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6-7

 テレーゼがシュトルム家の本当の娘だと知ったのは、まだ六つのときだった。

 ノイマン子爵家は火の車。いつ没落するとも知れなかった。

 は、このころからよくテレーゼに謝罪をするようになった。苦労をかけて、辛い思いをさせて、大変な暮らしで、ごめんな。ごめんね。

 そんな言葉は聞きたくなかった。本当にみじめになってしまう。

 テレーゼの素性は、その謝罪の言葉の中にあった。はっきりと告げたわけではないけれど、聡明なテレーゼには理解できた。

 他人なんだ。だから謝るんだ。家族じゃないんだ。そう思うと苦しかった。みじめだった。誰かに救ってほしかった。耐え切れなかった。

 だけどシュトルム家の本当の両親は、なにもかも知っていて、帰りたくないとぐずるテレーゼを追い出した。当たり前だ。だって彼らはすでに、テレーゼを者たちだ。

 ――助けてほしい。

 いつもテレーゼの手を引いてくれた、お従姉ねえさま。本当のお父さまとお母さまは、テレーゼのことを捨てたけれど。お姉さまなら。

 ――行かないで。

 そう思ったテレーゼの手を、カミラはなにも知らず、悪いとも思わずに振り払った。最後の最後にすがりついたテレーゼを、カミラは裏切ったのだ。

 ――どうして。

 家族なのに。姉妹なのに。本当の姉妹なのに。

 ――わたしなら、絶対に見捨てないのに。


 相手がどんな苦境にあっても、すがりつく手を離しはしない。カミラが捨てた手で、テレーゼはカミラを救うだろう。

 カミラが、テレーゼに救いを求める限り。


 ――わたしは、お姉さまとは違うもの。


 ただ、それだけのことだった。


 〇


 テレーゼはカタリナの体を押し返し、パトリックの背中を押しのけて、カミラの傍まで駆け寄った。

 驚く両親には見向きもしない。カミラに顔を近づけて、カミラだけに聞こえる声で囁いた。

「かわいそうなお姉さま」

 甘い声に、カミラは視線を向ける。カミラに囁くテレーゼは、満ち足りた顔をしていた。

「一度娘を捨てた親ですもの。また捨てるなんてわけがないわ。なのにいつまでも追いすがっていたのね」

「テレーゼ……!」

 声とは裏腹に、毒を含んだ言葉だ。そのくせ、おそらくテレーゼは、カミラが記憶している限りで、一番素直な言葉を選んでいる。迂遠な嫌味も皮肉も、今はどこにもない。

「わたしはお姉さまを捨てたりはしないわ。お姉さまがわたしに救いを求めれば、どんな綱渡りだってしてみせる。家族だもの、当然でしょう?」

「あなたの救いなんていらないわ!」

 カミラはテレーゼの体を押し返す。パトリックとカタリナが眉をしかめるが、知ったことではなかった。

「意地をお張りにならないで、お姉さま。ご自分のことをもう少し冷静に考えてみてください。今のお姉さまのお立場では、誰かにすがるほかにありませんでしょう? わたしなら、リーゼロッテさんにお話を通すことができますの。お姉さまの罪を軽くすることができますわ」

「結構よ! 私は悪いことなんてしていないもの!」

 断固としたカミラの拒絶にも、テレーゼは答えない。憐れむような視線を向け、頭を振るだけだった。

「意固地なお方。あなたの味方はわたししかいないのに。でも、構わないわ。辛くなったらいつでも頼ってくださっていいの。わたしはずっと、お姉さまに手を差し伸べていますわ」

 テレーゼが微笑みながら、カミラに向けて手を差し出した。

 カミラは黙ったまま、テレーゼのその手を睨みつけた。


 カミラはテレーゼの手を取ることはできない。

 テレーゼが妹だから、だから彼女のしたことが変わるわけではない。彼女がカミラを傷つけ続け、陥れてきたのは紛れもない事実。それを許し、あるいは飲み込んで、救いを求めるだけの度量。そんなものはカミラのどこにも存在していない。

 それに、カミラは裁かれに王都へ来たわけではない。自分だけが助かりたいとも思わない。

 カミラは今、騒乱の最中にあるモーントン。その領土と、アロイスのためにここにいるのだ。


 恥じることはなにもない。怖気づいたりしない。だからといって、尊い自己犠牲のつもりもない。

 カミラはただ、自分のしてきたことと、アロイスを信じている。




 だから裁判の行われる日も、カミラは顔を上げていた。

 無数の視線に囲まれても、周りのすべてが敵だとしても。胸を張り、顎を上げ、前を向く。

 後悔なんてしていない。




 〇




 もうそろそろ、カミラが王都へつくころだろうか。

 今はいない彼女のことを浮かべると、アロイスは疲弊した頭を抱えて息を吐いた。


 ウィルマーがエンデ家の統治する、ファルシュの町へ向かったとの報告が入ったのは昨日のこと。それと同時に、反乱する領民たちの動きが少し変わった。繰り返されてきた細かな衝突が、突如として引いて行ったのだ。

 クラウスは、攻撃の合図だと言っていた。アインストの戦士を、一斉に放つつもりなのだ。

 指揮を執るウィルマーは、手薄になるアインストから離れてファルシュの守りの中へ。エンデ家の重鎮たちと作戦を確認し、領都へ一気に攻撃を仕掛ける腹だろう。

 アインストは、モーントンの中でももっとも優秀な戦士たちの町だ。まともにぶつかれば、領都の警備兵でも太刀打ちはできない。ブルーメの町の人間も期待はできない。彼らの大半は享楽的な芸術家であり、戦いを望まない。せいぜい、自警団が自分たちの町を守るだけで手いっぱいだ。

 志願兵を集めてもいるが、こちらもあまり期待はできないだろう。グレンツェもブルーメも戦いに向いた町ではなく、アインストを相手取るには無謀すぎる。

 アインストとファルシュが敵に回った今、モーントンの戦力のほとんどが相手側にあると言っていい。誰もがアロイスの不利を理解しているだろう。

 この劣勢の中で人を呼び集めるには、アロイスの領主としての人望は不足していた。

 優しくて穏やかなだけの、無機質な領主のために、どれほどの人々は命を懸けることができるだろうか? 長く領主の座にいても、傀儡のアロイスは多くの領民と信頼を築いてくることができなかった。そのことを、アロイス自身が痛いほど自覚する。

 ――――カミラさん。

 行かせたくはなかった。繰り返す後悔を、アロイスは頭を振って振り払う。今は目の前にある問題を解決し、手を尽くすほかにない。

 誰が諦めても、アロイスが諦めるわけにはいかない。カミラを守るため、領地を守るため、背を背けずに前を見据える。

 それが、不誠実だったアロイスの誠実さだ。



 ――とはいえ、さすがに少し、疲れた。


 カミラが出立してから五日目、間もなく朝日が昇るころ。アロイスは一人、私室で休んでいた。

 アインストとの戦闘になれば、今以上に走り回ることになる。その前に少しでも休憩をとるようにと、無理矢理クラウスに部屋に押し込まれたのだ。

 クラウスはまだ、アロイスの代わりに人々をまとめている。話がしたいと言っていたが、ひっきりなしの報告を前に、先延ばし先延ばしになり続けていた。この後、どうにか時間を作ると言っていたが、この調子では難しいだろう。

 早く戻らなければと思うのだが、体は重く、鈍い。クラウスの言うとおり、倒れる前に一度休むべきなのかもしれない。

 アロイスは額に手を当てたまま、椅子に深く腰掛けた。熟睡できるほど肝は太くないが、背もたれに体を預けて目を閉じれば、浅い眠りが襲ってくる。

 そのまま数刻だけでも眠ろうとしたとき、誰かが部屋の戸を叩いた。

「――――アロイス様、よろしいでしょうか」

 ニコルの声だ。遠慮がちな声に許可を返せば、そっと扉が開かれた。


「お休みのところ、申し訳ありません。どうしてもお渡ししたいものがあって……」

 そう言うニコルの手には、小さなかごが抱えられていた。

 かごの中には、不揃いなビスケットが数枚入っている。

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