6-12
――――なぜ。
なぜ、王族であった初代モンテナハト卿は罪人の地へ行ったのか。
なぜ、モーントンの貴族家は近親婚を繰り返したのか。
なぜ、あの地は喜びを禁じ、ただ耐え忍ぶことだけを許したのか。
王家の影。長い歴史。無数の伝統。不可解なしきたり。
真相は知らずとも、想像には難くない。
〇
王族が罪人として裁かれるとき。
その多くに、政治的な意図が隠されている。彼は兄弟での政争に負け、無実のまま罪人の土地へ流された。彼を慕う四つの家は、その無実を信じ、瘴気の立ち込める忌むべき沼地まで従った。
そこから、モンテナハト家は王家の影となる。
かつて、まだゾンネリヒトが他国との戦争を繰り返してきたころ。国境にあるモーントンは常に他国の侵略に晒されていた。グレンツェにある砦。アインストの兵士たち。戦うために魔法研究を重ねたエンデ家。ゾンネリヒトの壁となり、戦争を真正面から受け止めたモーントンは、王家にはできない裏の仕事を重ねてきた。
残酷な実験をした。悲惨な戦地となった。そしてモンテナハト家は人前から隠され、王家の身代わりとなった。
だが、それが人々に語られることはない。王家の闇は秘匿され、影は影のまま、戦争の終結と共にその役割を終えた。
そして、モーントンには傷跡だけが残る。
光になりたいと願うようになったのは、いつのころからだろう。
モンテナハト家を中心とする貴族家は、これ以上罪人の血を入れることを禁じた。
自らの潔白の証明として、罪人と交わらず、その血筋を保ち続けてきた。
不当な追放を認めず、この地を終着点とはしなかった。ここは本来いるべき場所ではない。耐えるだけの土地。罪人の地で満ち足りることのないように、娯楽を禁じ、欲を封じて自らを律してきた。この先、モンテナハト家があるべき場所に帰るまで、彼らには喜びも楽しみも必要ない。
ただ長い年月、機を待ち続けた。
百年を経て、王家に一人の王子が生まれる。誰からも秘匿され、誰にも知られぬ不遇の王子。
同じ年、モンテナハト家にも男児が生まれた。
待ちわびた時がきた。
今こそ、光と影が入れ替わる時。
第二妃の死後、王子は真の姿を知られぬままに、モンテナハト家の男児とすり替えられた。
そうして、男児は魔法で髪と目の色を変え、ユリアン王子となる。
王子は北の地で、記憶を封じられて生きていく。
真実を知るのはモーントンの貴族家のごく一部。そしてモンテナハト家の使用人の内、特に忠実な者たちだけだ。
あとの者はなにも知らない。なにも知らないからこそ、思い通りに動かせる。
すべては計画通りだった。
転機は二つ。
一つはモンテナハト卿の死。
モンテナハト家は王家の傍流だけあって、強い魔力を持つ一族だ。モーントン開拓の黎明期に混ざった罪人の血や、他家の血をあわせたことで、魔力量は多少減ったが、それでも十分な量だった。
だが、そんな彼らの力でも、王子の持つ魔力には及ばない。先代モンテナハト公爵夫妻二人の力を合わせても、王子の記憶を封じきることはできなかった。
その結果が、魔力の暴発事故だった。夫妻の魔法が王子の反発を受けて跳ね返り、その命を奪ったのだ。
幸いなことに、王子はその事件以降、自ら魔力を封じるようになった。夫妻がかけた最後の魔法は、命と引き換えに最高の結果を生み出した。
もう一つは、入れ替えられた『ユリアン王子』の成長だ。
幼いころは髪と目の色だけで誤魔化せた容貌も、成長するにつれて、隠しきれない先代モンテナハト卿の面差しを抱くようになる。人前にめったに姿を見せないモンテナハト家とはいえ、王家には知られた顔だ。偽らなければならない。
容姿を変える魔法は、一部を誤魔化すだけの魔法とは、使用する魔力量が桁違いだった。長らく、王子一人の魔力と、モーントンから支援される魔石で繋いできたが、それもいつしか限界を迎える。
姿を保ちきれなくなるたび、王子は王宮の影でその魔法を解いた。出来得る限り人に見られないようにと注意をしてきたが、その頻度が高まれば、自然と誰かが気付き始める。
青白い顔。死んだモンテナハト卿の姿。突如現れては消える、影のような存在。王宮の幽霊の噂が頻繁に聞かれるようになったのは、この時期からだった。
しばらくして、エンデ家から最も優れた魔術師が、王子の元へ寄越された。
王子の不足した魔力を補うため、不自然なく、常に王子の傍にいるために選び出された人間。それが、リーゼロッテ・エンデという存在だ。
二人が傍にいるために、作り出された偽りの恋物語。
カミラを巻き込んだその嘘が、最初の綻びだった。
〇
「卿。お前が――――」
エッカルトは息を呑み、アロイスを見つめた。その顔に、今は亡き第二妃の面影を見る。
「お前が、本物のユリアンなんだな」
アロイスに語る言葉は必要なかった。なにより、目に映るすべてが真実を告げている。
姿を変えた王子。王家の特徴を示す、アロイス・モンテナハトという男。魔法の気配が残る中、誰もが言葉を失った。
アロイスはエッカルトを見上げた。その目が、懐かしさに細められる。
エッカルトは弟の本当の姿を知らないが、アロイスは彼を知っている。閉じ込められた弟に同情し、母の目を盗んで会いに来てくれた。優しく偉大な腹違いの兄を覚えている。
「兄上。お久しぶりです」
「ユリアン……!」
エッカルトは席を立ち、アロイスの元へ駆け寄ろうと身を乗り出す。
が、その前に静止の声が上がった。
「お、お待ちください!」
焦燥を孕んだ声は、『ユリアン王子』のものだった。彼は手で顔を隠しつつ、エッカルトに呼びかける。
「兄上、よりによってあの男を『ユリアン』ですって? 今の魔法で、目が眩まされたのですか!」
顔を隠すのは、その表情を隠すためかもしれない。抑えきれない情動が、彼の言葉の端々に滲んでいた。
「あの胡乱な魔法が、私の姿を変えたのです! 王族に魔法をかける不遜な男を、まさか誰も信じるはずがない!」
「…………ユリアン――いや、モンテナハト卿」
エッカルトは『ユリアン王子』に視線を向けた。その表情は険しく、確信に満ちている。
「今の魔法を知らぬとは言わせぬ」
カミラが使った解呪の魔法。それは、扱える者は少なくとも、見たことのある人間は少なくない。魔法に精通したものであれば、一目で理解してしまう程度にはよく知られた――。
「あれは紛れもなく、王家の術式で紡がれた解呪の魔法だ」
エッカルトのみではない。この場にいる中にも、あの魔法がなにかを知る者はいるだろう。
秘匿されぬ魔法であるからこそ、真実を暴くことができる。彼の姿が偽りであったことの、ゆるぎない証拠であった。
『ユリアン王子』は唇を噛む。この場を逃れる言葉を探し、視線をさまよわせる。
「で、ですが……!」
彼の目が群衆を見る。
好奇にまみれた無数の目。今まで彼が利用し続けてきた、多くの人間の無責任な関心。浮足立つ記者たちに、正義感めいた嫌悪の表情。
「ですが――――」
一挙手一投足、人の目が見張る。好意的な目は少ない。失望、同情、義憤。ユリアン王子に与していた者たちの落胆。それから、吐き気を催す好奇心。カミラにずっと与えられてきたものたち。
「……ぐ」
それ以上言葉は出ない。
口を開いたまま、彼は喘ぐように息を吐いた。
「――――アロイス様」
喘ぐ彼の手を、リーゼロッテが握りしめた。すべてを悟った諦念の瞳で、彼女は『ユリアン王子』に体を寄せる。
「力及ばず、申し訳ありません。あなたのお力になりたかったのに」
「……リーゼロッテ」
「そんな顔をなさらないで。不肖な魔術師ではありますが、私は最期までお傍にいます」
手で隠した彼の表情は、リーゼロッテにしか見えない。リーゼロッテだけが知る本当の顔を見て、彼女は微笑んだ。
それが彼の、無駄なあがきを止める一手。『ユリアン王子』はリーゼロッテの体を抱き、静かに目を閉じた。
〇
『ユリアン王子』とリーゼロッテ、ゲルダ。三人は無抵抗のまま、王家の兵に捕らえられた。
そのまま法廷を去ろうというとき。
カミラとすれ違う瞬間、リーゼロッテが足を止めた。
「――きっと、あなたたちのことを『運命』って言うのね」
リーゼロッテは笑うようにそう言った。運命。それはユリアン王子とリーゼロッテの恋を示す言葉だ。今となっては、ひどい皮肉めいている。
「あなたを沼地に送ると決めたのは私。だけどなんとなく、こうなる気はしていたわ」
自嘲気味に語るリーゼロッテの腕を、早くしろ、と言いたげに兵が引く。だけどリーゼロッテは動かない。長年の友人に接するように、彼女はカミラに語り掛けた。
「どうして私が、あなたをユリアン様――本物のユリアン様の元へ送ったかわかる?」
カミラは首を横に振る。ずっと、いやがらせだと思っていた。醜い男へ嫁ぐカミラを、笑い者にするつもりだと思っていた。
でも、今は違う気がしている。
「私も、アロイス様が好きだったから」
リーゼロッテは目を細めた。苦しげで悲しげ、親しみがある。胸のいたくなるような笑みだった。
「私たち、光と影みたいね。だけどあなたはユリアン様を変えて、私はアロイス様を変えなかった。それが光と影の差なのね」
『アロイス』と『ユリアン』。二人の進む道は、どちらも茨の邪道だった。カミラはその手を引いて、時にはその頬を叩いてでも正しい道に進ませて、リーゼロッテは邪道を進む彼のため、茨をはらうことを選んだ。
どちらも表裏。光と影。
リーゼロッテもカミラも変わらない。ただ恋をした。その心を支え、力を尽くしたかっただけ。
「悔しいけれど、仕方ないわ。私の恋も、運命だったもの」
兵がリーゼロッテの肩をつかむ。罪を暴いたカミラを恨み、無体をするのではないかと警戒しているのだ。強引にでも連れて行こうとする。
兵の力に、リーゼロッテは敵わない。彼女はカミラから引きはがされていく。
「私、あなたと友だちになりたかった。恋の話、いっぱいしたかった。あなたって、馬鹿で単純で、すごく一途で、嫌いじゃなかったわ」
離れていくリーゼロッテは笑っていた。無数の感情の宿る笑顔の中に、隠された真意はわからない。
だけどカミラには、本心なのではないかと思えた。
「さよなら!」
カミラが聞いた彼女の最後の声は、明るいものだった。
ユリアン王子を奪ったリーゼロッテが憎かった。
自分を嵌めたことを恨んでいた。
狡猾な癖に弱いふりをして、周りを味方に付けるリーゼロッテのやり口に腹が立った。
だけどなぜだろう。きっと――――きっとカミラもまた、リーゼロッテのことを嫌いではなかった。
同じように誰かを好きになって、同じように追いかけて、どんな手だって使ってみせた。諦めなかった。悔いなかった。その背中だけを見ていた。
二人はもしかしたら、よく似ていたのかもしれない。
「…………さようなら」
かすれた声で、カミラは去っていくリーゼロッテの背に呼びかける。
それは永遠の別れにはふわさしくない、簡素な言葉だった。だけどこれ以外に、言うべき言葉が見つからない。
二人の立場が違えば。この時代ではないならば。別の形で会えたなら。意味ない『もしかしたら』の感情。
短い音に含まれた、言葉にならないカミラの心に、リーゼロッテは振り向かないまま小さく手を振った。




