2-1
シュトルム伯爵家令嬢、カミラ・シュトルムは嫌われ者である。
ゾンネリヒト王国の第二王子と、男爵令嬢リーゼロッテの運命の恋を邪魔した悪役であり、わがままで勝手で、酷く執念深い魔女のような女である。
グレンツェからの滞在を終え、領都のモンテナハト邸に戻ってきた今も、依然そのことに変わりない。
若い使用人たちを中心に、カミラの噂は今日もひそやかに囁かれ続けている。
「ねえ、聞いた? あの悪役女、グレンツェの侍女を泣くまで叱って、クビにするって脅したらしいわよ」
「知ってるわ。旦那様がさすがにクビは止めたらしいけど、お給金下げて降格! 今じゃ物置の掃除や洗濯をさせられているらしいわね」
「旦那様といえば、戻ってきてから様子がおかしいらしいわよ。以前よりも食が細ってしまったらしくて……あの女、グレンツェでも騒動を起こしたみたいだし、きっとすっかり参ってしまわれたのよ」
「ええ、やだ……あの旦那様が? 怖いわ、今日私、あの女の世話当番なのよ」
「あら、お気の毒。でもね、それならいい考えがあるわ――――」
○
――――――前より状況が悪化しているわ……。
グレンツェから、領都にあるモンテナハト邸に戻ってきて数日。
自室で従妹テレーゼの手紙を握りしめながら、カミラはわなわなと震えた。
使用人たちがよそよそしいのは変わらず。それどころか、グレンツェから戻ってきてからは、カミラが顔を向ければ、みんな目を逸らすようになった。
というのも、どこから伝わったのか、カミラの起こした騒動がすっかり使用人たちの間に広まってしまったらしい。アロイスの食事は無事に一食減って七食となったが、それもカミラの恐ろしさを伝える一助となってしまっている。
使用人たちは、以前に増して恐る恐るカミラに接してくる。仕事が済めばさっと消えるその逃げ足も、前より速くなった気がする。
さらに追い打ちをかけるように、テレーゼの手紙だ。
「ユリアン殿下とリーゼロッテさんの婚約は、無事に成されました。陛下やエッカルト殿下もこの婚約を、『中身のないつまらない女に惑わされず、素晴らしい女性を得ることができた』祝福なさっております――――ですって?」
『中身のないつまらない女』とは、つまるところカミラのことだ。
王都にいたころ。カミラが見ていた限り、第一王子エッカルトは、シュトルム伯爵家との婚姻の方に熱心だったように思う。生真面目で、恋や愛よりも王家と国の発展を第一としていた彼のこと。家格の低いエンデ家と第二王子ユリアンとの恋の噂には、眉をしかめることも多かった。
なにより、ユリアン王子とエッカルト王子は不仲で知られている間柄だ。祝福するなんてはずがない。
はずがない、と思っても、今のカミラには確かめるすべはない。テレーゼから飛んでくる手紙か、カミラを悪女と書き立てたゴシップ紙の切れ端くらいしか、王都の様子を伝えるものはないのだ。
それに――――。
「お父様とお母様が、テレーゼを養子にしたいと……!?」
カミラが追放されたことで、シュトルム伯爵家には子供がいなくなる。
カミラがユリアン王子と結婚をするのであれば、第二子あたりを養子に取るつもりでいた。それが難しければ、どこからか婿養子を迎える計画だったはず。
だが、カミラが世間から嫌われ、『沼地のヒキガエル』と結婚させられようという今、その子供は欲しくないということなのだろう。両親は、これから子供を産むにもいささか厳しい年齢だ。
どこからか跡継ぎを用意したいと思うのも当然。そこで目を付けたのが、シュトルム伯爵の弟こと、ノイマン子爵。その一人娘であるテレーゼなのだ。
理屈ではわかる。家柄を保つためには必要なことだ。
――――でも、理屈じゃないのよ!
手紙をぐしゃりと握りつぶし、カミラは唇を噛みしめた。
頭には、勝ち誇ったテレーゼの顔が浮かぶ。今頃はきっと、笑いが止まらないことだろう。容姿も人望も愛情も持っているテレーゼが、唯一カミラに敵わないもの。それが、シュトルム伯爵の家柄なのだ。
――……私、見捨てられたんだわ。
両親は、カミラが許されて王都へ戻る可能性を捨てた。そうでなければ、ノイマン子爵から、彼の溺愛するテレーゼを取り上げるものか。
カミラの父シュトルム伯爵と、叔父ノイマン子爵は、たいへんに仲の良い兄弟だ。
幼いころから仲が良く、叔父がノイマン子爵家の婿養子となってからも、親密に交流を重ねていた。伯爵は弟をかわいがり、子爵は兄を尊敬して、なにかと頼ってきたものだ。
問題を抱えた叔父が、何度も父の元を訪問する姿を、カミラは間近で見てきた。一人っ子であったカミラは、ずっと二人の兄弟仲をうらやましいと思っていたくらいだ。
シュトルム伯爵が、なにかと不安定なノイマン子爵家の経済的危機を救ったことは、一度や二度ではない。病弱な子爵夫人についても、伯爵は夫妻そろって相談に乗り続けてきた。
子供を産むことは難しいと言われていた子爵夫人。そんな彼女が奇跡的に子を授かり、生まれたのがテレーゼだった。子爵夫妻にとって、テレーゼは奇跡そのもの。目の中に入れてもいたくないほどにかわいがっていることを、シュトルム伯爵が知らないはずがない。
それでも伯爵は、愛する弟から彼の大切な娘を取り上げると決めた。
そこには、相応な覚悟があるはずだ。
――いえ。
カミラは息を吐くと、握りつぶした手紙を手の中で丸めた。
――こんな手紙だけでは信じないわ。
手紙は、カミラを嫌うテレーゼが書いたものだ。父と母から直接話を聞くまでは、こんなものはテレーゼのたわごとも同じ。
――保留! 保留よ! 素直に信じてたまるものか!!
「私は落ち込まないわ! 今に見てなさいよ!!」
奮起するように声を上げると、カミラは丸めた手紙を暖炉に投げ込んだ。
「アロイス様を色男に仕立て上げて、絶対に王都に戻ってやるんだから……!!」
カミラは懲りもせず、何度も誓った決意を口にした。ちょうどその直後。
待ち構えていたように部屋の扉が叩かれる。
「――――奥様!」
叩音の後に聞こえたのは、やけによく通る女の声だ。いや、通るというかなんというか。兵士たちの掛け声にも似た、腹から出した大声だ。
「メイドのニコル、奥様のお召し替えにただいま参りました!」
――……また来た。
その声を聞いた瞬間、カミラの憤りはため息に変わる。
また今日も来た。グレンツェから戻ってからずっとカミラの身の回りの世話をする――問題メイドが。




