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6-3

 クラウスが領都の屋敷へ駆けつけたのは、使者がカミラを連れて行ったあとだった。

 カミラの身支度さえも待たず、その場で彼女を連れ去ったあと。ほとんど入れ替わる形で駆けこんだクラウスが目にしたのは、ざわめく人々と、俯くアロイスの姿だった。

 これほど人が集まっているのに、屋敷は妙に静かで、寂しかった。人々の顔は暗い。かすかな声で、絶望を囁き合っている。もうモンテナハト家はおしまいだ。王家でさえ、敵に回ってしまったのだ、と。

 なにがあったのか、クラウスにはそれでだいたい想像がついた。遅かったのだ。カミラはもうここにはいないだろうし、おそらくは伯母のゲルダもいないだろう。


「おい、おい、クラウス。お前どうしてここに……!」

 エントランスに立つクラウスに、真っ先に声をかけてきたのは、かつての上司であるギュンターだった。彼は感情豊かな角ばった顔をゆがめ、信じられないものを見るような目でクラウスを見た。

 当然だろう。クラウスはレルリヒ家の人間である。そしてレルリヒ家は今、マイヤーハイム家やエンデ家とともに、アロイスに反逆しているのだ。

 飛び込んできたクラウスに気が付いた人々の目も、歓迎ばかりではない。驚きや戸惑いが見て取れた。

「なにしに来た――――いいや、待て。お前、その顔どうした」

「色男が増しただろう」

 傷跡の残る顔で不敵に笑えば、ギュンターが唖然とする。

 そのギュンターを置いて、クラウスはアロイスに近付いた。

 うつむくアロイスの髪が垂れ、顔に影を落としている。視線は地面を見据えたまま、ゆっくりと瞬きをしているらしい。口元に手を当て、彼は深く呼吸をしていた。

「おい、アロイス」

 落ち込んでいるのだろうと思った。いや、そんな言葉では済まないだろうか。前を向くたびに折られてきたアロイスの心は、クラウスにも想像がしがたい。かけるべき言葉も、上手く見つけられずにいた。

「アロイス、諦めるなよ。終わったわけじゃない。カミラはまだ――」

「……わかっている」

 アロイスは視線を伏せたまま答えた。思いがけず落ち着いた声に、クラウスの方が驚いた。

「彼女は、王命をもって『保護のために』連れて行かれた。理屈が通っている」

 王命をもってすれば、エンデ家の望む結末を命ずることもできただろう。カミラを連れ去るのにも、名目はいらない。反発や非難を恐れず、王の強権を行使すればよかったのだ。

 だというのに、一見すればまっとうな『理由』を用意した。アロイスには断りがたく、周りの人間が正しいと思うような理由。

 それはなぜか。自らの正当性を保つためだ。相手はまだ、相手はまだ『筋を通す』つもりでいる。正しい理屈で、正しい順序で、成し遂げるためだ。

 ならば、カミラの身にはまだ、猶予があるはず。王の書簡はアロイスの元に残されたまま。王都に帰る前にカミラの身になにかがあれば、そしりを受けるのは王家の方だ。

「相手が冷静であるうちは、時間がある。ならば私は、諦めはしない」

 アロイスは言葉を吐き出すと、その顔を上げた。静かな熱のこもる瞳で、そのまま集まってきた屋敷の人々を見回す。

 クラウスは無意識に息を飲んだ。視線が奪われる。喉まで出かけた慰めの言葉も忘れてしまった。

「私は家臣に背かれ、ゲルダに逃げられ、大切な人まで奪われた、ふがいない男だ。苦境を覆すだけの知恵や力もない。後手にばかりまわって、お前たちも不安にさせてしまっただろう」

 紡ぐ言葉とは裏腹に、アロイスの声に弱さはない。胸を張り、前を向き、固い意思を瞳に宿す。

「不利な状況に変わりはない。それでも、私は屈するつもりはない。彼女が信じて、私を待っていてくれる限り」

 反乱が起こってから、早々に屋敷から逃げ出した人間もいる。マイヤーハイム家やエンデ家の血を引く人間も多い。アロイスは寛容の一方で、甘くみられがちな主人だ。危機を共にするには頼りないと、不安がるものもいる。

 そんな人々を、アロイスは一人ひとり見つめる。

「私に力を貸してほしい。私が、このモーントンの領主でいるために」

 恐れ知らずで真摯な眼差し。夜風にゆれる気高い白銀の髪。なんの力もないくせに、なんでもできると信じてしまいそうな横顔。無防備なくらいにすべてをさらけ出す、愚直な姿。

 瞳に宿るのは、夜を照らす、太陽のような光。

 アロイスに慰めは必要ない。迷わない彼の姿こそが、人々の慰めになるのだ。


 アロイスの後姿に、クラウスは顔をしかめた。

 アロイスよりもクラウスの方が、ずっと頭が回る。なんだって器用にこなす。人に好かれるのも得意だ。

 だけどクラウスは、きっとアロイスを追い越せない。この男に力を尽くしたい。彼の望みを叶えたいと思ってしまった時点で、クラウスの負けなのだ。

「俺は、またあんたが嫌いになりそうだよ」

 笑うように言うクラウスに、アロイスが顔を向けた。不思議そうに首をかしげるこの男は、聡いようで鈍い。それもまた、クラウスには腹が立つ。

「地図を見せろ。状況はどうだ? 兵は何人くらい逃げた。どうせ平和主義のあんたは、軍略なんて知らないだろう」

 アロイスが瞬く。それから、今度はさほど不思議でもなさそうに口元を緩めた。

「レルリヒはあちら側だろう。ルドルフもいるだろうに、いいのか?」

「いい。レルリヒは俺がってきた。もう俺のもんだ」

 ふん、とクラウスは鼻を鳴らす。そもそも、レルリヒがアロイスと敵対するなんてありえない。なにせレルリヒの配下は、ブルーメなのだ。

「ブルーメの人間が、あんたらに剣を向けられるわけがないだろう。あんなバカ騒ぎを起こしておいて、殺し合えだって? 冗談じゃない!」

 ブルーメはアロイスとカミラとともに、駆け回って、騒いで、笑い合った。その記憶も薄れないうちに、戦い合うなんてできるはずがない。

 クラウスだってそうだ。歪んだ自分自身の心。ねじれた弟との関係。晴らすことができたのは、アロイスがいて、カミラがいたからだ。

 不利な状況はわかっている。だけど馬鹿な騒ぎが己を救ったのであれば、今度は自身が馬鹿になる番だろう。

「俺はあんたに乗った! このクラウス・レルリヒ! レルリヒ男爵家とブルーメの名にかけて、俺はあんたの力になるぞ、アロイス!」

「……クラウス」

 何か言いたげに呼びかけた、かすれたアロイスの言葉は、野太い声にさえぎられた。

「俺もですぜ! 俺たちは、いつだって坊ちゃんの味方だ!」

 ギュンターだ。クラウスに張り合うように声を上げ、彼はアロイスの元へ駆け寄る。

「ずっと日陰者だったブラント家を、あんたが引きずり出してくれたんです。坊ちゃん――いや、アロイス様。俺はかけるような家柄はねえけど、代わりにこの腕に誓いましょう」

 繊細な料理を生み出す、たくましい腕を叩き、ギュンターはアロイスを見つめた。アロイスがまだ領主になったばかりのころから、ずっとギュンターはアロイスの味方だった。それはどんな苦境にあっても、変わりない。

「あんたがなにをして、どう生きてきたか知っている。俺たちは、みんなアロイス様を信じている。娯楽のないこの土地に、飯屋がどれほどあると思ってやがる。全部、あんたの力になりますぜ、アロイス様!」

「ギュンター……」

 ギュンターの言葉を後押しするように、集まってきていた料理人たちが声を上げる。彼らはアロイスだけではない。厨房にいるカミラも見てきた人間たちだ。

「――――アロイス様。私も、逃げません」

 取り巻く人々の中から声がする。見上げれば、エントランスのアロイスたちを階上から見下ろす、ニコルだった。ニコルは青ざめた顔で、両手を握りしめながら、震える声を絞り出す。

「私は奥様の侍女ですもの。奥様を、必ず取り戻しましょう……!」

「ニコル」

 ぽつり、ぽつりとあちらこちらから声が上がる。

 誰も彼もがアロイスを信用しているわけではない。それでも、この手のひらに収まるほどの小さな信頼でも、アロイスを領主として認めてくれている人々がいる。

「――――ありがとう」

 だからアロイスは、折れるわけにはいかない。

 領民の信頼に報いるのは、領主の務めだ。

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