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ひと月後、王都(1)

 王都の春は、北のモーントン領よりもずっと暖かい。

 季節は晩春に足を踏み入れ、まさに花盛り。澄み渡るほど青い空の下、花は咲き乱れ、鳥は歌い、穏やかな日差しの降り注ぐこの時期は、いつもならユリアン王子の生誕を祝う祭りが開催されているはずだった。

 だが、残念ながら王都はそれどころではない。平和なゾンネリヒト王国を揺るがす謀反の発覚に、首謀者を捕らえた今なお、大わらわだった。

 関係者の洗い出し、過去にさかのぼっての経緯の調査に、謀反による影響の確認。それから、今後の話し合いだ。

 話し合いというのは、もっぱら、今回の謀反における最重要人物の一人、アロイス・モンテナハトのことである。王宮にいたユリアン王子が偽物と発覚し、アロイスが真のユリアンであったと明るみに出た今、彼の立場は大変に中途半端だ。

 アロイス自身は、『アロイス』としてモーントン領に戻りたがっているが、彼を『ユリアン』として引き留める者も多い。第一王子であるエッカルトは、アロイスの意思を尊重しつつも、国事などの要所では『ユリアン』であることを望んでいる。無数の政治的意図やらなにやらが絡んできて、議論は遅々として進まない。

 ――でも、まあ、気のすむまで話し合うしかないのよね。

 カミラは慣れない客間を見回し、息を吐いた。

 中庭を見通せる南向きのこの部屋は、王宮でも最上級の客間である。モーントン領都のモンテナハト邸も立派だったが、さすがに比べるべくもない。部屋の広さ、調度の上等さ、腰かけた椅子の柔らかさ。なにもかもが、カミラには落ち着かなかった。

「すみません、カミラさん。付き合わせてしまって」

 カミラと向かい合って座るアロイスが、申し訳なさそうに言った。

「モーントン領で落ち着く暇もなく……お疲れでしょう?」

「仕方ありませんわ。エッカルト殿下のご要望なんですから」

 渋い顔で言いながら、カミラはここに来るまでの経緯を思い返す。


 王都での騒動の後、カミラたちがモーントン領に戻ったのは、今からひと月ほど前だ。

 反乱の鎮圧のため、大急ぎで戻ったモーントンは、しかしすでに決着がついていた。領民の多くがアロイスの側に付き、孤立したファルシュは降参。反乱を主導していた、モンテナハト家の元家令、ヴィルマーも捕らえられた後だった。

 アロイスの護衛にと、エッカルトがつけてくれた兵たちは、その役割を果たすことなく、王都へ逆戻りだ。ここまでは良い。

 功労者へのねぎらいと、事件の前後関係の洗い出し。領地の被害状況の確認に、アロイスが動き出した矢先。早々に返した兵たちによって、モーントン領の反乱が鎮圧されたことを知ったエッカルトが、アロイスを王都に呼んでしまったのだ。

 カミラとしても、エッカルトの言い分はわかる。王都は王都で、アロイスは最重要人物だ。彼を交えた話し合いが早急に必要である。

 そして、モーントン領には緊急性がなくなった。状況確認は、アロイスでなくともできることだ。それに、即座に戻れというのではなく、ひと月ほどの猶予をくれたのは、彼なりに気を遣ってくれてのことだろう。

 ただ、やはり落ち着く時間はなかった。アロイスは被害状況の確認も書面上で済ませ、今後のことを簡単に指示だしすると、あとはばたばたと王都へ舞い戻ることになってしまったのだ――――カミラを連れて。


「兄上は、カミラさんのことを気にかけていらっしゃったので、様子を窺いたかったのだと思います。今回の一番の被害者は、あなたですからね」

「一番というなら、アロイス様だと思いますけど」

 言いつつも、まあ順位の問題ではないのだろう、とカミラは思う。今回の事件は、アロイスとカミラの周囲をひっくり返すには、十分すぎた。

 国中の嫌われ者だったカミラは、今は悲劇の主人公のように扱われている。新聞記事に自分の名前が載るたび、カミラはうんざりとしてしまう。一年前と今とで、リーゼロッテとの立場が真逆になっているのだ。

 アロイスもそうだ。『沼地のヒキガエル』として忌み嫌われていたころは、誰も彼に近寄ろうとはしなかったのに、今は連日人が押しかけてくる。すっかり肉が落ち、王族らしい顔立ちが露わになると、令嬢たちも色めき立つ。アロイスとカミラが、未だ結婚していないことが知れ渡ると、じゃあうちの娘を、と差し出す者まで現れ出した。

 ――みんな、現金すぎるわ!

 カミラだって、昔はアロイスのことを避けていたし、絶対に結婚なんてしたくないと思っていた。でもそんなことは棚上げである。腹が立つものは、立つのだ。

 ――そりゃあ、お綺麗になられたと思うけど。

 人並みにまで痩せたアロイスは、カミラの目から見ても美男子だ。王族らしい、整っていて精悍な顔立ち。魔力を帯びた赤い瞳も、今は隠さなくなっていた。

 すらりと伸びた背は高い。カミラが見上げてしまうほどだ。でも、決して威圧的ではない。柔らかく細められた赤い目が、優しい印象を与えてくれる。王都へ来てからは、薬がなくとも肌荒れが引いており、生気ある滑らかな地肌が見える――――が。

「…………アロイス様」

 カミラは目を眇める。視線はアロイスの顔に向けられたままだ。

「アロイス様こそ、お疲れではありません? 顔色が優れないみたいですが」

 肌の生気に、今は陰りが見える。カミラの前では笑みを崩さないが、視線も下に向けられがちだ。

 しかし、アロイスは首を振る。

「私は大丈夫ですよ」

「大丈夫ってなんですか」

 カミラは眉間にしわを寄せた。アロイスのこういう性質は、今になっても変わらない。他人には気を遣うが、自分のことは伏せてしまう。

「きちんと寝てます? お食事とってます? 逆に、また食べ過ぎたりしていません?」

「ああ、いえ、いえ」

 問い詰めるカミラに、アロイスは慌てた様子で首を振る。

「食事も睡眠も問題ありません。兄上が良く取り計らってくださっているので」

 む、とカミラは口を結ぶ。アロイスの言う通り、エッカルトはカミラたちを相当厚遇してくれている。いや、カミラたち、というよりも、アロイスに対してと言った方がいい。

 ずっと虐げられてきた弟に、なにか思うことがあるのだろう。エッカルトは常にアロイスに気を遣い、王都での生活に不自由がないよう、注意を払っていた。カミラも丁寧に扱われていたが、その比重は言うべくもない。

 無理もないことだ。とは、カミラもわかっている。ただ、連日の会議や挨拶回りの隙間時間も、エッカルトに呼び出されるアロイスを見ると、面白い気持ちにはなれない。二人きりで話したいから、とカミラだけ取り残されることもしばしばだ。

 二人が、どんな会話をしているのかは、兄弟のないカミラには想像もつかない。テレーゼとは、楽しい話なんてしたこともなかった。

 エッカルトなら、テレーゼのような物言いをアロイスにはしないだろう。エッカルト自身が気を遣う人だ。どちらかと言えば、堅苦しくて、息詰まるような話をする。

 ――もしかして。

「アロイス様、気を遣い過ぎていません?」

 カミラが尋ねると、アロイスは無意識にか目を逸らした。でも、カミラは逸らさない。目を逸らしたアロイスを睨み続ける。

 そのまま、しばらく一方的な睨みあいを続けた後、アロイスは観念したように息を吐き出した。

「………………気を、遣い過ぎているわけではないのですが」

 アロイスの視線は、ゆっくりと部屋をめぐる。贅沢を排するモーントンとは異なる、装飾の多い華美で豪華な部屋だ。

「やはり、慣れない場所ですから。人と接することも多く、若干の息苦しさがあります」

「なるほど」

「気分転換ができればいいのですけどね。事件が広まりすぎて、外を歩けるような状況でもありませんし」

 今のアロイスは、王都で最も注目されている人物だ。貴族に会えばお近づきにと媚を売られ、記者に会えば「一言お願いします」と無遠慮に呼び止められ、ご令嬢には遠巻きにきゃあきゃあ騒がれる。王家の特徴を持つアロイスの銀髪は隠しようもなく、いつも人の注目を集めてしまう。

 まさか、こんな日が来るとはアロイスも思っていなかっただろう。これまでは、ずっと遠巻きにされ、顔を向ければ目を背けられる立場だったのだ。

「……まあ、気疲れみたいなものです。そのうち慣れますよ」

 アロイスは安心させるように、カミラに微笑みかける。だが、カミラの表情は変わらない。渋い顔でアロイスを睨んだままだ。

 ――に、そんな顔をするなんて……!

「アロイス様、今日のこの後のご予定は?」

「一応、夕食まではお暇をいただいていますが」

 この『一応』というのも問題だ。アロイスの空き時間は、決して自由時間ではない。エッカルトや他の貴族たちは、アロイスの隙間時間をいつも狙っているのだ。部屋にいては、いつ何時、誰が押しかけて来るかもわからない。

 かといって、外にも出れば余計に人の目に付いてしまう。王宮を出入りする貴族ならまだしも、市井にいる人間の中には、信用ならないものも紛れ込んでいるのだ。

 ――でも、こんなに天気がいいのよ。

 春の日差しは燦々として、柔らかい色の花が町に咲く。ブルーメほどではないが、王都も花々が飾っている。外の空気は、モーントンよりも暖かく、瘴気を含まない風は、ただ心地が良い。

 ――それに…………。

 ぐ、と手のひらを握りしめると、カミラは勢いよく立ち上がった。

「アロイス様、ならば『気分転換』に参りましょう!」

「……はい?」

「準備をしましょう。すぐにディアナを呼んできます!」

 ディアナは、王都行きが決まったとき、一緒に付いてきてもらっていた。ニコルも行きたいと主張していたが、王都なら慣れたディアナの方がいいだろうということで、我慢してもらったのだ。

 そして、ニコルには悪いけれど、今回はディアナで大正解だ。なにせ彼女は、ニコルと違って『悪い』なのだから。

「お連れしたい場所がありますので。ここで少しお待ちください!」

 呆けるアロイスを一人残し、カミラは部屋を飛び出した。


 〇


 少しして、カミラと共にディアナがアロイスの待つ部屋に戻ってきた。

 部屋を思い切り開いたカミラの後ろで、彼女は大きな荷物を抱えている。

 なんだろう、とよくよく見れば、それは大量の服だ。女性物から男性物まで、ひとまとめにして抱きかかえている。

「話は聞きましたわ!」

 ディアナの声は快活だ。元より快活な女性だが、アロイスには、いつもよりも生き生きしているように見えた。

「久々の『気分転換』ね! 私に任せなさい」

 アロイスは、思わず身をのけぞらせる。

 蛇に睨まれたカエルのような気分だった。

 これから自分の身に、なにが起こると言うのだろうか。


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