5-12
小箱に詰まった毒は、一見すればただの花。
しかし、実際には、花には加工が施されている。表面に赤い毒を塗り、水に浸して溶け出すようになっているのだ。
小箱の中身を見つけたとき、メイド頭はすぐにピンと来た。見た目の毒々しさ、甘ったるい奇妙な香り、そしてなにより、カミラが持っていたと言うこと。
すぐに毒に詳しい従僕に調べさせ、その真偽は判明した。
「やはり、噂通りの女でした」
メイド頭は汚らわしそうに小箱を閉じつつ、そう語った。それから従僕たちを見回し、息を吸うと、断固とした声で命じた。
「捕らえなさい。すぐに牢へ閉じ込めるのです!」
「待て」
アロイスは椅子から立ち上がり、動き出した男たちに制止の声を上げる。が、それよりももちろん、カミラの我慢の限界が早かった。
「勝手なこと言うんじゃないわ! 私がアロイス様に毒を盛ったですって!?」
アロイスの声もかき消して、カミラはメイド頭に怒鳴る。
「私のじゃないわよ! 知らないわ、そんなもの!」
「あなた自らが、これを自分のものだと言ったのです! しらを切り通せるとでもお思いですか!」
「中身が入れ替わっているのよ! だいたい、その箱は失くしていたはずなのよ!」
カミラが箱を失くしたことに気が付いたのは、アロイスが毒に倒れる少し前。誰かが盗み、中身を入れ替えるには十分な時間がある。
では、なぜ、中身が入れ替えられている? 難しいことではない。毒を盛ることはなくとも、王都にいたころは、似たようなことがいくらでもあった。
「誰かが、私を犯人に仕立て上げようとしているんだわ!」
「いけしゃあしゃあと! いったい誰が、あなたを犯人にしようなんて言うのです!」
メイド頭がそう声を上げた時だった。
「――――これは一体、なんの騒ぎですか」
騒然とする執務室に、冷徹な声が響く。無感情な癖に吸引力のある声に、メイド頭もカミラも、他の使用人たちも、一斉に声に顔を向けた。
「アロイス様のお部屋です。慎みなさい」
鋭い視線で使用人たちを見回したのは、鉄のような無表情。侍女長であるゲルダだ。
彼女の威圧に、メイド頭は肩をこわばらせ、しかし頑として口を閉じなかった。
「ゲルダ様! お聞きください! この女こそが犯人です! この女が、アロイス様に毒を盛ったのです!」
「違うわ! 私はなにもしていないわよ!」
「証拠も証人もいます! この女、料理に添える花に細工していたんですわ! 毒の花に変えていたんです!」
「そんなことしないわ! だいたい、どうして私がアロイス様に毒を盛らなきゃいけないのよ!!」
ゲルダは、大声で喚く二人の女を交互に見やった。こんなときにも彼女の顔に驚きはなく、ただ淡々と言葉を受け付けるだけだ。
「なるほど、事情は分かりました。毒は見つかったのですね。料理に添えられた花と。たしかにその花は、アロイス様が倒れられた際に、私も見つけていました」
ゲルダはメイド頭に頷いて見せる。メイド頭は安堵したようにゲルダを見やり、微かに頬を緩めた。ゲルダがどちら側に付いたのか、言葉からわかったのだろう。
「お部屋を汚すわけにもいかず、すぐに片付けるように命じましたが、あの時調べておくべきでした。私の失態です。いえ、そもそもこの女をアロイス様の傍に置いたことこそが、過ちでした」
「ま、待ちなさい! 私じゃないわ! 勝手に決めないでよ!!」
話をまとめようとするゲルダの声を、カミラはさえぎった。ゲルダの口ぶりは、もうカミラを犯人と断じている。考えてみれば当然で、彼女がカミラの味方をするはずがなかったのだ。
「そもそも、理由がないじゃない!! アロイス様を害して、私になんの得があるって言うのよ!!」
「理由はあるでしょう。アロイス様はここしばらく、あなたを避けられていました。あなたとの結婚を白紙とし、王都へ送り返すという話も聞いています」
激昂するカミラとは対照的に、ゲルダの声は低く、落ち着き過ぎていた。
「公爵家との結婚がなくなることが、怖かったのでしょう? 殿下はあなたを嫌悪し、シュトルム伯爵夫妻はあなたと縁を切り、養子を取られたと聞きます。王都には、あなたの帰る場所などありません。だから躍起になって、嫌がるアロイス様を追いかけ続けていたのでしょう」
「ゲルダ、誤解だ。私が彼女を避けていたのは、単に私の気が滅入っていただけだ。彼女を王都に帰すつもりも、今はない」
口を挟むアロイスに、ゲルダは首を振る。アロイスの反論は、彼女の推測になんの瑕疵も与えない。
「アロイス様のお考えは関係ありません。アロイス様にその気がなくとも、この女がそう受け取ったのであれば、それが彼女の真実。彼女はアロイス様に捨てられると思い、毒を盛ったのです」
「……私を殺しては、結婚もできないだろう」
「ええ。ですが、生きていらしても結婚はできない。それなら殺してしまった方がよいと考えたのかも知れません。もし生き延びることができたのであれば、弱ったあなたの支えとなり、あなたのお気持ちを変えることができます」
アロイスは眉間にしわを寄せ、口をつぐんだ。腕を組み、思案の瞳でゲルダの語りを見つめる。
「実際に、あなたは今、彼女の思惑に嵌ろうとしているのです。この女こそが毒そのもの。あなたに盛られた真っ赤な毒の花とは、まさにカミラ・シュトルムのこと。王都を乱した、狡猾な手腕なのです」
ゲルダはアロイスに歩み寄り、断固とした様子で言った。背筋は伸び、顔は高く前を向き、その瞳はけっして揺らがない。言葉には力があり、理知的な顔は決して間違いがないと思わせる。陥れられようとしている張本人でなければ、カミラだって信じてしまったかもしれない。
実際、使用人たちはゲルダの言い分に納得をしているようだ。頷き合い、カミラへ恐れるような、嫌悪するような暗い視線を送っている。
「アロイス様……」
違う、と言うつもりで、カミラはアロイスを仰ぎ見た。だが、彼はカミラを一瞥しただけで、すぐにゲルダに視線を戻す。
その固い表情には、押し殺した悲しみが見える。まるで、裏切りを突きつけられたような、失望にも似た表情だ。
出しかけた言葉を、カミラは思わず飲み込んだ。黙ったカミラに代わり、アロイスがゲルダに問う。
「……毒は、厨房から出された料理には、すでに添えられていたと聞いた。厨房には料理人たちがいたはずだろう。見とがめられないはずがない」
「いいえ。この女は、長らく厨房へ出入りしていました。料理長とも懇意だったと聞きます。飾りの花を添える程度、見逃されてもおかしくはありません。――――思えば、最初からそのつもりで、厨房に出入りしていたのかもしれません。周到な女です」
「なるほど」
アロイスは一度目を閉じ、腕を組んだまま頷いた。
「筋は通っている」
「アロイス様!? 私はそんなこと――――」
するはずがない。アロイスなら分かってくれるはずだ。カミラがアロイスの立場なら、どんな状況でも絶対に信じない。
「動機もある。毒を盛る機会もある。なにより証拠が揃っている。たしかに、あまりに疑わしい。お前の言い分はよくわかった」
だが、アロイスは違ったのだ。彼はゲルダに肯定を返す。ゲルダは素直に、その反応を受け止める。
長年、主人と使用人として勤めてきた絆とでも言うのだろうか。愕然とするカミラの前で、アロイスは深く息を吐き、なにもかも諦めたように口を開いた。
「だが、ひとつ気になることがある。ゲルダ」
失望と、悲しみと、裏切りと、奇妙な確信をないまぜにした表情。その表情を、彼はゲルダに向けていた。
「――――お前はなぜ、花の色を知っている?」
ゲルダはたしかに、『真っ赤な毒の花』と口にした。
だが、メイド頭の持つ小箱は、ゲルダが来る前に閉じられているのだ。