6-13
リーゼロッテたちが去り、兵たちも引いた裁判所。
エッカルトは裁判の終わりを告げ、人々に解散を命じた。
記者たちの半数は生き生きとした顔で飛び出し、半数はまだ何かがあることを期待して残っている。
観衆の興奮は冷めない。人々の目は、まだ法廷の中央。裁判をひっくり返したカミラとアロイスに向いている。
「ユリアン、カミラ嬢、お前たちももう退け。ここでは落ち着かないだろう」
エッカルトがカミラたちの元まで歩み寄り、気遣うように言った。
「部屋を用意しよう。積もる話もある。聞かねばならないこともある。だがその前に、少し休むがいい」
アロイスの顔には疲労がある。モーントンの反乱から今まで、ずっと気を張り詰め続けてきたのだ。
モーントンの反乱はエッカルトも知っている。そこに至るまで、この不遇の弟がどれほど苦労してきたのか。あまりにも痛ましい。
「兄上」
エッカルトの労わりの視線に、アロイスが答えた。少し言葉をためらった後、一歩足を引き、首を横に振る。
「申し訳ありません。私はこれからまた、すぐにモーントンに戻らなくてはなりません」
「ユリアン?」
「王都へ来たのは、ただカミラさんを迎えるためです。ろくな挨拶もできない無礼をお許しください。積もる話は、またいずれ」
目礼するアロイスに、エッカルトは眉をしかめた。腑に落ちないと言いたげな顔で、彼はアロイスとカミラを見やる。
「戻る…………必要があるのか?」
エッカルトの言葉に、アロイスは苦笑めいた表情を浮かべる。
モーントンの反乱は、アロイスを嵌めるために起こされたものだ。あわよくばアロイスを亡き者に、そうでなくとも、その心を折ることが目的だろう。
アロイスの魔力は、アロイス自身が封じたもの。それは彼のくじけた心の象徴。後悔と罪悪感の表れである。
彼らはアロイスの魔力を取り戻させるわけにはいかなかった。主人である先代モンテナハト卿が、命を懸けた記憶の封印。それを凌駕するだけの力が、アロイスの中にあるからだ。
だからゲルダは、あの機にアロイスに毒を盛らねばならなかった。だからカミラと引き離さなければならなかった。守っていたはずの領民による、反乱という裏切りをする必要があった。
モーントンのすべては、アロイスへの悪意に満ちていた。人に忌み嫌われる容貌を作り出し、貴族たちは言いがかりめいた理屈でアロイスを責め、力ある使用人たちは慇懃にアロイスを抑え込んだ。
辛く苦しく、今にして思えば理不尽な仕打ちだった。
「お前はモンテナハト家の人間ではない。あの土地に、お前の責任はないだろう。本物のモンテナハト卿を捕らえた今、反乱もじきに沈静化するはずだ」
アロイスの受けてきた苦痛の一端を、エッカルトも想像はできる。あの土地がモンテナハト家の支配下であれば、今アロイスが戻ったところで、誰も歓迎はするまい。むしろ、主家を捕らえたことへの逆恨みで、危機に晒されかねないのだ。
「カミラ嬢も連れては、余計に危険だ。様子が気になるなら、こちらから人をやる。わざわざお前が戻る必要はないだろう?」
アロイスはもう一度首を振る。
エッカルトがアロイスを気遣ってくれているのはわかる。エッカルトの言う通り、反乱ももう長くはないだろう。もしかしたら、アロイスが急ぎ戻る必要はないのかもしれない。
それでも、アロイスには戻る理由がある。
「あの土地には、私のために戦ってくれている者たちがいます」
はじめからアロイスの味方をしてくれていた、グレンツェの民。不利を承知でアロイスに付くと決めた、クラウスとブルーメの人々。反乱の首謀、マイヤーハイム家の配下でありながら、その意に背いたアインストの決断。
そして、ずっと傍で支えてくれた領都の人々がいる。
「危機の中、彼らは私を王都へ送り出してくれました」
アロイスがカミラのために王都に行くと決めたとき、領都の人々はアロイスを引き留めなかった。
クラウスはアロイスの帰る場所を守ると言った。
ギュンターが任せろと胸を張り、料理人たちがカミラのいない厨房を『物足りない』と笑った。
ニコルがカミラの帰還をアロイスに託し、使用人たちが旅立ちを見送った。
去り際のアロイスに、領外へ出るまで護衛をしていた兵たちが、敬礼をして言った。
――――無事のお戻りを、お待ちしています。
「私は、この身の半分をアロイスとして生きました」
エッカルトに向けるアロイスの表情は穏やかだ。だけどそこには、確かな決意がある。
「モーントンの領主、アロイス・モンテナハト。あの地には、私を領主として認めてくれる人々がいます」
クラウスは、アロイスの留守を預かる。
彼はアロイスに、行って、『帰ってこい』と言ったのだ。
「私には、帰りを待つ者たちがいます。私の帰る場所を、守る者たちがいます。私が守るべき地があります」
誰もが忌み嫌う北の地。罪人の土地モーントン。
瘴気の立ち込める沼地こそ、アロイスの帰るべき場所だった。
「私は『ユリアン』には戻れません。『アロイス』の名を捨てるには、あまりに多くを受け取り過ぎてしまいました」
「ユリアン……」
エッカルトが嘆息する。それから、悩むように少し口をつぐんだ。
「……いいだろう」
しばらくの間のあと、彼は眉間にしわを寄せ、硬質な顔でアロイス見据えた。
「戻るための馬車を用意しよう。護衛として何人か兵をやる。お前の領地だ。片を付けてこい、モンテナハト卿」
エッカルトの言葉には、アロイスへの誠実さが滲んでいた。アロイスの意をくみ、認めてくれている。
真面目で、実直で、遊びがない。それでいて真摯な、アロイスによく似た男だ。
「殿下――――ありがとうございます」
「……落ち着いたらまた、王都に来ることを約束してくれ。今はそれでいい」
アロイスの礼に、エッカルトは少しだけ口の端を曲げると、それだけを言い残し、馬車と兵の手配のために法廷を出て行った。
エッカルトが去った後。カミラはようやくというように息を吐くと、アロイスの胸倉をつかむ勢いで問い詰めた。
「――やっぱり! まだあっちでは戦いが続いているんですね!?」
「は、はい」
戸惑うアロイスをさておき、カミラは青ざめる。カミラには、アロイスがどうして王都まで来たかの事情なんて知らないのだ。
「アロイス様がここにいていいんですか! みんな無事です!? 今、どうなっています!?」
カミラはモーントンのために、一人王都へ来た。それなのに、当のモーントンになにかあっては立つ瀬がない。
「お屋敷の人たちは!? グレンツェは、アインストは、ブルーメは!?」
ニコルやギュンター。腹の立つ厨房の料理人ども。カミラが訪れ、出会ってきた町の人々。みんな無事だろうか。
エッカルトのいる間、口を挟む隙が無かった分だけカミラは饒舌だった。あるいは、アロイスがいて安堵しているのかもしれない。張り詰めていた不安が、口をついて出てくる。
「すぐに戻らないと……! 留守中になにかあったら、後悔だってしきれないわ!」
「カミラさん」
勢いづいたカミラを、アロイスが制する。はっとするような声音には、カミラへの信頼と、微かな不安が混じっていた。
「カミラさん。また危険の中にお連れすることになりますが、よろしいでしょうか」
カミラを取り戻すために、王都まで来た。だけどそれは、カミラの身を守るためだ。
真実が暴かれた今、王都に危機はない。エッカルトに頼めば、きっとカミラを丁寧に保護してくれるだろう。
モーントンへ連れ戻すより、こちらにいた方が安全かもしれない。
――そんなアロイスのかすかな不安を、間髪入れないカミラの言葉が叩き崩す。
「当り前です!」
ぎゅっと両手を握り合わせ、断ることなど微塵も考えずにカミラは言った。
その力強さに、アロイスはなぜだか笑ってしまう。慎重で、考え過ぎで、いつも一歩ためらうアロイスと、彼女は正反対だ。
だからこそ、心地よいのかもしれない。だからこそ、彼女はアロイスを変えられたのかもしれない。
だからこそ、こんなに心惹かれるのかもしれない。
「帰りましょう、カミラさん。あなたの帰りを、みんな待っています」
アロイスは目を細め、カミラに向けて手を差し出した。
カミラもためらわず、差し出された手に自身の手を伸ばす。
だが、手を重ねるよりも先に、まだ人であふれる傍聴席から声が上がった。
「待って!」
悲鳴にも似た声に、カミラは顔を上げる。
「渡さないわ! お姉さまの手を取るのは、わたし。わたしが、お姉さまを救うのよ!」
その場の視線が、一斉に彼女に向かう。
視線の先には、傍聴席から人をかき分け、カミラの元へ駆けつける、痛ましいほど必死なテレーゼの姿があった。