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屍の道(前)

 ユリアンはベッドの上に座ると、頭を壁に預けた。

 手の届かない場所に、窓が一つ。鉄格子のついた扉が一つ。他は継ぎ目すらもない壁を見やる。

「――――やっぱり」

 壁を見つめながら、ユリアンは一人つぶやく。

「お前に『可憐な令嬢』というのは、無理があったんじゃないか?」

「なんですかそれ!」

 壁の向こうから、少しくぐもった反論が来る。噛みつくような声音に、ユリアンは苦笑した。

「似合ってなかったぞ」

「まさか! 完璧だったじゃないですか。大人しくて健気で楚々として……こんな可憐な乙女が他にありますか。世間受けも抜群でしたよ」

「お前の性格を知っているとなあ」

 くく、とユリアンは笑う。姿は見えないが、背後でどんな顔をしているのか、彼には手に取るように分かった。

「覚えているか? 最初にお前と会ったときのこと」

「またその話ですか……!」

 不機嫌そうな声がする。この話を、いつも彼女は嫌がった。

「人の庭の木に登って、毛虫を投げつけてきた挙句に落ちてきたんだ。なんて女だと思ったぞ」

「五つのときのことじゃないですか!」

「落ちてきたお前を受け止めたら、礼に青虫を寄越したな。毛虫となにが違うんだ」

「十年以上も前ですよ。あのときとは、私だってだいぶ――」

「あの子供が、俺の魔術師になるとは思わなかった」

 ユリアンは目を閉じる。思い出すのは、まだモーントン領にいたころのことだ。

 懐かしい瘴気の風と、健在だった両親。何度となく訪れる家臣たちの中に、幼い彼女が混ざっていた。

 一緒にいた時間は長くなかった。それでも彼女はユリアンを慕ってくれた。兄弟のいないユリアンにとっては、彼女は本当の妹のようだった。

「名前を聞いたときは驚いた。まさかあの芋虫が、王宮で可憐な令嬢を演じるとはな」

「…………がんばったんですよ」

 ふてくされた声がする。

「アロイス様に会いたかったから。魔法も、礼儀作法も」

「お前はいつまでも、俺をそっちの名前で呼ぶな」

「二人のときだけですよ――と、すみません。人が来たようです。お静かに」

 壁の向こうの声は、そう言うと押し黙った。もう耳を近づけても、なにも聞こえない。扉の開く音さえ、この壁は通さなかった。

 ――尋問だろうか。

 空虚な部屋を見上げて、ユリアンは息を吐く。

 長い平和に浸かった王家は、強硬手段を避けたがっている。今はまだ、尋問だけだ。だがいずれ、遠からず決断を下すときが来るだろう。

 壁向こうは静かだ。この部屋も静かで、なにもない。

 時間だけが、刻一刻と近づいてきている。


 〇


「おい」

「なんですか、もう。寝てたんですよ」

 壁の向こうから、眠たげな声がする。

「よく眠れるな、お前は……」

「魔術師は体が資本ですから。……この部屋の中は、魔封じされちゃってますけど」

 ふうん、とユリアンは答える。たぶん、背後には聞こえていないだろう。壁の薄い場所に、互いに耳を近づけあって、ようやく聞こえるくらいだ。小さなつぶやきなど、この閉じられた部屋の中で消えてしまう。

「お前は本当に魔術師なんだな」

「今さらですか」

「昔から考えると、想像がつかなくてな」

 芋虫だったころ。いつもユリアンの背を追いかけてきた、小さな少女ばかりが思い出される。

「これでも優秀なんですよ」

「知っている」

「まあ、それでもには敵いませんでしたけど。あれは反則ですよ、ほんと」

 乾いた笑い声が聞こえる。彼女が笑っているときは、笑っていないときだとユリアンは知っていた。

「敵わなかったなあ……」

 誰に話しかけるでもなく、壁向こうの声は呟いた。

「ずるいなあ、あの二人。あっちは本物で、私は偽物。でも私だって……私に、もっと強い魔力があれば、私がもっと上手くやっていれば、アロイス様を――」

「やめろ」

 ユリアンは低く彼女の言葉を遮る。

「責めるな。お前はエンデ家の誇る、最高の魔術師だ。だから俺は信頼した」

「アロイス様……」

 事実、彼女の能力はずば抜けていた。モンテナハト家の悲願を達するためには、最高の条件が整っていた。

 誤ったのはユリアンだ。自分の取り巻きの一人であり、駒としか見ていなかったあの女――カミラ・シュトルムを侮っていた。悪評を背負って自滅するだろうと、処刑の判断を下さなかったことが、最初にして最大の失態だった。

 そのせいで、ユリアンも彼女も、いまこの場にいる。モンテナハト家のために尽くした人々も、おそらく同じ状況だろう。

 ――当主でありながら、俺が……。

「アロイス様」

 壁がコツンと叩かれた。思考がさえぎられる。

「アロイス様、好きです」

「………………なんだ、急に」

「いえ、別に。改めて思っただけです」

 壁の裏側で、彼女がくすくすと笑っている。ユリアンは腕を組み、ふん、と息を吐き出した。

「私、だからがんばったんですよ」

「……そうか」

 ユリアンは顔をしかめ、短くそう答える。

 背後のくすくす笑いは、長く止むことはなかった。


 〇


「ウィルマーたちのことは聞いたか?」

 ユリアンが呼びかけると、すぐに返事がある。

「聞きました。……みんな、捕まっちゃったみたいですね」

 見えないと知りつつ、ユリアンは頷く。モーントン領の結末を知っても、自分はこの部屋の中で悔むことしかできない。無力さに両手を握りしめるが、やりきれない思いが増すばかりだった。

「モーントンの大半は、あの男についたそうだ。王家の人間は、どこまで奪っても気が済まないらしい」

 生まれ育った土地も、親しんだ家臣たちも、全部あの男に奪われた。

 アロイスの名も、ユリアンの名も、モンテナハト家当主の座さえ、今は憎い男のものだ。

 怒り任せに手を振り上げるが、下ろす先はどこにもない。

 王位を奪われ、誇りを穢され、沼地へ追放されたのは百年以上も昔の話。だが、沼地を興し、築き上げたものを失ったのは、すべて今。ユリアン自身の責任だ。

「……恨んでいるだろうか」

 力なく手を下ろすと、ユリアンは吐き出した。

「ゲルダも、ウィルマーも、上手くやってくれていた。俺についた者たちは、俺を恨んでいるだろうか」

「アロイス様?」

「お前も……」

 言葉は重たい。だが、出てくることを抑えられなかった。

 下ろした手を、ユリアンは見つめる。無数の期待をかけられたこの手は、どこまでも無力だった。

「俺の傍に来なければ、こんなことにはならなかっただろう。罪人になることもなく、俺の道連れになることもなかった」

 背後は無言だ。今の彼女がなにを考えているのか、ユリアンにはわからない。

 言葉を聞かれたくない。そう思っているのに、口は止まらなかった。

「俺は復讐のために生まれた。入れ替わりは生まれたときから決まっていたことで、こうなることも当然覚悟していた。王家にしたことを後悔もしていない。モンテナハト家は、それ以上のことをされてきたんだ」

 ユリアンは自分の行動を悪いとは思っていない。これまでの幾多の犠牲の上に彼は立っている。すべては王家への復讐のため。逃げることは、モンテナハト家のために築かれた幾多もの屍を裏切るということだ。

「――それでも」

 情けないと思った。確固たる意志があったはずなのに。

「……お前がここにいることを悔いている。血まみれの道に、お前を引きずり込んでしまった――お前を巻き込んでしまった」

 ユリアンに関わらなければ、リーゼロッテは今ごろモーントンにいただろう。彼女の性格だから、もしかしたら『本物』たちに加担していたかもしれない。こちら側にさえいなければ、彼女には今も未来が広がっていた。

 だが、もはや未来はない。ゲルダたちも捕まり、モンテナハト家の策略はすべて知れ渡った。あとはただ、時が来るのを待つだけだ。この首が落ちる時を。

「アロイス様。それ、本気で言ってます?」

「当り前だ」

 ユリアンが答えると、壁の向こうからわざとらしいため息が聞こえてきた。壁越しに聞こえるほどの音だ。らしい、ではなく、わざとだろう。

「いつも言ってるじゃないですか。私、自分で来たくてここに来たんです。アロイス様に会いたいから、魔法の勉強もして、お作法も覚えて」

 芋虫から淑女になって、妹から偽りとはいえ恋人になった。彼女の言葉は、怒っているようで、嬉しそうでもある。

「巻き込まれたんじゃありません。血まみれなんて、はじめから承知の上です。私はあなたの影なんです。アロイス様が苦しいとき、辛いとき、一番近くで支えたいから、自分で望んできたんです」

「……そうだったな」

 ユリアンは目を閉じた。瞼の裏に、壁の向こうにいるはずの彼女の顔が浮かぶ。

 モーントンで出会った、幼い彼女ではない。柔らかい金色の髪、いたずらっぽい赤い瞳。淡いドレスに身を包んだ彼女は、たしかに可憐な乙女だった。

「アロイス様の傍にいられて、私は幸せでした。婚約して、結婚式のためのドレスを選んで、結婚式はできませんでしたけど、衣装合わせで二人並んで、本当に結婚したみたいでした。こんな役割、絶対に他に譲れませんもん! だから、私は後悔していません」

「ああ」

「次は……もし生まれ変わっても会えるなら、次はちゃんと結婚式までやりますよ! 忘れないでくださいね!」

「ああ、ああ。いいだろう、わかった」

「絶対ですよ! 絶対に絶対――――」

「わかったわかった。言う通りにしよう」

 ユリアンは頭に手を当てる。このうるささは、子どものころから変わらない。うんざりするのに、口元は不思議と、笑みを形作っている。

「式は春がいいんだったか? ドレスは絶対白が良くて、白い花だけで花束を作るんだったか。まったく」

 散々つき合わされて、覚えてしまった。浮かれている場合ではないのに、結婚式を待つ彼女は嬉しそうで、にやけた顔ばかり思い出せる。

 でも、もしかしたら――――ユリアン自身も、同じ顔をしていたのかもしれない。

「まあ、生まれ変わる前に地獄行きだろうがな。…………おい?」

 返事がない。いつもうるさいくらいに話しかけてくるくせに、今は静まり返っている。

「いないのか? おい」

 ユリアンの声は、部屋の中にだけ響いて消える。

「――――リーゼロッテ」

 静かだった。

「リーゼロッテ――リズ。……リズ、いないのか? リズ…………?」


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