アロイス様。あなたはそれを聞いてなんと答えたか、覚えていらっしゃいますか?」

「もちろんです! あなたのために、私は痩せてみせましょう。必ず、あなたと結婚してみせる――と」

 熱のこもった沼地のヒキガエルは、半ば立ち上がりながらそう言った。彼が動けばテーブルも揺れる。地響きみたいなその振動を前に、カミラは口元をほころばせた。

「だったら――――」

 否、口元は笑みを作っていても、その顔は仮面のように無表情であった。

「少しは痩せる努力をしろ、この肉ガエル――――!!」

 カミラはそう叫び、肉とアロイスを引き離そうと、彼の腕をつかんだ。

 その瞬間の、手のひらに感じるねちょっとした感覚は忘れられない。肉とアロイス本人のどちらの油脂かわからないが、生粋のラードの感触であった。



 カミラにはどうしても認められない。

 こんな肉厚なカエルと、どうやって神の前で誓いのキスなどできるものか。

 他人の決めた相手と結婚することは致し方ない。もともとカミラも貴族の娘。政略結婚は、うすうす覚悟をしていたことだ。

 だが一方で、カミラも十八歳のうら若き乙女。恋した相手との結婚は無理でも、最低限、カミラの中で譲れない一線がある。

 そして相手のカエル男は、カミラの一線の外側にいたのだ。


 だからそう、せめて、カミラがキスをできる容姿になるまで。

 太った体に荒れた肌、手入れをしない荒い髪。それと、まるで人目を気にしない服装。すべて正してやらねばなるまい。

 ――――人並みになるまで、私が教育してやるわ……!!

 おののくアロイスを見ながら、カミラは強く心に誓った。

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