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王都の中心部に位置する裁判所には、多くの貴族が集まっていた。
悪女カミラの末路を見るため。ユリアン王子とエッカルト王子の趨勢をはかるため。裁判には王都の貴族たちの関心が寄せられていた。
裁判所の傍聴席は満員だった。広い王立裁判所の傍聴席を、貴族たちがぐるりと囲む。裁判所の外では、鼻の利く記者たちが一目でも様子を見ようと、裏口や窓に押しかけた。
裁判を見守る人々の中には、カミラの両親であるシュトルム伯爵夫妻もいた。ディアナが二人の付き添いとして控え、テレーゼが意固地なカミラの折れる瞬間を待っていた。
テレーゼの両親であるノイマン子爵夫妻も、不安そうに見守っている。
裁判所のひときわ高い席に、神に公正を誓った裁判官がいる。その裁判官にほど近い位置に、エッカルト王子が腕を組み、生真面目な顔をさらに固くする。
裁判官を挟んで反対側には、カミラを告発する二人――――ユリアン王子とリーゼロッテの姿があった。
線の細い儚げな美貌。夢中で追いかけた銀の髪。いくら恋して手を伸ばしても、最後までカミラを見てはくれなかった、麗しの赤い瞳。
今、その瞳が冷たくカミラを見下ろしている。
ユリアン王子の隣には、リーゼロッテが座っている。エンデ家の特徴である金の髪に、王子と揃いの魔力を宿した赤い瞳。恐れと怯え、そしてどこか哀れみを孕む彼女の表情は、嘘か本当か。そんなことはカミラには些細なことだった。
かつて恋した、今も忘れられない相手。ユリアン王子の視線を受けても、もうカミラの心が揺らぐことはない。
王子の告発するカミラの罪は、モーントンの反乱を引き起こしたことだ。
勤勉で無欲だったモンテナハト卿をたぶらかし、その心を狂わせたこと。カミラに狂ったモンテナハト卿を率いて、領地を荒らし回ったこと。
忠実な使用人たちのおかげで、モンテナハト卿が正気を取り戻し、カミラを遠ざけようとすると、今度はモンテナハト卿に毒を盛り、亡き者にしようとしたこと。その罪を、よりによって真にモーントンを想う忠実な使用人に押し付けたこと。
使用人たちがいなくなれば、モンテナハト卿は再び狂いだす。カミラに操られたモンテナハト卿の奇行に、耐え忍んでいた領民たちも、ついに立ち上がったのだ。
「違うわ」
断固としたカミラの否定に、王子は眉一つ動かさない。腕を組み、一段高いところからカミラを見下ろして、息を吐く。
「違うと証明できるか?」
「アロイス様ならすべてご存じよ」
「……よりによって、気の狂った男を出してくるとはな」
カミラの愚かしさを唾棄するように、ユリアン王子は吐き出した。それから、小さく首を振る。
「モンテナハト卿は今、モーントンの鎮静化に勤めている。領地を投げ出し、お前の妄言を証明することはできない。対してこちらには、お前の罪を暴く人間がいる」
王子はそう言うと、視線で裁判所の警備兵に合図をした。彼はすぐさま法廷を出て、しばらくしてから一人の人間を連れてきた。
白髪の混じる明るい茶髪はレルリヒの特徴。無機質めいた冷たい表情は、今は見る影もない。
彼女はカミラを見つけると、「ああ!」と悲鳴にも似た声を上げた。
「この女です! この女がアロイス様を惑わせ、殺そうとした魔女です! なんと恐ろしい……!」
怯えたように震え、彼女は顔を手で覆う。か弱き老いた女の姿は、人々の同情を誘うには十分だった。
「――――ゲルダ!」
「間違いありません。ユリアン殿下にはお伝えしました通り、この女が私たちを陥れたのです! 私の顔を見忘れたとは言わせません。あの蒼白な顔こそ、罪を負う者の証でしょう!」
細い指がカミラを指さす。その指先につられて、法廷にいる人間たちの目がカミラに向けられた。
「モーントンの民は、あの女を許しません。それこそが反乱の理由。モーントンの総意です。どうかあの罪人に、裁きを……!」
震える声でゲルダが叫ぶ中、カミラは言葉を失くしていた。幽霊でも見るような視線をゲルダに向ける。彼女がどうしてここにいるか、理解できなかった。今までの冷たい仮面を捨て、哀れな老女を演じる彼女が、さらにカミラを混乱させた。
ゲルダの言う通り、カミラは蒼白だっただろう。反論もないカミラを見て、人々はそれを後ろめたさと受け取ったかもしれない。
「この者は、モンテナハト家の侍女長。先代モンテナハト卿から数十年を仕えた忠義者にして、誇り高きレルリヒ男爵家の血の者だ。彼女の言葉に偽りはあるまい」
怯えるゲルダと、立ち尽くすカミラの代わりに、ユリアン王子が立ち上がった。
「異論はあるまいな。この忠臣と、王都を追われた者の言葉、どちらが真か。それは今のモーントン領が示している。カミラが真に無実であり、モンテナハト卿が正気であったのならば、今のモーントン領に内乱は起きていないはずだ」
ユリアン王子が法廷を見渡す。
「もう明らかだろう。この女は、追放だけでは生ぬるい。私も甘い処罰を反省しよう。――さあ、判決を下してやれ」
「待て、ユリアン! こんな判決は馬鹿げている!」
裁判を終えようとするユリアン王子に、声を上げたのはエッカルトだ。彼は荒々しく立ち上がると、険しい顔をユリアン王子に向けた。
「その女が本当に罪を押し付けられた使用人だというのなら、どうしてここにいる? モーントンの危機にありながら、どうしてその女だけが王都に来ているんだ!」
「彼女は私が助け出したのですよ。領都に、カミラ・シュトルムを迎えに行く際にね。どうにもおかしいと思ったものですから」
「おかしい? そんなことで領地の罪人を引き受けたのか?」
「もう少し言えば、リーゼロッテから話を聞いていたからですよ。彼女はモーントン領の出身ですからね。ゲルダという人物像も知っていた。それでも公平を期して、裁判の場で明らかにしようと思ったのです」
「裁判! これが裁判か! 彼女には考える間も与えずに、なにが裁判だ!」
エッカルトの怒声にも、ユリアン王子は涼しい顔を崩さない。呆れたように肩をすくめ、首を振るだけだった。
「兄上、興奮しすぎて、自分でなにを言っているかお分かりですか? 罪人に言い訳を考える時間を与えろなどと、正気の発言とは思えません。ここには確かな論拠があり、証人がいるのです。彼女一人ではありません。カミラの罪を証言する者はまだ控えています」
それから、ユリアン王子は少しだけ声を潜めた。囁くような、しかし法廷に響く声だった。
「今のうちに、裁判に慣れておいた方がいいですよ。いずれは兄上も、あの場に立つかもしれないのですから」
「貴様……!」
「みっともない真似はおやめください。理性のない言葉では、なにも覆りはしませんよ」
ユリアン王子はエッカルトに侮蔑の目を向ける。二人の差は歴然としていた。激昂するエッカルトの言葉を受け流す、悠然としたユリアン王子。態度が、仕草が、声が、ユリアン王子に分があると示している。
口をつぐんだエッカルトから目を逸らすと、ユリアン王子はカミラに向き直った。
「……お前も哀れな女だ。王都を追われ、除け者同士の傷の舐めあい。それさえも断ち切られる」
静かな声で、紡ぐ言葉は冷たい。冷徹なユリアン王子らしい表情――その中に、ほんのわずかにだけ覗く哀れみに、誰が気付くことができるだろう。
「どこにも味方はなく、誰もお前を認めない。罪人の地さえ、お前たちの居場所ではなかった」
追い詰められ、利用され、裏切られ。自分たちも知らぬままに虐げられてきた二人。あがいてもあがいても居場所はなく、認められることもない。守ろうとしたモーントン領さえも、彼らの味方にはなり得ない。
踏み台として押しつぶされ、もうじき消えていくカミラへ向けた、ユリアン王子の哀れみの目。
その目をカミラは睨み返す。
「いいえ」
――なんとでも言えばいいわ。
娘の愚かさを恨む両親。カミラを蔑む大衆の目。破滅を望む妹に、カミラを陥れるゲルダ。カミラの周りは敵だらけだ。
――――それでも。
「哀れなんかじゃないわ」
今まで自分のしてきたこと。自分の歩いてきた道。
カミラの恋。出会ってきた人々。
領地で過ごしてきた日々は、カミラにとって確かなものだった。
「……いいだろう」
わずかな同情も消えうせ、ユリアン王子は冷ややかに言い放った。
「では判決をくだせ。――――他に、異論はあるまいな?」




