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1-終章

「おい、悪役ババア。帰んのかよ」

 夜も更けたころ。屋敷を無断で一晩空けるわけにもいかず、老婆に挨拶だけ済ませて、家を出ようというとき。アロイスを追って玄関に向かうカミラに、生意気な声がかかった。

「だーれがババアよ」

 口の悪さに顔をしかめながら、カミラは声に振り返った。

 視線の先にいるのは、不機嫌そうに唇を尖らせたロルフだ。くすんだ金髪が、廊下を照らす火に揺れる。睨むような彼の眼の中にも、燭台の火が揺らめいていた。

「お前、あの噂の女だったんだな。王子の恋人をいじめたって本当かよ」

「はあ?」

「それで、罰としてアロイス様と結婚するってのも本当かよ」

「あんた、そんな噂信じてるの? ぜんぶ嘘よ、嘘!」

 ――というほど、嘘ばかりでもない。けれど、まああえて「これとこれは一部本当」なんて言う必要もない。

 こずるく口を結んだカミラに、ロルフはにやりと笑った。

「やっぱそうだよな。噂だとすげえずる賢くて、王様や王子まで騙したって言うもんな。お前、馬鹿だしアホだし、頭悪いもんな!」

「馬鹿にしてるの!?」

 さあ去ろうというタイミングで寄越された怒涛の罵倒に、カミラは肩を怒らせた。ちょっと上向きになっていた気持ちに、ロルフの言葉がちょうど刺さる。

「あっ、悪役ババア怒った! 悪い噂流されるぞ!」

「そんなことしないわよ! この、悪ガキ!」

 頭をはたいてやろうかと、カミラはロルフに手を伸ばす。が、ロルフはするりとカミラの手を避け、小馬鹿にしたようににやにやと笑っている。

「口悪いなー、お前。アロイス様には似合わねーな」

 両手を頭の後ろに組み、ロルフは笑いながら言った。底なしの生意気さに、もう一度カミラが掴みかかろうとしたとき。

 外の風が玄関から吹き込む。冷たくて穏やかな風が、悪童の髪を撫でた。

「…………お前さ、アロイス様に愛想つかされたら、またここに来てもいいぜ――――ほら、お前みたいな口の悪い女、すぐに嫌われるだろうしな!」

 一息に言い切ると、ロルフは前髪を誤魔化すように手で掻き乱した。

 それから、「じゃあな」と言って、廊下の奥へと走り去っていった。


 ○


 そして翌朝である。


 アロイスに夜中に連れ戻されたカミラを、使用人たちがひそひそと噂をする。

 聞くともなしに聞こえてくるのは、やはり昨日の騒動であった。


 噂の悪女が侍女を責め立てた上に泣かせて、癇癪を起して無鉄砲に飛び出した挙句、夜の街で騒ぎ、最終的には旦那様自らが連れ戻した――――と。

 そんな話が元になり、尾ひれもつくし背びれもつく。当たり前のように、胸びれだってある。


 ――――昨日までとなにも変わらないわ……!


 たった一日でアロイスは痩せないし、カミラへの評価も変わらない。屋敷の人々は、カミラに対して慇懃ではあるもののよそよそしく、視線は冷たいままだ。いや、昨日の騒動のおかげで、いっそうカミラへ向けられる視線のとげは増している。

 なんとなく屋敷に戻ってきてしまったけれど、これはもしかすると、孤児院に身を寄せていた方が良かったのかもしれない。

 早まったか―――などとカミラが、自室で苦々しく考えていたとき、不意に部屋の扉が叩かれた。

 どうぞ、と反射的に答えながらも、部屋を訪れる人間に心当たりはない。夜遅くに帰ったと言うのに、アロイスは残った仕事を片付けに朝早く出て行った。彼の他にカミラの部屋を訪れる人間は、今のところ皆無だ。

「失礼します……」

 遠慮がちな声と共に、扉が開く。


 現れたのは、背の低い侍女――――見覚えのある、小動物めいた瞳の少女だった。

「……あなた」

「奥様、あの」

「あなた、昨日の侍女じゃない! よくも私の前に顔を出せたわね!」

 今回の騒動の諸悪の根源。カミラの命令を嘘で断った挙句、休憩室でサボり、悪口を言い、叱れば泣き出した問題侍女である。今日は、連れの二人はいないらしい。単身乗り込んでくるとは、いい度胸である。

「なにしに来たのよ! あなたのせいで大変だったのよ! 料理はこぼすし、食事中に暴れるし、けっきょくは漏らしちゃうし……!」

「あの、あ、あたし……」

「これでも、私はあなたの主人なのよ! 教育がなってないわよ! 今までどんな楽な仕事してきたの! 自分勝手をした挙句、泣いて逃げて、無責任だって思わないの!?」

「あ……うう……」

 侍女は何かを言おうと口を開いた。が、口から出たのはうめき声だった。カミラの見ている前で、侍女はうつむき、ぐすぐすと嗚咽を上げる。侍女の制服である黒いドレスを両手で握り、肩を震わせる。

「泣いても私は許さないわよ」

「わ……う……あの、あの……」

 カミラは腕を組み、小さな侍女を見下ろす。昨日はここで邪魔が入ったが、今日は自分からカミラの部屋に飛び込んできたのだ。侍女を助ける人間は、どこにもいない。

「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。ぐずぐず泣いたってどうにもならないわ」

「わ……わ、かってます……」

 侍女は胸に手を当て、大きく息を吸った。それから、涙で潤んだ瞳のまま、カミラに向けて顔を上げる。

「あ、う、あたし、あの、奥様に言いに来たんです、あの…………」

 冷ややかなカミラの視線を、侍女は泣きじゃくった顔で受ける。呼吸は浅く、時折しゃっくりが混ざる。

「も…………申し訳ありませんでした……! あ、あたし、わかっていたんです。奥様のおっしゃることが、た、正しいって。あたし、あ、謝らなきゃって思ったのに」

 のに、と言ってしゃくりあげる。言葉を吐きながらも涙は止まらず、喘ぎ声が混ざる。

「あ、たし、気が昂るとすぐに涙が出て……だ、黙っていれば、我慢、で、できるんですけど」

 だから、カミラに責められてからずっとうつむいたまま黙っていたのだ。なにか言うと泣き出してしまうから。

 そうして黙っていると、他の誰かがいつもわかった顔で助け舟を出す。侍女自身の内心とは裏腹に。本当に言いたいことは言葉にできないまま、『かわいそうに』で終わってしまうのだ。

「はあああ!? 泣いちゃうから黙る、で許されるわけないでしょうが!! しかも人のせいにして!!」

「はい! そ、そのと、とおりです……!」

「かわいそうになんて思わないわよ! さっさと謝ればこんなに怒らなかったのよ!? それに、ぜんぜん泣いてないときの陰口も聞いてたのよ! こっちは言い訳できるの!?」

「言い訳、は、あ、ありません! ど、どんなご処分も、か、覚悟してます……!」

「泣いてもぺらぺら喋れるじゃないの!」

 ぐずぐずの顔で、つっかつっかえながらも、侍女はよく喋る。傍から見れば、小柄な侍女を苛め抜いているようにも見えるだろうが、泣いていることを除けばただのお説教と変わらない。

「表情くらい繕えなくて、侍女なんて務まらないわよ。向いてないんじゃないの?」

 とはいえ、すぐに泣いてしまって務まる仕事もそうそうあるまい。

 むしろ、グレンツェの別邸は大半が主人不在。不在中に使用人たちがすることと言えば、屋敷の手入れか、定期的に本邸まで送る、輸出入やら魔石の採掘量、商人の移動に関する資料をまとめることばかり。いわば、役所としての役割が強いのだ。

 感情昂ることも少なく、いっそ向いているともいえる――だろうか?

「だいたい、処分って言っても、私にそんな権限ないわよ。アロイス様に頼み込めば別かもしれないけど、なんであなた一人のためにそこまでしないといけないの」

 一介の侍女を辞めさせるためには、今度はカミラが頭を下げることになる。

 アロイスに向けて、『あの侍女を辞めさせてください』なんて口が裂けても言えるものか。些末なことを気にして、いつまでも腹を立てていると思われてしまっては、それはそれでカミラのプライドが許さないのだ。

「あなた、叱られたでしょう。反省したでしょう。で、謝ったでしょう?」

「は、……はい」

「その次は?」

 侍女は濡れた瞳を瞬かせた。

「謝って、それだけ?」

 眉間にしわを寄せるカミラを見やり、少しの間悩むように首を傾げた。それから、腕で荒く顔をぬぐうと、息を吸い込んだ。

「……もうしません。仕事もまじめにしますし、態度も改めます」

 震える声を抑え、侍女は一息に言い切る。

「言ったわね」

 ふふん、とカミラは不敵に笑った。

「同じことをしたら、今度こそクビよ。私はこういうの、忘れないわ。次にグレンツェに来たとき、サボってないか確かめてやるんだから!」

 はい! と震えながら頭を下げる侍女に、窓から差すグレンツェの明るい陽射しが影をつくる。


 もうじき離れる空の色は、鮮やかな青だった。

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