5-終章
メイド頭がカミラを捕まえるために連れてきた従僕たちは、逆にゲルダたちを捕らえることになった。
愕然とするメイド頭と中年従僕とは対照的に、ゲルダはこんな状況でも、落ち着き払っていた。
ただ、アロイスを見据える視線だけが、彼女の感情を感じさせる。時折カミラに向けるものと同じ、憎悪と嫌悪を孕んだ視線だった。
「愚かな――愚かな選択です」
ゲルダの言葉は静かだった。捕らえられながらも一切の抵抗をしない様子が、かえって不気味だった。
「私がどれほどモンテナハト家に忠実であったか、いずれ知ることになるでしょう」
執務室の外には、騒ぎを聞きつけた使用人たちが集まっていた。使用人を束ねるゲルダの捕縛に、誰もが戸惑っているようだ。
従僕に引かれ、ゲルダは大人しく執務室を出る。彼女はこのまま、領内の別邸に軟禁されることになる。だが、それも罪が確定するまでのこと。十分な証拠や証言を集めたのち、彼女は領内の裁判にかけられることになるだろう。その先は、彼女のしてきたこと次第だ。
そのことを悲観するでもなく受け入れ、彼女は去っていく。
物見高い野次馬にも、ゲルダはほとんど目を向けなかった。だが一人だけ、一度だけ、彼女は足を止めた。
「あとのことは、すべて任せます」
相手は、ゲルダと同じだけ長い使用人歴を持つ、家令のウィルマーだ。短く視線を交わし、端的にそれだけを言うと、もう彼女は振り向くことも、足を止めることもなかった。
〇
そういうわけで、それから数日間、屋敷は大変な状態だった。
侍女長もメイド頭もいなくなったのだ。女性使用人を束ねる二つの頭がいなくなり、使用人たちの困惑も計り知れない。アロイスはおかしくなったのではないか、とまで囁く人間がいるくらいだ。
だが、二人の抜けた穴を、そのアロイス自身が埋めていれば、誰も文句は言えまい。彼は今、使用人たちを一人ひとり見て回っているらしい。
「一度、屋敷の者たちを見直す必要がありますね」
ゲルダの捕縛騒動の翌日、久々に食事を共にした際に、アロイスはカミラにそう漏らしていた。
「父の代からいる人間は特に。骨は折れますが、長年放っておいた自分の責任です」
アロイスは見るからに疲れていた。もはや安静する気も暇もなく、働き続けているのだから当然だ。
手伝いたい――と思えども、カミラの身分は未だモンテナハト家の客人である。客人に口出しする権利はない。
ならばどうするか。
その答えは、たぶんずいぶん前から出ていたのだと思う。
問題は、どうやって告げるかだ。
〇
「上手くならねえなあ」
いつもの厨房。カミラの焼いたビスケットを手に、ギュンターは呆れた声で言った。
「私は好きですけれど。素朴な味で」
ここしばらく、すっかりカミラのビスケット消費係となったニコルが、さくさくと食べながらそう言った。あまりの量にさすがに食べきれず、ニコルは元メイド仲間にも配っているらしいが、それもなかなか好評らしい。
――――が。
「素朴な味じゃ駄目なのよ」
ニコルの感想に、カミラは渋い顔をする。素朴な味。それはつまり、素人の味に等しい。
アロイスは過去を乗り越えた。最後のしこりを捨てるかのように、体に残った贅肉をそぎ落とし、アロイスはここ最近のうちに、みるみる痩せていた。屋敷の人々の見る目も、変わったように思う。アロイスを『旦那様の息子』ではなく、『旦那様』として認めはじめているのだ。使用人の選別を断行には反発もあるが、それがかえって、アロイスが主人であることを人々に認識させていた。
それなら、カミラだって過去を置いてきたことを示さねばならない。
――アロイス様のビスケットを作るのよ。
美味しいものを作って、昔とは違う証を示す。そこが、カミラが長らく待たせ続けた返事を告げるときだ。
というのは、建前かもしれない。
――平凡なものなんて、食べさせられるわけないじゃない!
それなりに料理ができると自負するカミラだ。菓子だけが素人だなんて、自尊心が傷ついてたまらない。
「美味しいものを作るのよ! もっとしっかり教えなさい!」
「教えられる身でこんな態度のでかいやつ、見たことねえよ」
「それなら、はじめて見るのが私であることを、光栄に思いなさい!」
ふてぶてしく笑うカミラに、ギュンターは頭を掻いた。ニコルはくすくすと笑う。休みないアロイスとは裏腹に、厨房は平和だった。
もともと、厨房はギュンターを筆頭に、アロイスへの信頼度が高い。ゲルダの投獄も、アロイスの決定であるならばと、さほど動揺することなく受け入れられていた。
おかげでカミラはますます厨房に入り浸り、ビスケットの生地を余らせているのである。
だが、平和はここまでだった。
〇
ゲルダの捕縛から、半月も経たないころ。急を告げる早馬が走った。
アロイスの統治に不満を抱き、領民が蜂起したのだという。
主導しているのはマイヤーハイム家だ。レルリヒ家とエンデ家が同調し、マイヤーハイム家の支配域を中心に、グレンツェを除くすべての都市が、モンテナハト家への反旗を翻した。
反乱である。
次の更新は年明け1月半ば以降を予定しています。
5.5話を挟んで次が最終章です。




