6-11
――他に異論はあるまいな?
ユリアン王子の言葉に、法廷は静まり返る。
異論を上げるものはいない。シュトルム伯爵は苦々しい諦念をカミラに向け、テレーゼが期待をしている。ディアナはなにもできないもどかしさに顔をゆがめ、エッカルト王子が唇を噛む。
悪役カミラの処断の瞬間に、人々は興奮し、覗き見する記者たちが目を輝かせる。
判決をくだすため、裁判官が口を開く。そのとき。
「――――待て」
静かな法廷に、低い声が響いた。
「異論なら、ここにある」
カミラの背後で、ざわめきが広まった。
満員の人々が、割り込んできた声に目を向ける。法廷の中心へ向かう声の主に、驚きのまま道を開けた。
乱れた白銀の髪がなびく。男の背の高さが、その髪色をいっそう目立たせた。端正な横顔は少しばかり汗ばんでいて、呼吸は荒い。急ぎ駆けつけてきたのだろうか。顔には疲れがにじんでいるが、澄んだ赤い瞳の力は失せず、人の心を惹きつけた。
突然の乱入者に、誰も彼もが目を奪われた。その美貌以上に、男には視線を集める理由がある。
――あの男は誰だ。
男の容貌は、王家の特徴を示している。ユリアン王子でもエッカルトでもない第三の王族に、無遠慮な驚愕と好奇が集まるが、男はそんな人々に見向きもしない。迷いない足で、ただまっすぐに前を行く。
近づいてくる男の姿に、ユリアン王子が目を見開いた。リーゼロッテが視線を伏せ、ゲルダが顔を引きつらせる。エッカルトがはっとしたように身を乗り出し――――。
カミラは振り返った。
こちらへまっすぐに歩いてくる男の姿に、息が止まる。
幻だろうか。なぜここに。遠いモーントンにいるはずなのに。
浮かんでくる疑問よりも先に、その名前が口を出た。
「――――アロイス様!」
カミラの叫びに、ざわめきが大きくなる。
アロイス――アロイス・モンテナハト。悪女カミラが嫁がされた、醜悪なる沼地のヒキガエル。王都で広く知られる噂の醜男と、今の男の姿が結びつかない。
あの姿はまるで――――まさしく、王家のそれだ。
「カミラさん」
困惑する人々を背に、アロイスはカミラの前で立ち止った。判決を待つカミラは、法廷の中央、裁判官から見下ろされる位置にいる。
裁判官の両脇には、二人の王子。アロイスはユリアン王子に目を向けた。ユリアン王子は顔を強張らせ、憎々しげにアロイスを睨む。
「誰か、この胡乱な男をつまみ出せ。これがアロイス・モンテナハト卿であるはずがない。卿とは容姿が明らかに異なる。おおかた、カミラの用意した共犯者なのだろう」
ユリアン王子は、努めて冷静にそう言った。憎しみの表情も一瞬で、すぐに厳正なる王子の顔に戻る。
「それに、万が一本物だったとして、それは女を追いかけ荒れた領地を捨てるような男だ。そんな男の言葉が信頼に足ると思うか!」
人々へ向けて、ユリアン王子は一喝する。たしかに王子の言う通り。今のアロイスは謎の人物だ。身元も知れない男の言葉が、なんの証言になるというのだろう?
それでも、ざわめきは収まらない。彼を無下に追い出すには、その白銀の髪はあまりに高貴すぎた。
白銀の髪は、王家の血にしか許されない色だ。王家の遠縁であるモンテナハト卿でないならば、あの髪色はなんなのか。たとえモンテナハト卿であったとしても、あの姿はなんなのか。
好奇の中心で、アロイスはユリアン王子に呼びかける。
「殿下。まずは私に話を。信頼に足るかどうかのご判断は、その後でも遅くはないはずです」
ユリアン王子が眉を寄せる。却下を告げようと口を開くが、それより先にエッカルトが声を上げた。
「……いいだろう」
「兄上!」
「モンテナハト卿――卿の話を聞こう。なにか確信があるのだろう?」
ユリアン王子の声を無視し、エッカルトはアロイスを見下ろした。その顔に、体に、なにかの面影を探すように、彼はアロイスの全身を眺める。
「私は卿の話が聞きたい。先に異論を問うたのはユリアンだ。語りたい者に語らせることに、不満はあるまい」
ぐ、とユリアン王子が唇を噛む。この場、この注目の中。エッカルトの言い分まで無視してアロイスを追い返すのは、あまりにも心象が悪い。人気を武器とするユリアン王子にとって、人々の期待を裏切る行為は痛手すぎる。
ユリアン王子は悔しそうに俯くと、誰にも気がつかれないように、隣のリーゼロッテに目配せをした。リーゼロッテは不安そうな顔のまま、黙って頷く。
それでユリアン王子の心も決まったらしい。
「……兄上がそこまでおっしゃるのでしたら。いいでしょう。無駄な時間を割いて差し上げます」
「ありがとうございます」
アロイスはユリアンとエッカルトに一礼をすると、背後で経過を見守る人々に向き直った。
人々が侮蔑し、目を逸らしてきた体を晒し、彼は息を吸う。
「――私はアロイス・モンテナハト。彼女の無実を知る人間です」
よく通る声で、アロイスは告げた。やはりという声。信じられないというざわめきの中、アロイスの声が響き渡る。
「ですが私の話の前に、ひとつだけ。お見せするべきことがあります」
言葉を切ると、アロイスはカミラに目を向けた。戸惑うカミラに、彼は安心させるように目を細める。
「カミラさん」
カミラを促すように、彼はカミラからユリアン王子に視線を移す。つられて視線を追うカミラに、アロイスは言葉を続けた。
「カミラさん、あなたの魔法を」
視界から消えたアロイスが、傍でささやきかける。柔らかく落ち着いた、何度も聞いてきた声だ。
「あなたの手で暴いてください。足りない魔力は、私が補います」
「……魔法? なんの魔法です?」
カミラの問いかけに、背後のアロイスが微笑む気配がした。何度も聞いた、優しくて――――どこか、聞き覚えのある口調。
「かつて、僕があなたに教えた魔法を」
カミラは瞬いた。
なんの確信もないままに、指が自然とひとつの魔法を描き出す。
王族のみに知られた、王家の術式。カミラのとっておきのおまじない。真実を暴く、解呪の魔法。
遠い昔。幼い指先が描いた、カミラの特別な恋の魔法。
――――ユリアンさま……?
カミラの魔法が、アロイスの魔力を受け、ユリアン王子を包みこむ。
リーゼロッテが予期していたかのように、すぐさま別の魔法を描いた。が、赤い瞳を持つ彼女の力も、アロイスには敵わない。わずかな抵抗もむなしく、圧倒的な力がリーゼロッテの魔法を巻き取り、ユリアンにかけられた強力な術を剥がし取っていく。
強い魔力の衝突に、瘴気めいた肌を刺す風が巻き上がった。
一瞬の白い光が、人々の目を覆い隠す。
そして光が消えたとき。
王宮さえも眩ませた、長い長い魔法が解ける。
あらわになった視界の中。リーゼロッテの隣に立つのは、ユリアン王子ではなかった。
銀の髪はない。赤い目もない。光沢のない白髪に、赤みががった茶色の目。少し細すぎるきらいのある、王族とは風貌の異なる美貌の青年。
突如として姿を現したその青年に、カミラには見覚えがあった。
王都にいたころ。カミラが見た、リーゼロッテと歩いていた男――だけではない。
「モンテナハト卿……!」
いつだったか肖像画で見た、先代モンテナハト卿。死んだはずの彼に瓜二つの男が、ユリアン王子がいた場所に立っていた。
おののくカミラの背後。カミラのつぶやく声よりも、さらに大きな悲鳴が響いた。
誰かがユリアン王子だった男を指さして、金切り声を上げる。
「王宮の幽霊! あれは、王宮の幽霊だわ――――!!」
長らく王宮を騒がせた、『沼地のヒキガエル』に並ぶ怖い話。
王家に恨み持つ貴族の霊だとか、大昔の処刑された王属だとか噂され、今では王に毒を盛ったとさえ言われる存在。
美しくもはかなげな、青白い顔のその男は、まさしく王宮の幽霊と呼ばれるにふわさしい容貌だった。




