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6-5

 カミラの両親は、根っから善良な人間だった。

 適度に頭がよく、適度に要領がよく、悪辣ではない程度に小狡くて、人間の善性を心から信じている。世の中に悪意があることを知っていても、それが自分たちを傷つけるなどと考えることもない。悪意から身を躱す小器用さがあるからこそ、悪意を知らずに生きてくることができた。

 王国東南部にある、シュトルム伯爵領は部下に任せきり。王都に居を構え、趣味で始めた船舶事業は順風で、伯爵家にもう一つの財を成した。人の好さと親切さで周囲からは慕われ、健康で堅実な妻を持ち、貴族たちとの交流も深い。一人娘の不祥事も、伯爵夫妻への同情を誘うだけ。優しい人々に助けられ、彼ら自身は傷つくことなく、一年という日々を過ごした。

 娘を失う傷みさえ、彼らは味わうことはなかった。カミラの代わりに、可愛いもう一人の娘が来てくれたおかげだ。


 善き人間には、必ず救いは訪れるもの。誰かに責められる人間は、それ相応の理由がある。

 詐欺師が悪いと知っている。だけど騙されるほうも悪いのだ。だって自分たちは、騙されたことなどないのだから――そういう人間だった。



 〇



「カミラの馬鹿! なんで戻ってきたのよ!!」

 かつてカミラの使っていた部屋は、もうテレーゼがいるからと、あてがわれたシュトルム家の空き部屋。

 その部屋に入った途端、カミラは罵声を浴びせられた。

 部屋の中は、空き部屋とは思えないくらいに整っていた。ベッドのシーツは真新しく、窓辺には花が活けられて、床には埃一つない。王都にいたころにカミラが使っていた椅子や衣装棚も運ばれていて、懐かしさにほっとする。

「考えなしなあんただってわかるでしょう! 戻ってきたら駄目だって!!」

 だけどそれ以上に、カミラを安堵させたのは、その声だ。

 部屋にいたのは、勝ち気な顔をゆがませた、カミラの悪い侍女だった。カミラに料理を教え、こっそり孤児院に通わせて、王都を追い出されるときに、付いて行くと言ってきかなかった。カミラの姉のような人。

「ディアナ」

 慕わしさにカミラが名を呼べば、ディアナが駆け寄ってくる。そして、猫のようにしなやかな腕で、カミラの体を抱きしめた。

「あんた、本当に馬鹿よ! 大人しく沼地にいればよかったのに! 陥れられるために帰ってきたのよ!」

「わかっているわ」

 ディアナを抱き返し、カミラは囁いた。柔らかくも強いディアナの力に泣きそうになる。だけど唇を噛み、涙を堪えてしまうのは、両親がカミラに与えた呪いのせいだ。

 ぎゅっと一度目を閉じると、カミラは息を吐き出した。泣いたりなんかしない。この先なにがあっても、悔いない。それだけの覚悟がある。

「わかっていて、自分で戻ってきたのよ」

「……どうしようもない馬鹿だわ」

 涙交じりの呆れ声で、ディアナはため息を落とした。

「モーントンは、あんたに合っていたのね。良かった…………」

 ディアナは泣きながら、笑いながら、カミラの髪を撫でる。その優しい手が、くすぐったかった。


 〇


 荷物を解き、旅装から着替えると、昔のようにディアナがカミラの髪を結う。器用な彼女の手は、カミラの髪を絡ませない。怒らせてばかりのニコルとは大違いだ。

 ――ニコル、元気でいるかしら。

 あんなにがみがみ言っていたくせに、今はニコルの不器用さが恋しい。思わず視線を伏せかけて、カミラはあわてて顔を上げた。

 顔を上げれば、窓の外。明るい空と都の街並みが見える。町を飾る祝花が、間近に迫ったユリアン王子とリーゼロッテの結婚式を告げていた。

「あんたは利用されたのよ。ユリアン殿下の人気取りのために」

 カミラの髪を結いながら、ディアナは静かに語りかけた。

 ユリアン王子の名を聞いて、まだ少し胸が痛む。あきらめはついていても、長い間恋をしていた相手だ。心から好きだったのに、相手に気持ちが届くことはなく、彼は無情にカミラを陥れようとしている。

「だからやめろって言ったのに。あんな嘘くさい男。絶対不幸になるって思っていたわ」

 唇をかむカミラを、しかしディアナは気にも留めない。昔から変わらず、彼女は他人のために言葉を選んだりはしなかった。そういう悪いところばかり、カミラは真似してしまっている。

「ねえ、今の王都の状況、聞いてる? 陛下が病気に伏せられて、後継者争いがはじまっているって話」

「……後継者争い?」

 予期しない言葉に、カミラは眉をしかめた。

 王家の跡継ぎは最初から決まっていたはずだ。正妃の子で、長男でもあるエッカルトの他に、跡継ぎなどいない。ユリアン王子は確かに王の子ではあるが、彼の母は第二妃のうえ、次男である。後継者として名が挙がることすらなかった。

「ユリアン殿下の方が、国民からの人気が高いのよ。あたしは大っ嫌いだけど、担ぎ上げる人間は出てくるわ。エッカルト殿下は真面目すぎるというか、大衆受けはしない方だから」

「……そうね」

 カミラが見てきたエッカルトという人物は、優秀で公平ではあるけれど、遊びがあまりに少なすぎた。ユリアン王子がリーゼロッテと結婚しようというとき、カミラが悪人として追放されたとき、最後まで反対をしていたのは彼だった。だけど世間はそれを、現実主義すぎる、愛や夢を認めず、狭量すぎると受け取った。

 国の王になるには、人心の掌握も必須だ。その点、面白みのないエッカルトと、リーゼロッテとの恋で世間を沸かしたユリアンには圧倒的な差がある。

「殿下はあんたを叩きのめして、リーゼロッテと結婚して、人気を絶対的なものにするつもりよ。陛下の容態も良くないって聞くし、早めにどうにかしようって腹なのね」

「陛下のお体、そんなに悪いの?」

「あたしは噂でしか知らないけど、相当らしいわね。王都では陛下の傍で死神を見た、なんて人もいる。こんなのは噂だけど。急な話だから、王宮の幽霊に呪われたんじゃないかって話もあるわ」

 そこまで言うと、ディアナはカミラの肩を叩いた。

「はい、おしまい。気合い入れなさい、カミラ」

 裁判の日まで、カミラは屋敷の外に出てはいけない。両親から、そうきつく言いつけられていた。だけどディアナが結ったのは、よそ行き用の、華やかで人を威嚇する類のものだった。

 髪に手を当ていぶかしむカミラに、ディアナは険しい顔を向けた。

「夕方にはテレーゼが戻ってくるわ。あの性悪、あんたのこと毛嫌いしてるんだから。負かされるんじゃないわよ!」

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