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1-12

 すっかり夜も更けたころ、老婆は口からかすかなうめき声を上げ、細く目を開けた。

 それから、ここがどこだか確かめるように瞬きをする。目の前には見慣れた天井があり、背中には固いベッドの感触。それから、ぱちぱちと暖炉の火の燃える音。

 自分の家だと、すぐに気が付いた。


 老婆の記憶では、町の中にいたはずだ。家では年長の少年を連れ、今晩訪れるであろう領主のために、食糧の買い出しをしていたのだ。

 その帰り道。買い物を終えてさあ戻ろうときに、めまいがして動けなくなってしまった。

 連れの少年は老婆を路地裏の日陰に休ませてくれた。それから、人を呼んでくると言って走り去っていった背中が、老婆の記憶に残っている。

 そこから先は、覚えていない。


 いつの間に戻ってきたのだろうか。

 不思議に思いながら目を動かせば、揺らめく光に照らされた子供たちと――――見慣れない若い女が見える。みんな老婆を、心配そうに覗き込んでいる。

 だが、老婆が目覚めたと気がつくと、一様にほっとした表情を浮かべた。

 息を飲むように見守っていた部屋が、にわかに騒がしくなる。


 ○


「だから大丈夫だって言ったでしょう! あんた、本当に私のこと信用してないのね!」

「だってお前、薬もどれだか分からないって言うし、飲ませ方もめちゃくちゃだし! だいたい、結局ほとんど俺にばーちゃんを背負わせやがって!!」

「手伝っただけでも感謝しなさいよ! あんた一人じゃおろおろ泣くだけで、連れ帰るなんてできなかったのよ!」

「泣いてねーよ!!」

 古くて狭い部屋の中、布を引っ掛けただけのベッドの傍で、カミラと少年はぎゃあぎゃあと騒いでいた。

 ただでさえ狭い部屋は、今は老婆の目覚めを見守っていた子供たちであふれている。十数人くらいはいるだろうか。老婆が起きたことに安堵し、泣き笑いの声が部屋に響く。だが、二人の言い合いの声はとりわけ大きかった。

「だいたい、薬があるならわざわざ運ばなくてもよかったじゃないの! ひとっ走り薬を取りに戻れば早かったんじゃないの!?」

「――――――――たしかに……!」

 少年ははっとしたように目を見開いた。気がついていなかったらしい。

「お前、性格悪い癖に意外と頭いいな……」

「馬鹿にしてるの!?」

 思わずカミラは肩を怒らせる。そのまま続けて少年とやり合おうとしたとき、「あの」としわがれた声が止めに入った。

「あの……あなたは……? あなたがここまで運んでくれたんですか?」

 見れば、老婆が体を起こし、戸惑った様子でカミラと少年を見つめている。まだ体調は万全ではないらしく、その顔はやや青ざめていた。

「ばーちゃん、こいつぜんぜん役に立ってねーよ!」

 カミラが答えるより早く、少年はベッドに身を乗り出して言った。

「助けるって言ったくせに、ばーちゃんを一人で運べないし、道も知らないし、口も悪いし!」

 まくしたてる少年の言葉に間違いはない。老婆は小柄で痩せているが、カミラが一人で背負って運ぶには無理があった。カミラと少年で片側ずつ老婆の肩を支えるか、あるいは少年が背負うかして、どうにかこうにか連れ帰ってきたのだ。

 道だって知らない。老婆の家は町の中心部からだいぶ離れた森のほとりにあり、町を照らす魔石の光も届かなかった。月明りを頼りに少年の道案内に従っただけ。なにもできないカミラを「無能」「役立たず」と少年が罵れば、カミラもさんざん言い返した。そんなこんなで、道中ずっと騒ぎながら、どうにかこの古びた家まで戻ってきたのだ。

「俺ひとりで運んだようなもんだぜ!」

 身を乗り出して息巻く少年を聞き流し、老婆はカミラを見上げた。それから、丸まった背中をさらに丸めて頭を下げる。

「すみません。ご迷惑をおかけしました。あなたのご親切のおかげで助かりました」

「いいわよ別に。たいしたことしたわけじゃないわ」

 カミラが言えば、言質を取ったというように少年が「ほらー!」と声を上げる。声を上げるが、その語尾は「ぐえ」という悲鳴に変わった。

 老婆が少年の頭に握りこぶしを落としたのだ。老いて枯れたこぶしは、痛みを伴うものではないが、少年を黙らせるだけの効果はある。

「助けていただいたのに、その言い方はなんですか」

「……でも、結局は俺がぁ」

「結局、じゃない。この方がいたから、無事に済んだんでしょう。まずは言うことがあるんじゃないですか?」

 少年は渋い顔で口を尖らせた。ひどく不服そうではあるものの、老婆の言うことにはおとなしく従うらしい。カミラの方を見て、ぺこりと頭を下げた。

「…………ありがとうございました」

「しおらしいじゃないの」

 ふふん、とカミラは笑いながら言った。それから、カミラに向けられた少年の頭に手を伸ばした。彼のくすんだ金髪を、くしゃりと軽くなでる。

「嘘つきじゃなかったのね。ちゃんと人を呼んで、おばあちゃんを助けられて、偉かったわよ」

「……子ども扱いするなよ。えらっそうに!」

「だって偉いもの――――ちょっと前まではね」

 伯爵令嬢。いずれは公爵の妻。町はずれで暮らす平民よりは、ずっと偉い身分だった。少なくとも、カミラ自身はそう思っていた。

 だが、それも少し前までの話だ。今のカミラは、行く当てのない哀れな娘でしかない。痩せる気のないアロイスとの結婚は永遠に成立せず、すなわち『公爵の妻』の立場もない。「うそつけー!」と否定する少年に、カミラは自嘲気味に口を曲げて見せた。

「偉い身分なら、どうしてあんなところを一人で歩いてんだよ」

「いいじゃない。いろいろあるのよ」

「そういう言い方、家出したやつがよくするぜ。お前もしかして、行く場所がないんじゃないのか?」

 少年が心得たというような表情で、カミラを覗き込んだ。意外な鋭さに、思わず目をそらす。

「行く場所ないならさ――――ぐえ」

 さらに言い募ろうとした少年は、また悲鳴を上げた。二度目の老婆のこぶしが、少年の頭にある。

「失礼なことをいうもんじゃありません。貴族様だって、見ればわかるでしょうが」

 少年の視線は、恨めし気に老婆に向けられる。追及を逃れて、カミラは内心ほっとしていた。

 そんなカミラの心は知らず、老婆はうかがうように問いかける。

「この町に滞在されているのでしょうか。きっとお連れの方が心配しているでしょう。すぐに町にお送りしたいのですが、私は動けませんし、他の子たちはまだ小さくて……」

「心配なんて――」

 するような人間はいない。

 侍女たちはもちろん、アロイスだって。王都に住む両親や、かつてのサロンの取り巻きたちも、今のカミラがどうなろうと知ったことではないだろう。


 口元を抑えてうつむいたとき、部屋にいる子供の一人が、カミラのドレスを引っ張った。

 振り返れば、五つか六つほどの幼い少女が、丸い瞳にカミラを映している。少女は大きな目を何度かぱちぱちと瞬かせ、小動物じみた仕草で口を開いた。


「おなかへった」


 きゅう、と少女は腹を鳴らす。だが、少女になにか答える前に、別の手がカミラを掴む。

「おしっこー」

「えっ」

「おみず飲みたい」

「待って、待って!」

「うわあああん、お兄ちゃんが蹴ったー!」

 堰を切ったように子供たちが騒ぎ出す。老婆の元気な姿に安堵したのか、そろそろ我慢の緒が切れたのかは、両手を掴まれドレスを引っ張られているカミラにはわからない。


 ――と、とりあえずトイレが先? でも喧嘩が始まっちゃったし……。ああもう! 手を離してくれない!


 部屋に響く泣き声に目がくらむ。

 老婆はおとなしくさせようと声をかけるが、ベッドの上では十人近い子供をさばききれない。年長であるはずの少年は「うるせーよ!」と余計に子供たちを泣かすありさま。

 左右からはぐいぐいと手を引かれ、混乱するさなか。


 追い打ちをかけるように、古い家の戸を叩く音が響いた。


 その音は、何度か繰り返し叩いた後、誰も応答する気配がないことに気が付いたらしい。

「すみません、お邪魔いたします」

 聞き慣れた声と、許可なく扉を開く音が聞こえた。

 その直後、古い家が小刻みに揺れた――――まるで地震みたいに。

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