終章
「――――お、帰ってきた」
早朝。領都にあるモンテナハト邸の窓から、見覚えのない馬車が向かってくるのが見えた。
領境で報告を受けた通り。王家の紋のある幌馬車だ。
クラウスのつぶやきに、たまたま傍にいたニコルとギュンターが顔を上げる。競うように窓辺に向かい、外に身を乗り出した。
「本当だ! おーい!!」
ギュンターが手を振るが、まだ遠い馬車はもちろん気が付かない。
「奥様! アロイス様――――!!」
ニコルも隣で声を上げる。アホな二人だと嘆息していると、声につられて他の使用人までそわそわしだした。
屋敷全体が、にわかに活気づく。
〇
瘴気を含んだ南風の中、カミラとアロイスは屋敷の人々に出迎えられた。
敬礼する兵たちに、無事を喜ぶ従僕たち。そわそわしているメイドに、ご馳走を作ると息巻く料理人。人々の顔は明るい。
「奥様!」
取り巻く人の輪からニコルが駆け出て、馬車を降りたカミラに近付いた。
「ご、ご無事でなによりです……!!」
半泣きのニコルに、カミラは言葉を返せなかった。慰めがわりに頭を撫でつつ、周囲の顔ぶれを見回す。
カミラが出たときは、誰も彼もが神妙な顔をしていたはずなのに。想像していた領都の姿と、ずいぶんと違う。
「反乱は? 戦いは? マイヤーハイム家とエンデ家の謀反は!?」
王都で死ぬ思いをしていたのに、拍子抜けである。裏があるのではないかとさえ思えてくる。
「あー、それ。なしなし。おしまい!」
一人青ざめるカミラに、軽薄な声がかけられる。聞き覚えのあるその響きに、カミラはぎょっとした。
「クラウス! なんでここに!?」
レルリヒ家は、モンテナハト家に敵対していたはずだ。はっとして周囲を見回せば、兵の中にも見知った顔がいる。栗毛色の髪の、体格のいい二人の青年は――。
「テオ! レオン! あなたたちアインストはいいの!?」
カミラの視線に、レオンが生真面目に会釈をし、テオがいたずらっぽく片目を閉じた。
「どういうこと……」
「自分たちの人望に感謝するんだな。お前らはモーントンの半分以上を味方につけ、孤立したファルシュが降参した。それが、今朝のこと」
口を開いたまま、カミラは息だけを吐き出した。唐突のことに、頭の整理が追い付かない。三家が敵に回っていたはずなのに、いつの間に構図が変わっていたのだろう。
それに、ファルシュの降参。ちょうどカミラたちが戻るのと同じころとは、どういう偶然だろうか。
――いや。
偶然ではないのか。カミラが王都から戻るのと同じころ、本物のモンテナハト卿の結末がファルシュに知られたのだろう。彼らは主家を失い、戦う理由を失くしてしまったのだ。
「細けえことはいいだろうが! 祝勝会だ! いいときに戻ってきた!」
クラウスを押しのけ、ギュンターが浮かれた顔で割り込んでくる。腕によりをかけると言いながら、たくましい腕をめくりあげた。
それから、ふとカミラの後ろに目をやる。
「なんだ、見たことのない姉ちゃんがいるな?」
ギュンターが見ているのは、今度こそカミラとともに来てくれたディアナだ。興味深そうに窺う彼女の姿に、ギュンターは少しばかり呆けたようだった。
「美人だなあ」
「見る目あるわ」
あはは、と笑うと、彼女は怖じる様子もなく前に出て、カミラの肩を叩いた。
「こんなところで暮らすことができたのね」
ディアナは横目でカミラを見やると、微かにその目を細めた。にやりとした笑みは、しかしすぐにカミラから逸れる。カミラを囲むギュンターやクラウスを見て、ニコルに目を向ければ、彼女は怯えるようにびくりと跳ねた。
「ど、どなたですか、あなた」
「あたしはディアナ。カミラの侍女っぽいことをしているわ」
「侍女!? お、奥様の侍女は私です!」
「知っているわ。不器用な子犬っぽい子がいるって、さんざん聞いているもの!」
「犬――――!?」
悲鳴じみたニコルの声。少し恨めしそうな顔。
クラウスがけらけら笑っている。ギュンターが苦笑しながら不得手そうに慰めて、それを見て「似合わない」厨房の仲間たちがまた笑う。それがまわりに広がって、いつの間にか妙に賑やかになった。
カミラはそれを、一歩離れて見つめる。
目に映る景色は、少し不思議だった。ブラント家のギュンター、レルリヒ家のクラウス、エンデ家のニコルに、マイヤーハイム家のテオとレオン。それに、領都の人たち。モーントン中の人たちがここにいる。百年以上が過ぎた今も、モンテナハト家の下に集まってくれている。
今この場にいなくとも、力を尽くしてくれた人々が、もっとたくさんいるのだろう。それが不思議で――――嬉しかった。
「カミラさん」
いつの間にか、カミラの傍にアロイスが並んだ。彼もまた、人々の騒がしさに入らずに、カミラと共に眺めている。
「カミラさん。私はこの土地で、大切なものが増えました。たくさんの人に触れ、友ができ、私を慕ってくれる人々を得ました」
「アロイス様」
「帰りを守ってくれる者がいました。帰りを待ってくれる者がいました。あなたに出会い、あなたを知りました。――――だからなんですね」
アロイスは前を向いたまま、目を細めた。肌に触れる空気は、王都に比べてまだ冷たい。冬は雪に閉ざされて、年中瘴気の渦巻く地。風が吹くたびに、アロイスの肌はちくりと痛む。
それすらも――。
「私は愛しい。あなたが。あなたのいる、この場所が」
カミラはアロイスを見上げた。アロイスもカミラを見やる。どちらともなく、手がつながれる。
なにもかもが解決したわけではない。領地にも犠牲が出た。アロイスに反発するものも、まだ少なくはないだろう。
だけど、アロイスの大きな手は。カミラの迷わない手は。きっとこの先、どんなことでも乗り越えていける。
「愛するものを、守らせてください。カミラさん――――あなたの傍で、ずっと」
風が吹き、雲が流れる。笑いさざめく声。朝の光が眩しい。風の中できらめいている。
影であったモーントンを照らす、夜明けの光だ。
おわり
ここまでお読みいただきありがとうございました。
思いがけず多くの方に読んでいただけて、たいへん光栄でした。
番外編や後日談など、いつか書きたいなあとは思うのですが、今作で真っ当な人間たちを書きすぎたせいか、今は頭のおかしな話が書きたくて仕方ありません。