1-15
食事は大騒ぎだった。
厨房に隣接した食堂。長テーブルに沿って子供たちが座る。
子供たちの前には、とろとろ煮込んだスープと、切り分けられたパン。テーブルの中央には大きなオムレツの皿があり、塩ゆでのキャベツと豆が添えられている。
だけどそれも、今は見る影もない。
料理と配膳を終えてもなお、カミラとアロイスは忙しなかった。
「うえー人参嫌い」
「わがまま言わない! 小さくしてあるんだから、噛まずに飲み込んじゃいなさい!」
人参を皿の外に捨てようとする子供を、カミラが咎めた。しかし人参嫌いは、「やだ」と生意気に口答えをしてくる。
さらに言い募ろうとしたとき、また他所で声が上がる。
「こぼしたー!」
泣き声と同時に上がった声に振り向けば、アロイスが重たい体で駆けていくのが見えた。その視界の中、たまたま、少年が隣に座る少女の皿に手を伸ばす姿が映る。
「あー! おにいちゃんが私のパンとったー!」
「俺じゃねーもん」
「あなたでしょう! 見てたわよ!」
そう言ってからカミラは少年の元へ駆け寄る。が、カミラが到着する前に、少年はとぼけた顔で奪ったパンを口に放り込む。
「俺知らねー。パンなんてないし」
口の中に隠し、もごもごとしゃべる少年に、少女はわーっと泣き出す。
「お兄ちゃんが妹泣かせてどうするの!」
ぽこん、とカミラは少年の頭を小突く。が、少年は堪えない。
「なんで妹だからって優しくしなきゃなねーんだよ。だって年下だぜ? 理由を言えよ、理由を」
「理由ですって?」
カミラは少年の頭に手を置いたまま、ぐりぐりと小突き続ける。そうして不敵ににやりと笑えば、少年が少し怯んだ。
「妹に優しくないお兄ちゃんは、もっと年上にいじめられるのよ」
少年がカミラを見上げた。生意気な口をきいても、まだ幼い子供だ。カミラは十分に大きく、恐ろしく見えるのだろう。少年は肩をすくめ、身を縮めた。
「わかったら、ちゃんと謝りさない。謝れる子はいじめられないわ。それで、欲しいときは勝手に取らないの。わかった?」
「……ごめんなさい」
少年は泣きべそをかく少女に向けて、おずおずと頭を下げた。そうこうしているうちに、またどこかで声が上がる。
慌ててカミラが騒ぎの元を探していると、ふとアロイスが見ていることに気が付いた。だが、その視線は一瞬だ。アロイスもまた、子供の誰かに呼ばれて、慌ただしく駆けて行った。
○
かちゃりと皿の当たる音。
水の流れる音が、静まり返った厨房に響く。
食堂もすっかり片付き、子供たちは寝静まった。老婆の元へ食事を届けた後、カミラとアロイスは、並んで厨房の片づけをする。
カミラが皿の汚れを水で洗い流し、アロイスが水をふき取って棚に納める。しばらくの間、黙ってお互いの役割をこなしていた。
夜はすっかり更け、もう大人も眠る時間だ。隙間風が、水で濡れた手を冷やす。
「…………子供の扱いに、慣れていらっしゃるんですね」
ぽつりと、アロイスがつぶやいた。あまりにさりげなくて、少しの間、カミラは自分に向けられた言葉だと気が付かなかった。
「意外でした。料理をする姿も、子供と接するあなたも」
「はしたないところをお見せしましたね」
料理の趣味よりも、もっと人に言えないカミラの姿。なにもかも晒したカミラは、すっかり諦めて笑った。
「私、孤児院に行っていたと言いましたでしょう」
「ああ」
アロイスは思い出したようにうなずく。グレンツェで、騒動が起こる前に交わした最後の会話だ。
「慈善活動なんて言ったけど、あれは嘘なんです。本当は、厨房を借りていたんですよ。作ったら、子供たちが喜んで食べてくれるから」
「……それこそ、慈善活動ではないのです?」
「そんな立派なことじゃないです。私は好きなことをしていただけですもの。孤児院だって、友達のお母様の運営されていたところですし」
王都にある孤児院は、この古い家とは比べ物にならないくらいに立派ではあった。しかし、子供はどこでも変わらない。やんちゃで、生意気で、底なしに元気だ。上品な貴族令嬢では、一人二人の子供はさておき、大人数は相手にできない。
だからカミラは、すっかり声を張り上げ走り回ることに慣れ、品のない仕草や口調が身についてしまった。
「友達ですか」
「ええ。私の侍女なんですけれどもね。とても悪い娘でしたよ。いつもいけないことばっかり教えられてきた気がします」
屋敷を抜け出す方法や、平民らしい変装。悪い口調も、だいたいが彼女のせいだ。
「そもそも、私に料理を教えたのが、あの子のお母様ですもの。親子そろってとんでもない悪党ですわ」
それで、カミラが王都を追い出されるとき、最後まで反対して、悲しんでくれた。彼女は一緒に行くと言い張っていたが、王子の厳命で誰も連れて行くことはできず、結局は置いて行ってしまった。
懐かしい。もうずいぶんと遠いことのように思えた。みんな元気にしているだろうか。自分と親しくしたことで、不都合は起きていないだろうか。静けさの中、とりとめなく思考が零れ落ちる。
カミラは息を吐き、首を振った。視線を落とせば、流し台にはまだたくさんの皿がある。よし、とカミラは力を入れてつぶやく。
「さっさと終わらせちゃいましょう、アロイス様。もういい時間ですわ」
顔を上げてアロイスを見上げれば、彼のむくんだ顔とまっすぐに向かい合う。
うつむくカミラをずっと見ていたのだろうか。急に顔を上げたカミラを見て、彼は面食らったように瞬いた。
「え、ええ、はい」
歯切れ悪くそう言ってから、アロイスはまたカミラを見下ろしてしばし黙る。
「…………私は、あなたを誤解していたみたいです」
「誤解ですか?」
「ほぼ初対面で『痩せろ』などと言う、礼のなっていない見栄えばかり気にした方だと。わがままで、自分の立場をわきまえられず、賢くもない。単純で扱いやすいけれど、短気で直情的なうえ、とても自分勝手なだけの方だと思っていました」
「そこまで思っていたんですか!」
思いつく悪口を丁寧に重ねられた気がして、思わずカミラは声を上げた。反してアロイスはまじめな顔で、淡々と言葉を続ける。
「……でも、そればっかりではありませんでした。話してみればすぐにわかることだったんですね」
「さっきの言葉の否定はしないんですね」
はは、とカミラは乾いた笑いを返した。羅列された悪印象は変わらず、それに別の印象が追加されただけなのだ。
――別に、いいけれども。
「アロイス様って、案外正直なんですね」
唇を尖らせて言えば、アロイスはおかしそうに目を細めた。そのまま少しの間カミラを見つめ、ふとため息を吐く。
「頬や額も、お嫌ですよね」
「はい?」
唐突な言葉に首を傾げれば、アロイスは首を振った。それから彼は、カミラから目を逸らす。逸らされた視線の先は、どこでもない虚空だった。
なにもない場所を見つめながら、アロイスは息を吐く。
「……カミラさん、私、痩せてみようと思います」
カミラは瞬いた。幻聴でも聞いたのかと耳に手を当てる。
「突然、どういう風の吹き回しです?」
今までさんざん『痩せろ』とカミラが言っても、耳を貸さなかったくせに。自分から痩せるなんて、本当にこの巨体の口から出てきた言葉だろうか。いや、そもそも本気なのか。また適当にあしらわれているのではないだろうか。
疑り深いカミラとは視線を合わせず、アロイスはなにもない空間を見つめている。手はせわしなく、とっくに水気の切れた皿を拭いていた。
「なんとなく。なんとなくですよ。……痩せるために、なにから始めればいいと思いますか?」
「…………えっと、とりあえず、一食減らしてみればよいかと」
待ち望んだ言葉のはずなのに、思考が追い付かないまま、カミラはあまりに当たり前のことを口走っていた。
やはり八食は多い。