1-9
「あんたたち、暇でしょう。外に出るから付き合いなさい」
荒く扉を開けば、談笑していた侍女三人が、目を丸くしてカミラを見た。先ほどの談笑が嘘のように、部屋は静まり返る。呼吸音さえも、聞こえないように思えた。
「外に出る服の用意をして、道案内をしなさい。アロイス様が帰る時間は知っているでしょう? 時間内に戻ってくるようにするのよ」
侍女たちは三人、顔を見合わせている。怯えたような視線に、カミラは苛立った。さっきまでは言いたい放題だったくせに、本人を前にしたらなにも言えないのだ。
「え、えっと、私たち三人ともですか?」
しばらくの沈黙の後、侍女の一人がこわごわとそう尋ねた。カミラの顔は見ず、仲間の侍女たちばかり見ている。瞬きの回数が多く、落ち着きがない。
「当り前でしょう」
カミラが何か言うたびに、部屋に沈黙が落ちる。三人とも黙り、顔を見合わせ、それからいつも同じ侍女が最初に口を開く。カミラが一度声をかけた、背の低い侍女ではない。おそらく、三人の中では一番年長であろう、細身で背の高い侍女だ。
「あの、私たち、これから仕事がありまして……」
ね、と年長の侍女が言えば、肩を縮めていた残りの二人がこくこくと頷く。
「そ、そう、旦那様が戻られる前にやらなきゃいけないことがあって」
「も、申し訳ないですけど、べ、別の者にあたっていただければと……」
「これから仕事?」
カミラは「は」、と短く息を吐き出した。しらじらしい。さっきまで同じ口で何を言っていたか、自分たちでわかっているだろうに。
「仕事をサボってここに来たんでしょうが。あんたのことよ!」
年長の侍女の影に隠れ、身を縮めていた侍女に、カミラは視線を向けた。栗毛色の髪の、背の低い侍女。彼女はカミラに睨まれた途端、びくりと震えた。
「…………あ、あたしですか」
小動物めいた様子で、背の低い侍女は震えながら答えた。背丈にくわえ、まだ幼さの残る顔立ちと、黒目がちな目が、いっそう小動物を思い起こさせる。
「仕事があるからって断っておきながら、こんなところにいるのね。私と歩くのが、そんなに嫌だっていうの」
「い、いえ……あの……」
「ちょっと休憩したら、すぐ次に行くつもりだったんです。ね、そうでしょ」
口ごもる彼女を、別の侍女がかばう。年長の侍女ではないほう。やや太めで、人の好さそうな顔立ちをしている。
「ね、もう時間だし、次の仕事あるんでしょ? おくさ――えー、カミラ様、すみません。あたしたち仕事があるので、失礼します」
太めの侍女がそう言うと、二人の侍女に目配せをする。侍女たちは心得たというようにカミラに会釈をすると、「失礼します」と口々に言って、部屋を出て行こうとした。
「ちょっと」
三人はカミラの静止を聞かず、早足で部屋を出る。そのまま逃げ出そうというつもりだ。
一拍遅れて追いかけたカミラには、気が付いていないのだろう。
去り際、背の低い侍女を真ん中にして、慰めるようにかける声が聞こえてくる。
「ねえ、大丈夫?」
「ひどいわ。立ち聞きしてたのよ。陰湿」
「噂通り嫌な女ね。大丈夫、あなたはなんも悪くないわ」
「本当よ、断らなかったらもっとひどい目に遭ってたわよ」
二人の侍女に挟まれ、背の低い侍女はうつむいたまま何も言わない。
――――全部聞こえてるわよ!
このまま逃がすものか、と思った。
侍女たちは廊下を曲がる。その姿が見えなくなる直前、カミラは声を上げた。
「待ちなさい!」
場所は屋敷の最奥から、人の行き交うエントランス近く。ただならぬ三人の侍女の様子に、他の使用人たちが目を向けていた。人々の注目が集まる中、カミラの声はよく通った。
「出て行っていいなんて言ってないわよ! 止まりなさい!」
三人の侍女は、竦んだように立ち止り、カミラに振り返る。三人でこわごわ身を寄せ合い、目配せをしあっていた。
そんな三人に、カミラは大股で近づく。カミラの背は高い方ではないけれど、震えて縮み上がる侍女たちと対峙すると、威圧感からか大きく感じられる。
「陰湿なのはどっちよ! 影でこそこそ悪口を言って! 聞こえてないとでも思ったの!?」
「あ、あの、そういうつもりでは……」
最初に口を開くのは、やはり年長の侍女だ。太めの侍女は困惑に声が出ず、背の小さい侍女はずっとうつむき、震えている。
「じゃあ、どういうつもりだったっていうの。言うことを聞かず、仕事をサボった言い訳が立つの?」
「その……」
「なにか言えることがあるの? 言ってみなさいよ!」
カミラの剣幕に、侍女たちは黙り込む。年長の侍女は周囲の様子を気にして、太った侍女はカミラと目を合わせようとしない。嵐が過ぎるのを待つようなその態度が、いっそうカミラを腹立たせた。
「黙ればいいってもんじゃないわ! 言うことがあるでしょう! あんたたち、本当に教育がなってないわ!」
腹が立つ。黙ったままの三人にいらいらする。せめて一言でもあれば、カミラの気持ちも少しは変わるだろうに。
「何とか言いなさいよ! いい加減にしないと、アロイス様に言いつけてやるわ! クビにしてやるわよ!!」
「…………や」
カミラの怒声に紛れ、囁くような声が聞こえた。
見れば、背の低い侍女が小さくうめき声をあげている。彼女を囲む二人の侍女は、いつからだろうか。肩を叩いたり、手を握りしめたりして、心配そうに彼女の様子を見ていた。
「やだあ……」
小さな侍女の声は震えている。
「『やだ』じゃわからないわ。なにか言いたいことがあるわけ?」
カミラが言えば、侍女はこわごわ顔を上げる。小動物のような顔は怯え、震え――瞳が潤んでいる。
彼女は何か言おうと口を開くが、結局は息を吐いただけだった。二、三度息を吐くうちに、侍女の瞳はますます潤んでいく。
そして、そのまま目から涙が零れ落ちる。その涙を隠すように、彼女は何も言わないまま顔を伏せた。
「大丈夫?」
「平気?」
周りの侍女たちが慰めるように声をかける。聞こえてくるのは慰めの声と、小さな侍女のぐすぐすとすすり泣く声。それから、少しの間の後で周囲の囁き合う声。
あんなに怒鳴られて。そこまで言わなくても。かわいそうに――――。
――――――リーゼロッテ!!
全身の血が逆流する。頭の奥が赤く染まる。舞踏会の日。カミラが泣かせたリーゼロッテ。金に近い茶色の髪を高く結わい、細い体を縮ませて、うつむきながら嗚咽する彼女。無数の視線が集まる中、カミラだけが気が付いた。
こらえきれないように、口元をゆがめて笑う彼女の表情に。
「――泣けば同情を買えるなら、涙なんて安いものね」
目の前にいるのはリーゼロッテではない。
カミラの気の強さと向き合って、立っていられる相手ではない。したたかでしなやかで、決して折れないあの女ではない。
相手はただの侍女。小狡くても、本人を前にすれば何も言えない、気の弱い少女。涙の裏などなく、ただカミラを恐れ泣いているだけだ。
頭ではわかっていても、感情は収まらない。
「泣きたければ泣けばいいわよ。でも、私はそれで許したりはしないわ!」
カミラたちの周りに人だかりができている。ざわめきが耳に入る。騒ぎを聞きつけ、止めに入ろうと、屋敷の上級使用人が割り込んでくるのが見えた。それでもカミラは語気を弱めず、侍女に向けて足を踏み出す。
侍女たちは、竦んだ様子で動かない。カミラが何をするのかと、慌てて上級使用人が間に入るのも、構わずカミラは続けた。
「あんたたちは――」
落ち着いてください! と誰かがカミラの腕を取る。侍女たちをかばおうと、間に割って入る人間がいる。
「あんたたちは、けっきょく詫びの一つも言えてないじゃない!」
「落ち着てください、カミラ様!」
激情のにじむカミラの言葉は、上級使用人の静止にかき消された。今にも侍女に掴みかかろうとしたカミラを無理矢理引き離し、それしか言葉を知らないように、「落ち着いてください」を繰り返す。
カミラが使用人たちにとめられている間に、侍女たちはそっと人ごみの奥に隠された。
憤りの収まらないカミラは一人。無数の使用人たちの胡乱な視線に晒されながら、消えた侍女たちの背中を睨んでいた。